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死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第3章 恋の骨折り損(Love's Labour's Lost)

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第49話 恋する男の骨折り損

 ぶーぶーぶーぶー。

 鮎川のスマホが鳴った。

 バイブレーション。ポケットの中で激しく震えている。

 鮎川が慌ててスマホを取り出した。音声読み上げ機能が起動して、小さな声で「おかあさん」と読み上げた。

 母親からの電話。


「あ、ごめん。お母さんからだ。出てもいい?」

「……ああ」


 鮎川が電話に出た。


「もしもし? ……うん。……え、今日? ……わかった。すぐ帰る」


 電話を切った鮎川が、申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんね鈴木くん。お母さんが急いで帰ってきてって。病院の予約が今日の夕方に変更になったみたいで」

「病院?」

「定期検診なの。目の。三か月に一回やってて。今日は来週の予定だったんだけど、先生の都合で急に今日になったって。ごめんね、話って何だった?」


 話って何だった。

 また、この質問。

 体育祭のときと同じ。オレが口を開こうとした瞬間に、何かが邪魔をする。

 でも今回は蓮じゃない。鮎川の母親だ。定期検診だ。鮎川の目の健康に関わることだ。

 これは邪魔とは呼べない。鮎川にとって大事な予定だ。

 邪魔できるわけがない。


「……また今度でいい」

「ほんとにごめんね。今度ちゃんと聞くから」

「いいよ。検診、行ってこい」

「うん。ありがとう、鈴木くん」


 鮎川が急いで屋上を出ていく。階段を降りる足音が遠ざかっていく。かつ、かつ、かつ。白杖の音。いつもよりテンポが速い。急いでいる証拠。

 一人残された屋上。

 夕日が沈んでいく。茜色がだんだん暗くなっていく。

 翔太のノートの切れ端がポケットに入っている。『デッドフィッシュ魂を見せろ』。見せられなかった。デッドフィッシュ魂はスマホの着信音に負けた。

 フェンスに寄りかかった。金属の冷たさが背中に伝わる。

 さっきまで鮎川がいた場所。鮎川の体温がまだ残っている気がする。ジャスミンの匂いが、まだ微かに漂っている。

 オレは空を見上げた。

 西の空に、一番星が光り始めていた。まだ薄明るいのに、一つだけ先走って光っている。せっかちな星。

 ……オレもせっかちだったのかもしれない。

 いや、逆だ。遅すぎたのかもしれない。もっと早く言えていたら。体育祭の日に言えていたら。いや、もっと前に。五月に気持ちを認めた瞬間に。

 でも、鮎川が言っていた。「すぐに手に入る恋は本物じゃない」と。

 急がなくていい。そう思っていたはずだ。なのに、いざチャンスが来ると焦る。焦って、空回りする。

 口から、ぽつりと出た。


「……骨折り損だ」


 誰もいない屋上に、その呟きが吸い込まれていった。

 風が吹いた。六月の風。まだ乾いているけど、どこか湿り気を帯び始めている。梅雨の前触れだ。

 告白未遂、二回目。

 恋の骨折り損。シェイクスピアは正しかった。骨を折っても折っても、報われない。

 一回目は蓮。二回目は母親の電話。

 神様がいるなら、オレの告白を邪魔するのが趣味なんだろう。

 いや、神様じゃない。たぶんシェイクスピアだ。四〇〇年前のイギリス人が、天国からオレの恋を観察して台本を書いている。「まだ早い。もうちょっと引っ張ろう」とか言いながら。

 ……勝手にしてくれ。

 でも、まだ諦めない。

 諦めないぞ。

 

 帰り道は一人だった。

 鮎川は病院に行った。いつもの帰り道を一人で歩く。白杖の音が聞こえない帰り道は、やたら静かだ。

 アジサイが咲いている。紫が深い。雨がまだ降っていないのに、もう完全に咲ききっている。

 このアジサイの色を鮎川に伝えたい。「今日のアジサイは紫が濃い。堂々としてる」って。

 でも隣に鮎川はいない。

 一人の帰り道がこんなに寂しいとは。

 四月の頃は毎日一人で帰っていたはずなのに、たった二か月で「一人」が寂しくなった。鮎川がいない帰り道は、景色に意味がなくなる。アジサイはただのアジサイで、夕日はただの夕日で、空はただの空だ。

