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死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第3章 恋の骨折り損(Love's Labour's Lost)

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第39話 見えすぎる目が、全部を捉えてしまう

 恋をする者の目は、鷲をも目くらますほどの輝きがある――ウィリアム・シェイクスピア『恋の骨折り損』

 六月。

 梅雨は来なかった。

 天気予報は「今週にも梅雨入り」と言い続けているのに、空はしつこく晴れている。青くて高くて、雲一つない。まるで何かを試しているみたいに、太陽がじりじりと教室の窓から照りつけてくる。

 六月の初め。体育祭の準備期間。

 三波高校の体育祭は六月の第二土曜日に行われる。梅雨入り前にぶつけるのが恒例で、毎年だいたいギリギリのタイミングで晴れる。晴れ男がいるとか、体育教師が雨雲を睨みつけてるとかいう都市伝説があるらしいが、たぶんただの運だ。

 で、その体育祭の準備が――正直に言って、面倒くさい。

 クラス対抗リレー。騎馬戦。大縄跳び。応援合戦。担任の藤原先生が「みんなで力を合わせて頑張りましょう!」と目を輝かせていたが、オレの死んだ目には何も響かない。

 ――はずだったんだけど。


「鈴木くん、リレー出るんだよね?」


 鮎川が隣の席から声をかけてきた。

 放課後のホームルーム後。教室はまだざわついていて、体育祭の役割分担を話し合っている。


「……まあ。人数合わせで」

「すごいね。走るの速いの?」

「速くはない。遅くもない。普通」

「普通って言うけど、桐谷くんが言ってたよ。鈴木くん、リレーの候補に選ばれたって」


 翔太、余計なことを言うな。

 クラス対抗リレーのメンバー選出で、「まあまあ走れるやつ」として名前が挙がっただけだ。足が速いわけじゃない。ただ、断る理由もなかった。

 鮎川が嬉しそうに笑った。


「わたし、応援するね。鈴木くんの番になったら、一番大きい声で応援する」

「……別にいい。普通にしてろ」

「えー、ダメだよ。応援ってすごいんだよ? 声を出すと、出してる方もテンションが上がるの。音のエネルギーって、物理的に体に影響するんだから」

「物理的って……」

「本当だよ。低い周波数の音は体を震わせるし、高い周波数の音は脳を活性化させるの。応援の声が高いのは、理にかなってるんだよ」


 鮎川の絶対音感講座が始まってしまった。一度スイッチが入ると止まらない。

 でも、嫌じゃなかった。

 五月の終わりに、オレは一つの感情を認めた。

 好きだ、と。

 鮎川愛のことが好きだと。

 心の中で認めてから、もう一週間以上が過ぎた。

 認めた瞬間は――正直、楽になった。ずっと抱えていた重石を下ろしたみたいに、息がしやすくなった。否定し続けるのはエネルギーがいるけど、認めてしまえばその分が浮く。

 問題は、認めた後だった。

 認めた後のオレは――どうすればいいのか、まったくわからない。

 好きだ。それはわかった。じゃあ次は? 告白? いつ? どうやって?

 死んだ魚が恋をしたところで、泳ぎ方を知らない。水族館のガラスの向こうで、海を眺めているだけだ。


 体育祭の練習は放課後に行われる。

 水曜日。クラス対抗リレーの練習。グラウンドに各クラスのメンバーが集まって、バトンパスの確認をしている。

 オレは第三走者。四人中の三番目。一番目立たないポジション。アンカーでもなく、スタートでもない。死んだ魚にはちょうどいい。

 応援席のベンチに、鮎川がいた。

 凛が隣に座って、ときどき状況を説明している。「今、男子がバトンパスの練習してる」「桐谷くんがバトン落とした」「先生が怒ってる」。凛にしては饒舌だ。体育祭の雰囲気が、少しだけ凛の口を軽くしている。

 練習が始まった。

 第一走者がスタートして、第二走者にバトンが渡る。第二走者が走ってきて、オレの番。

 バトンを受け取る。走る。特に何も考えない。ただ走る。グラウンドの土を蹴って、前を見て、腕を振る。

 そのとき――。


「鈴木くん、がんばれー!」


 鮎川の声が、グラウンドに響いた。

 大きな声。澄んだ声。他の誰の声にも埋もれない、一本の矢みたいにまっすぐ飛んでくる声。

 鮎川は応援席で立ち上がっていた。両手を口の横に当てて、メガホンの形を作って、全力で叫んでいる。

 ――うるさいくらいだ。

 でも、足が速くなった。自分でもわかるくらい、加速した。

 何で。意味がわからない。鮎川の声を聞いたら、足が勝手に動いた。心臓がドクンと跳ねて、血が全身を巡って、筋肉に酸素が行き渡ったみたいに、体が軽くなった。

 バトンを第四走者に渡した。タイムは悪くなかった。少なくとも足を引っ張ってはいない。

 息を切らしてベンチに戻ると、鮎川がそこにいた。


「鈴木くんの足音、聞こえたよ」

「足音?」

「うん。最初は普通だったのに、途中からすごく力強くなった。ダダダダッて。地面を蹴る音が変わったの。あれ、何があったの?」


 何があったか。

 お前が叫んだんだよ。お前の声が聞こえたから、足が勝手に動いたんだよ。

 とは言えない。


「……別に。ギアが入っただけだ」

「ギア? 車みたいだね」

「人間にもギアはある。たぶん」

「面白い」


 鮎川が笑った。

 目を閉じたまま、口角を上げて、ふわっと笑った。練習で汗をかいた六月の午後に、その笑顔は反則だった。

 頬に汗が一筋流れていた。髪が少し乱れていた。応援で声を張ったせいか、唇がほんの少し赤い。

 見るな。見るな。

 見えすぎる目が、全部を捉えてしまう。

 死んだ魚の目のくせに、鮎川のことだけは細部まで鮮明に映す。瞳孔が勝手に開く。オートフォーカスが鮎川にだけ合う。

 視力一・五以上の目が、こんなとき恨めしい。


「ねえ、鈴木くん。本番も応援するね。一番大きい声で」

「……やめてくれ。恥ずかしい」

「恥ずかしいの? でもさっき、わたしの声で速くなったでしょ?」

「なってない」

「なったよ。足音が証拠」


 耳がいい子に嘘は通じない。

 何も言い返せなくて、オレは水筒の水を飲んだ。ぬるい水が喉を通る。六月の太陽が暑い。

 隣で凛が文庫本を読みながら、小さく呟いた。


「……バレバレ」


 凛にも見抜かれている。

 死んだ魚は、もう死んでない。周りの全員がそれに気づいている。当の本人である鮎川だけが――たぶん――まだ気づいていない。

 いや、鮎川は本当に気づいていないのか。

 この子は声で嘘を見抜く。心拍数の変化を聞き取る。オレの声が高くなっていることも、呼吸が乱れていることも、全部わかっているはずだ。

 わかっていて、知らないふりをしているのか。

 それとも――わかっていて、答えを保留しているのか。

 どちらにしても、オレには手の打ちようがない。

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