第41話 死んだ魚の恋作戦
嬉しいと感じている自分が、もう完全に恋の症状だとわかっている。末期だ。翔太の診断は正しかった。
「手紙っていう手もあるぞ」
「……手紙か」
「今どき手紙って逆に新鮮じゃね? 鮎川さん、シェイクスピアの時代が好きだろ? あの時代って手紙で告白するのが主流だったんだよ」
「翔太、いつからシェイクスピアの時代に詳しくなった」
「鮎川さんに鍛えられた」
手紙。たしかに悪くない。
でも、一つ問題がある。
「鮎川、目が見えないんだけど」
「あ」
翔太が固まった。
三秒の沈黙。
「……点字で書けばいいじゃん」
「オレ、点字書けないんだけど」
「じゃあ覚えろよ」
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないかもしれないけど、覚える価値はあるだろ。鮎川さんの言語で、鮎川さんに気持ちを伝えるんだぞ。めちゃくちゃロマンチックだ」
鮎川さんの言語で。
その言葉が、胸に刺さった。
鮎川は普段、日本語を話す。聞くのも話すのも日本語だ。でも、読む言語は点字だ。六つの点の組み合わせで文字を形作る、指先で読む言語。
オレはいつも、鮎川に「景色」を言葉で伝えてきた。声で、音で。
でも、もし点字で伝えることができたら――それは、鮎川の世界に一歩踏み込むことになる。声じゃなくて、指先で触れる言葉。鮎川が自分のペースで、何度でも読み返せる言葉。
……やるか。
やってみるか。
「じゃあ、点字を勉強する」
「おお! いいね! 応援するぞ!」
「ただし告白はまだしない」
「は? なんでだよ!」
「点字が書けるようになるまで待つ。中途半端な点字で告白なんてしたくない」
「お前、そうやってまた先延ばしにするつもりだろ」
「先延ばしじゃない。準備だ」
「準備って言うけどさ、その間に御堂がまたアプローチしてきたらどうすんだ」
「……」
御堂蓮。
鮎川は「友達として」と答えた。でも、蓮は「諦めない」と言っていた。コンサートで断られても、たぶんまた何かアクションを起こしてくる。
蓮は行動の人だ。点字を打ち、マップを作り、コンサートに誘い、断られても笑顔で受け止める。あの男の行動力に比べたら、オレなんてカメどころかナメクジだ。
でも。
「……御堂は御堂。オレはオレだ」
「かっこいいこと言うじゃん」
「かっこよくない。ただ、オレのペースでやるしかない。御堂と同じ土俵で戦っても勝てない。だから、オレにしかできないやり方でやる」
「オレにしかできないやり方って?」
「……景色と、点字」
翔太がニヤリと笑った。
「いいねえ。死んだ魚の恋の作戦、開始だ」
「作戦名つけるな」
昼休みが終わるチャイムが鳴った。唐揚げを急いで口に放り込む。冷めた唐揚げは味が薄い。
翔太が立ち上がりながら、ぼそっと言った。
「なあ湊」
「ん」
「お前が好きって言えるようになったの、ちょっと嬉しいよ。お前、ずっと何にも興味なさそうにしてたからさ。死んだ目で世界見て、何にも心動かないみたいな顔して。……でも今、お前の目、ちょっとだけ生きてるぞ」
「……」
「ちょっとだけな。まだ七割は死んでるけど」
「それ褒めてるのか貶してるのかわかんない」
「褒めてんだよ。三割の生存率は立派だ」
翔太が笑って教室に戻っていった。
三割の生存率。
五月の終わりには一割くらいだったから、着実に生き返っている。
このままいけば、夏には五割くらいになるかもしれない。半分生きてる目。それでも世間的にはまだ死んだ魚だろうけど、オレにとっては大躍進だ。
鮎川の力は偉大だ。死んだ魚を三割も蘇生させた。
……あの子はたぶん、自分がどれだけの奇跡を起こしているか、知らない。