 鮎川がいるから、景色に言葉が生まれる。鮎川がいるから、オレの目は世界を見る意味を持つ。

 ……依存しすぎかもしれない。

 でも依存じゃない。これは恋だ。翔太がそう言った。シェイクスピアもそう言った。

 恋は一種の狂気。

 狂っているのかもしれない。でも、この狂気は心地いい。

 スマホが震えた。鮎川からの音声メッセージ。

 

『鈴木くん、さっきはごめんね。検診終わったよ。目は異常なしだった。ねえ、さっきの話って何だった? 気になってるの。鈴木くんの声、すごく真剣だったから』


 真剣だった。そりゃそうだ。告白しようとしてたんだから。

 返事を打つ。何を書くか、一〇分悩んだ。結局。


『検診異常なしでよかった。話はたいしたことない。今度話す』


 「今度話す」。いつの今度だ。自分でも突っ込みたい。

 鮎川から返事が来た。音声メッセージ。


『そっか。よかった。あ、鈴木くん。今日の帰り道の景色、教えてくれなかったね。明日は教えてね。楽しみにしてる』


 楽しみにしてる。

 鮎川はオレの景色の話を、楽しみにしている。

 明日も帰り道を一緒に歩いてくれる。景色を聞いてくれる。

 この日常は、壊れていない。

 告白に失敗しても、日常は続いている。

 ……もしかしたら、告白しても壊れないのかもしれない。

 いや、希望的観測はやめよう。でも、少しだけ希望が持てた。

 

 翌日。木曜日の昼休み。


「……マジかよ。二連続で失敗?」


 翔太が信じられないという顔をしていた。


「今度は母親の電話だ」

「タイミング悪すぎるだろ。お前の恋はシェイクスピアに脚本書かれてんのか」

「たぶん書かれてる」

「自覚あるんだ」


 翔太が腕を組んだ。


「直接告白が二連敗。正面突破は無理ってことだ。作戦変更だな」

「作戦変更?」

「手紙にしろ。前に言っただろ、点字の手紙。直接言えないなら、書いて渡せ。手紙なら邪魔が入らない。渡すだけだから、タイミングに左右されにくい」

「……手紙か」


 点字の手紙。

 鮎川の言語で、気持ちを伝える。

 直接言う勇気はまだ足りない。二回やって二回とも失敗した。タイミングの問題もあるけど、たぶん、オレ自身がまだ言葉を持っていないのだ。

 「好き」と言うだけなら二文字で済む。でも、ただ「好き」と言うだけでは足りない。なぜ好きなのか。どう好きなのか。鮎川の何に惹かれたのか。

 それを言葉にしなきゃいけない。声で伝えるには、まだその言葉を見つけられていない。

 でも、手紙なら。

 時間をかけて、何度も書き直して、一番いい言葉を選べる。点字なら、一点一点に気持ちを込められる。

 何より――鮎川の指先に届く。鮎川が自分のペースで、何度でも読み返せる。声は消えるけど、点字は残る。

 やろう。


「翔太」

「おう」

「点字の手紙、書く」

「おっ、やるか! 期限は?」

「……来週中には」

「よし。期限決めたな。逃げるなよ」

「逃げない」

「約束だぞ。指切り」

「……小学生か」


 でも指切りした。翔太の小指とオレの小指が絡まる。男子高校生の指切りは、かなり間抜けな絵面だ。

 その週、学校ではいつもの日常が続いていた。

 授業を受けて、昼休みに鮎川と弁当を食べて、帰り道に景色を話す。何も変わらない。何も変えていない。

 でもオレの中では、小さな嵐が吹き荒れている。

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― 新着の感想 ―
前の方の話で手紙で告白するって決意を固めてたような気がするのに、なぜ直接告白しようってムードになってるのかがよく分からなかったです。 ただ、最近凄く気になっている作品なので、これからも面白い話を投稿し…
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