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死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第3章 恋の骨折り損(Love's Labour's Lost)

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第40話 死んだ魚が、海を目指し始めた

 その夜。

 自室。ベッド。天井。蛍光灯。

 いつもの配置。いつもの景色。何も変わらない部屋。

 でも、オレの中は全然変わらなくない。

 体育祭の練習で、鮎川の声を聞いた。「鈴木くん、がんばれー!」。あの声がまだ耳の奥で残響している。鮎川の声には余韻がある。音楽みたいに、鳴り終わった後も空気を震わせ続ける。

 走ったあとの笑顔。「鈴木くんの足音、聞こえたよ」。

 あの笑顔が目の裏に焼きついている。

 五月に好きだと認めた。認めて楽になったと思った。でも違った。認めたら、もっと苦しくなった。

 鮎川が笑うたびに胸が痛い。話しかけてくれるたびに心臓が跳ねる。名前を呼ばれるたびに体温が上がる。

 認める前は、この感覚に名前がなかった。名前がないから、やり過ごせた。

 でも今は名前がある。

 好き。

 たった二文字のくせに、こんなにも重い。

 枕に顔を埋めた。スマホの画面が光っている。鮎川とのメッセージ履歴が表示されている。最後のやりとりは今日の夕方。


『今日の練習お疲れさま。本番も頑張ってね』

『おう』


 おう。

 二文字。なんだよこの返事。コミュニケーション能力ゼロか。

 もっと気の利いたことが言えただろう。「鮎川さんの応援のおかげで速くなった」とか。「応援してくれるの嬉しい」とか。

 でも、打てなかった。指が動かなかった。好きだと認めてからというもの、鮎川へのメッセージを打つのに異常な時間がかかるようになった。たった一行を打つのに一〇分悩む。送信ボタンを押すのにさらに五分。

 恋って、人間を非効率にする病気だ。

 天井を見つめながら、今日一日を振り返る。

 鮎川の声。足音を聞き分ける耳。練習後の笑顔。「ギア? 車みたいだね」のあの声。

 全部が鮮明で、全部が眩しくて、全部が痛い。

 好きだ。

 好きだ。

 もう何回目かわからない。心の中で繰り返す。声には出さない。一人の部屋で、天井に向かって、無言で。

 でも――五月に認めたときとは、何かが違う。

 あのときは「認めた」だけだった。好きだという事実を、頭で理解しただけだった。

 今は違う。体が知っている。

 声を聞くと足が速くなる。笑顔を見ると心臓が跳ねる。名前を呼ばれると体温が上がる。体の全部が「鮎川愛が好きだ」と叫んでいる。

 頭で認めたのが五月。

 体が認めたのが――今日だ。

 ……あ、これ、もう戻れないやつだ。

 オレ、完全に恋してる。

 死んだ魚が、一匹の魚のために海を目指し始めた。

 ……泳ぎ方も知らないのに。


 木曜日の昼休み。

 翔太が弁当を持ってオレの前に座った。いつもの位置。いつもの顔。でもオレは、いつもと違う話を切り出すために、朝から胃が痛い。


「翔太」

「おう」

「……相談がある」

「おー、珍しいな。なんだ?」


 翔太の目が少し真剣になった。オレが「相談」という単語を使うのは、年に一回あるかないかだ。

 弁当の蓋を閉じた。唐揚げが三つ残っているが、今はそれどころじゃない。


「……オレ、鮎川のことが好きだ」


 言った。

 声に出して、はっきりと。人に向かって、初めて。

 翔太が――一瞬止まった。箸を持ったまま、固まった。

 三秒くらいの沈黙。

 そして――。


「やっっっっと認めたかーーー!」


 教室中に響く大声。いくつかの頭がこちらを向いた。


「声がでかい」

「でかくもなるわ! 何か月かかってんだよ! 四月からだぞ!? 二か月以上だぞ!? オレがどれだけやきもきしたか知ってるのか!?」

「知らん」

「知れよ! お前の恋愛進捗を見守るのがオレの日課になってたんだぞ! 毎日毎日『今日こそ認めるか?』『まだか?』って! 安藤とグループチャットで実況してたんだぞ!」

「実況すんな」


 翔太が感極まったように拳を握りしめた。なぜか目が潤んでいる。


「で、告白するのか?」


 その一言で、オレは固まった。

 告白。

 好きだと認めたなら、次のステップは告白だ。当然の流れだ。

 でも。


「……告白って、何を言えばいいんだ」

「は?」

「だから、具体的に何て言えば」

「いや……『好きです』とか『付き合ってください』とか」

「『好きです』って言って、そのあとどうなるんだ。相手が黙ったらどうする。笑われたらどうする。困った顔をされたらどうする」

「いやそこまでシミュレーションしなくても」

「する。しないと怖い」


 翔太が額に手を当てた。「こいつ……」と呟いている。


「まずさ、形から入ろう。告白の方法。直接言うか、手紙か、メッセージか」

「直接がいいだろ」

「だよな。じゃあ場所。屋上? 放課後の教室? 帰り道?」

「帰り道は……なんか違う。いつもの延長みたいで」

「じゃあ屋上か教室だな。放課後、二人きりになれるタイミングで」

「鮎川は、放課後は凛と一緒にいることが多い」

「凛ちゃんは空気読めるから、頼めば席を外してくれるだろ」

「頼めない」

「なんでだよ」

「凛に『鮎川さんに告白するから席を外してくれ』って言うのか? 無理だ。死ぬ」

「お前の死ぬのハードル低すぎないか」


 翔太が腕を組んで考え込んだ。真剣な顔をしているが、恋愛経験ゼロの男が腕を組んでも出てくるのは空論だけだ。

 でも、オレも恋愛経験ゼロだから、空論を交わし合うしかない。ゼロとゼロの足し算。答えはゼロ。

 翔太が何かを思い出したように指を鳴らした。


「そういえば、安藤が言ってたんだけど、鮎川さん最近お前の名前よく出すらしいぞ」

「……は?」

「安藤が鮎川さんと話してたとき、『鈴木くんがこう言ってた』『鈴木くんがこの前こんな景色を教えてくれた』って、やたらお前の名前が出るんだと。安藤が数えたら、一〇分の会話で七回」

「数えるな」

「安藤だからな。数えるんだよ。しかもメモしてる。グルチャに『鮎川さんの鈴木くん言及回数、本日七回。新記録』って送ってきた」

「おい……」

「まあ、脈ありってことだろ」

「脈ありとかそういう問題じゃなくて、安藤の行動が怖い」

「安藤はな、お前と鮎川さんを見守る会の会長だからな」

「なんだよその会」

「メンバーはオレと安藤。二人だけの秘密結社。活動内容は湊と鮎川さんの恋愛進捗の観測および促進」

「解散しろ」


 翔太が大笑いした。弁当のおかずがころんと転がった。

 ……でも、鮎川がオレの名前をよく出しているという情報は、正直、嬉しかった。

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