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死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第3章 恋の骨折り損(Love's Labour's Lost)

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第50話 点字の手紙

 その日の帰り道。鮎川がいつものように「今日はどんな景色?」と聞いてきた。

 

「曇り空。雲がもくもくしてて、灰色と白のまだら模様。入道雲っぽいのが遠くにある。夏が近いな」

「入道雲。……夏だね」

「ああ。もうすぐ夏だ」


 鮎川が少し黙った。それから、ぽつりと言った。


「鈴木くん。最近何か隠してない?」

「……え?」

「いつもと歩くテンポが違うの。普段は一歩が〇・七秒くらいなのに、今週は〇・八秒。ほんの少しだけ遅い。考え事してるときの歩き方」


 この子の耳はどうなっているんだ。歩くテンポの〇・一秒の差を聞き分けるって、もう人間の域を超えている。


「考え事なんてしてない」

「嘘。声が低い。嘘つくとき鈴木くんの声は〇・三ヘルツ下がる」

「……」

「教えてくれなくていいよ。でも、何か困ってたら言ってね」


 鮎川がにこっと笑った。追及はしない。気づいているのに、踏み込まない。

 この優しさが、オレをさらに好きにさせる。悪循環だ。好きが好きを呼ぶ。終わりがない。


 その日の夜から、点字の手紙制作に本格的に取りかかった。

 まず、伝えたい内容を日本語で整理する。

 ノートに書き出した。

 鮎川さんへ。

 オレは鮎川さんのことが好きです。

 ……短い。あまりにも短い。これじゃ二行で終わる。

 もっと書くべきか。なぜ好きなのか。いつから好きなのか。

 ペンを持つ手が止まった。

 なぜ好きなのか。

 考える。

 鮎川の笑顔が好きだ。鮎川の声が好きだ。シェイクスピアを語るときの輝きが好きだ。目が見えないのに、誰よりも世界を「見て」いるところが好きだ。

 オレの景色の話を嬉しそうに聞いてくれるところが好きだ。「色を教えてくれる人」と言ってくれたことが嬉しかった。応援のとき、オレの足音だけを追いかけてくれたことが嬉しかった。オレの声をベース音だと言ってくれたことが嬉しかった。唐揚げを「あーん」で食べさせてくれたこと――これは違うな。

 でも、これを全部書いたら手紙が長すぎる。点字で書いたら何枚になるか想像もつかない。初心者のオレが長文を点字で書いたら、ミスだらけで読めない暗号文になる。

 シンプルにしよう。短く、正確に。一番大事なことだけを。

 

 鮎川さんへ。

 突然ですが、オレは鮎川さんのことが好きです。

 いつからかはわかりません。気づいたら好きでした。

 鮎川さんが景色を教えてと言ってくれるたび、オレの死んだ目が生き返ります。

 この手紙は初めて覚えた点字で書きました。下手ですが、読んでもらえたら嬉しいです。

 鈴木湊


 ……これくらいか。

 次に、これを点字に変換する作業。

 まず全文をひらがなに直す。点字は基本的にひらがな表記だ。

 

 あゆかわさんへ

 とつぜんですが おれわ あゆかわさんのことが すきです

 いつからかわ わかりません きづいたら すきでした

 あゆかわさんが けしきを おしえてと いって くれるたび おれの しんだ めが いきかえります

 この てがみわ はじめて おぼえた てんじで かきました へたですが よんで もらえたら うれしいです

 すずき みなと


 助詞の「は」は「わ」と書く。「こと」は続けて書く。分かち書きのルールを確認しながら、一語一語を点字の配置に変換していく。

 分かち書きが厄介だ。「おれわ」の後にスペース。「あゆかわさんのことが」の後にスペース。普通の日本語なら意識しない区切りを、一つ一つ判断しなきゃいけない。

 入門書の「分かち書きのルール」のページを何度も読み返した。自立語の前にスペースを入れる。助詞は前の語にくっつける。「あゆかわさんのことが」は一つの塊。「すきです」も一つの塊。

