表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第1章 恋は盲目(Love is blind)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/43

第4話 倒れるあの子と、伸ばす手

 午後の授業が始まる。

 五時間目は現代文で、先生が太宰治の「走れメロス」について話していた。友情と信頼の物語。セリヌンティウスはメロスを信じて待ち続けた。メロスは約束を果たすために走り続けた。

 オレはぼんやりと教科書を眺めながら、走る理由がある人はいいなと思った。走る理由どころか、歩く理由すらない。毎日学校に来て、授業を受けて、帰る。その繰り返しに何の意味があるのか、考えたこともない。

 先生が「この作品で太宰が描きたかったものは何だと思いますか」と教室に問いかけた。しばらく沈黙が流れたあと、鮎川が手を挙げた。


「はい、鮎川さん」

「信じるということは、相手のためじゃなくて、自分のためだと思います。メロスが走ったのは、友達を裏切りたくないからじゃなくて、友達を信じる自分を裏切りたくなかったからだと思います」


 教室が少しだけ静かになった。先生が「面白い解釈ですね」と頷く。

 オレは隣を見た。鮎川は閉じた目のまま、少し照れくさそうに微笑んでいた。

 転校初日でこの堂々とした発言。頭がいいのは聞いていたけど、度胸もあるらしい。

 六時間目は英語だった。教科書の音読で、先生が生徒をランダムに当てていく。鮎川が当たったとき、彼女は点字のテキストを指先でなぞりながら、よどみなく英文を読み上げた。発音がきれいだった。耳がいい人間は、外国語の発音も上手になるのかもしれない。

 授業中、何度か視線を感じた。クラスメイトの何人かが、鮎川とオレを交互に見ている。隣同士の席で、転校生と「死んだ目」。注目されるのは仕方ないが、正直うっとうしい。

 隣では鮎川が音声教材をイヤホンで聴きながら、点字タブレットにメモを取っていた。その横顔が、窓から差し込む午後の光に照らされている。

 閉じた目。長いまつげ。少しだけ上を向いた鼻先。真剣な表情をしていると、朝の笑顔とはまた違う雰囲気がある。

 ――なんだ。

 考えるより先に、目が鮎川を追っていた。

 オレの死んだ目が、隣の席の女子を見ていた。

 意味なんてない。隣に座っているから、視界に入っているだけだ。それだけのこと。

 ……それだけの、ことだ。


 六時間目が終わり、放課後になった。

 教室があっという間に騒がしくなる。部活に行く者、帰り支度をする者、おしゃべりに花を咲かせる者。放課後の教室は、一日の中で一番人間らしい時間だとオレは思う。みんな授業中は仮面をかぶっているけど、チャイムが鳴ったとたん、素の顔に戻る。

 オレは鞄に教科書を詰めながら、翔太を待った。いつもは翔太と一緒に帰る。翔太はサッカー部だが、今日は部活が休みだ。


「湊ー、帰ろうぜ」

「おう」


 翔太と並んで教室を出る。廊下を歩き、昇降口で靴を履き替え、正門をくぐる。いつもの帰り道。いつもの景色。いつもの退屈。

 正門を出て少し歩いたところで、オレは足を止めた。

 前方に、白杖が見えた。

 鮎川愛が、一人で歩いていた。

 白杖を左右に振りながら、慎重に歩道を進んでいる。その動きは朝教室で見たときと同じように流暢だったけど、ときどき杖の先が何かに引っかかって、体がわずかに揺れる。

 学校の周りの道は、まだ不慣れなんだろう。盲学校とは違い、点字ブロックが途切れている場所もある。車の音、自転車のベル、通行人の足音。情報が多すぎて処理しきれていないように見えた。


「鮎川さん、一人で帰るのか?」


 翔太がオレの視線の先に気づいて言った。


「みたいだな」

「大丈夫かな」

「さあ」


 大丈夫だろう。白杖を使い慣れている人間だ。道だっていずれ覚える。オレが心配することじゃない。

 ――そう思って、歩き出した。

 翔太と他愛ない話をしながら、五〇メートルくらい後ろを歩く。別に鮎川を追いかけているわけじゃない。たまたま同じ方向なだけだ。

 そのときだった。

 鮎川の白杖が、段差を捉え損ねた。

 歩道と車道の間にあるわずかな段差。ほんの数センチの高低差だが、目の見えない人間にとっては崖みたいなものかもしれない。杖が空を切り、鮎川の体が前につんのめる。

 大きくよろめいて、倒れかけた。

 考える前に、体が動いていた。

 気づいたときには、オレは鮎川の腕を掴んでいた。引っ張り戻すように支え、倒れるのを寸前で防ぐ。

 鮎川がびくっとして、体をこわばらせた。


「……っ、大丈夫か」


 声をかけると、鮎川はこわばりを解いて、こちらに顔を向けた。


「あ……ありがとう。えっと、誰……?」

「鈴木」

「鈴木くん!」


 声のトーンが一気に明るくなった。


「ありがとう、助かった。ちょっと段差に気づかなくて……」

「この辺、道がちょっとガタガタしてるからな。学校周辺にしては不親切な道だ」

「まだ慣れてなくて。盲学校の近くは点字ブロックがしっかりあったんだけど、ここは途切れてるところが多くて」


 鮎川は苦笑しながら白杖を持ち直した。額にうっすら汗がにじんでいる。初めての道を一人で歩く緊張感が、表情に滲んでいた。

 翔太がにやにやしながら後ろから追いついてくる。


「おお、ナイスキャッチ」

「うるせえ」

「で、どうすんの?」


 翔太がオレを見る。鮎川を見る。またオレを見る。

 何を期待しているんだ、こいつは。

 オレは少し迷って――ほんとうに少しだけ迷って――口を開いた。


「……途中まで同じ方向だから、一緒に帰るか」


 翔太の顔がぱあっと輝いた。お前が嬉しそうにしてどうする。


「え、本当に? いいの?」


 鮎川が嬉しそうに聞く。


「同じ方向だし」

「ありがとう! じゃあお願いしていい? わたし、声のする方に歩くから、鈴木くんは普通に歩いてくれるだけでいいよ」

「ああ、わかった」


 翔太がオレの耳元で「お、珍しいじゃん。やるね」と小声で囁く。無視した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