 何文字ある? 数えてみた。

 ……一四〇文字。

 一四〇文字を、一点一点手で打つ。点字器を使って、裏から、鏡像で。

 一文字あたり平均三点として、約四二〇点。四二〇回、正確に針を打たなきゃいけない。

 気が遠くなった。

 でもやる。やると決めた。

 木曜日の夜。は行まで覚えた点字に加えて、ま行、や行を急いで覚える。金曜日の夜にら行とわ行。土曜日に濁点・半濁点のルール。日曜日に長音、促音、拗音のルール。


 週末は点字漬けだった。土曜日は朝から夕方まで、机に向かって黙々と練習した。母さんが「あんた、テスト勉強? 珍しいわね」と覗きに来たが、「うん」とだけ答えた。テスト勉強じゃなくて恋の勉強だ。

 拗音ようおんでつまずいた。「きゃ」「しゅ」「ちょ」みたいに、ニマスで表す。前のマスに拗音符を打って、次のマスにその行の基本の音を打つ。「きゃ」なら拗音符と「か」、「しゅ」なら拗音符と「す」。ルールは理解できたけど、手が追いつかない。

 日曜日の夜、数字の書き方まで覚えた。数符を打ってから数字を書く。住所や電話番号を点字にする場合に使う。今回の手紙には必要ないけど、覚えておいて損はない。

 月曜日。一週間後の期限まであと五日。

 火曜日の夜、ようやく全文の下書きが完了した。シャーペンで点字の配置を書いたメモを見ながら、点字器で清書する。

 部屋の灯りを明るくした。机の上に点字器と点字用紙を広げる。入門書を左に、下書きメモを右に。真ん中に点字器。

 深呼吸してから、始めた。

 一文字目。「あ」。左上の一点。ぽち。

 二文字目。「ゆ」。左下、右上、右下の三点。ぽち、ぽち、ぽち。

 三文字目。「か」。左上、右下の二点。ぽち、ぽち。

 四文字目。「わ」。……わ。「わ」の配置は?

 入門書を開く。「わ」は左下の一点のみだ。ぽち。

 遅い。恐ろしく遅い。一文字打つのに三〇秒以上かかる。しかも間違えたら最初からやり直しだ。

 点字は消しゴムで消せない。打ち間違えたら、その紙は終わりだ。新しい紙でやり直し。

 一枚目。二五文字目の「こ」を打ち間違えた。「す」と「が」も間違えてた。紙を丸めて捨てた。

 二枚目。九〇文字目。「いきかえります」の「え」と「ま」を間違えた。やり直し。

 三枚目。八〇文字目。集中力が切れて、行がずれた。やり直し。

 四枚目。一一〇文字目。もうすぐ終わりだと思ったら、「てんじ」の「じ」の濁点を打ち忘れた。やり直し。

 くそ。

 机に額をつけた。冷たい。

 何でこんなに難しいんだ。点字を毎日使っている鮎川が、途方もなく凄い人間に思えてくる。六つの点で世界を読み書きするって、並大抵のことじゃない。

 鮎川は幼い頃からこれをやってきた。何年もかけて身につけた技術だ。オレが数週間で追いつけるわけがない。

 でも、追いつく必要はない。鮎川と同じレベルになる必要はない。

 ただ、一通の手紙が書ければいい。たった一通。「好きだ」が伝わる一通。

 五枚目――。

 ようやく、最後まで打てた。

 時計を見た。午前一時。

 紙を裏返した。指で触ってみた。凸点が並んでいる。でこぼこした紙面。

 これが「鮎川さんへ」で始まって「鈴木湊」で終わる手紙。

 ……合ってるのか?

 不安になって、もう一度入門書と照合した。一文字ずつ、配置を確認する。

 二〇分かけて全文をチェックした。

 結果――三か所、怪しい。

 四〇文字目の「り」の点が弱い。読めるかもしれないけど、微妙。

 九九文字目の「は」がきちんと打てているか自信がない。

 一一〇文字目からの分かち書きのスペースが狭すぎるかもしれない。

 三か所。

 許容範囲か? いや、鮎川の指先は繊細だ。微妙な凸凹を読み取る指先だ。弱い点は「ない」と判断されるかもしれない。スペースが狭ければ、単語の区切りがわからなくなるかもしれない。

 やり直すか?

 でも、点字用紙がもう二枚しかない。失敗したら一枚しか残らない。

 六枚目に挑戦した。

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