第3話 生まれつき仲間
昼休みになると、予想通り鮎川の席の周りに人だかりができた。
好奇心旺盛なクラスメイトたちが、わっと集まってくる。
「鮎川さん、どこから来たの?」
「盲学校ってどんなところ?」
「白杖って重い?」
「目、ずっと閉じてるの? 開けることはあるの?」
質問の嵐。デリカシーのない質問も混じっている。
でも、鮎川は嫌な顔ひとつしなかった。
「ずっと市内の盲学校に通ってたの。白杖はね、軽いよ。折りたたみもできるんだよ、便利でしょ? 目はね、開けようと思えば開くんだけど、見えないから閉じてるほうが楽なの。でも眼球はちゃんとあるよ!」
あっけらかんと笑う。質問した側のほうが恐縮するくらいの明るさだ。
オレは人だかりを避けて、教室の隅の自分の席で弁当を広げた。
いつもの光景。翔太はサッカー部の連中と食堂に行ったし、オレは一人で弁当を食べる。別に寂しくはない。一人の昼飯は静かで落ち着く。
そう思っていたら――。
「鈴木くん」
声がした。あの澄んだ声。
顔を上げると、鮎川が白杖を手に、オレの前に立っていた。人だかりはいつの間にかはけていた。
「お昼、一緒に食べない」
「……え?」
「一人でしょ? 声がしなかったから、たぶん一人だなって」
声がしなかったから。
つまり、誰かと喋っていれば声が聞こえるし、聞こえなかったということは一人だと判断したわけだ。
……鋭い。
「別にいいけど。椅子、そこ」
向かいの席を引いてやると、鮎川は杖の先で位置を確認してからすとんと座った。弁当箱を鞄から取り出し、蓋を開ける。
オレの弁当は母さんの手作り。鮎川の弁当も手作りっぽい。
「いただきます」
鮎川が手を合わせて、器用に箸を使っておかずをひとつつまむ。
しばらく二人で黙々と食べていた。沈黙が苦にならないのは、オレがもともと無口だからだ。
でも鮎川のほうは、黙っていられない性格らしい。
「ねえ、鈴木くん」
「ん」
「鈴木くんも、目が見えにくいの?」
箸が止まった。
「え?」
「あの……さっき、みんなが鈴木くんの目が死んでるって言ってたでしょ? それって、鈴木くんも目に障害があるってこと?」
オレは数秒間、ぽかんとした。
目が死んでる=目に障害がある。
なるほど。言葉だけ聞けば、そう解釈するのも無理はない。とくに目が見えない人にとっては、「目が死んでいる」は文字通りの意味に聞こえるだろう。
「いや、オレの目は普通に見えてる。両目とも一・五以上あるけど」
「え? でも死んでるって……」
「なんていうか……見た目の問題。生気がないとか、感情が見えないとか、そういう意味で死んでるって言われてる」
一拍、間があった。
そして――。
「……ぷっ」
鮎川が吹き出した。
「あはは、そういう意味だったんだ! わたし、てっきり鈴木くんも目が見えないのかと思った!」
「見えてるよ。めちゃくちゃ見えてるよ」
「じゃあ死んでないじゃん! 目、ちゃんと生きてるじゃん!」
ケラケラと笑う。お腹を抱えて、肩を震わせて、涙が出そうなくらいに笑っている。
……ここまで笑うか?
でも不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。
オレの「死んだ目」をネタにされるのは慣れている。翔太にも毎日いじられるし、クラスの連中にも後ろ指をさされる。でもそれは大抵、からかいとか、軽い悪意を含んでいる。
この子の笑いには、それがない。
純粋に「勘違いしちゃった、おかしい」と笑っているだけだ。裏も表もない、ただの笑い声。
その笑い声が、やけに教室に響いた。
「ごめんね、笑っちゃって。でも面白い。目がちゃんと見えてるのに死んでるって、なんかすごいね」
「すごくはないだろ」
「すごいよ。だって矛盾してるもん。見えてるのに死んでる。わたしは見えないけど生きてる。面白いね、わたしたち」
「面白くはない……」
鮎川はまだ笑いの余韻を残しながら、ふと真顔に近い表情になった。真顔と言っても、目は閉じたままだから、口元がきゅっと引き締まっただけだけど。
「じゃあ、鈴木くんの目はどうして死んでるの?」
無邪気な質問。悪意のかけらもない声色。
「……知らねえよ。生まれつきだ」
「生まれつき?」
「ああ。物心ついたときから、ずっとこの目。自分ではよくわからない。鏡見ても普通だと思うんだけど、周りからは死んだ魚みたいだって言われ続けてきた」
「生まれつき、かあ」
鮎川は何かを噛みしめるように、その言葉を繰り返した。
そして、ぱっと笑顔になる。
「わたしと一緒だね。生まれつき仲間だ!」
「……いや、オレのは病気じゃないんだけど」
「そうなの? じゃあ、もっと仲間だよ」
「え? なんで?」
「だって、わたしも自分のこと、病気だなんて思ってないもん」
――一瞬言葉が出なかった。
目が見えないことを、病気だと思っていない。
それは単なる強がりとか、ポジティブシンキングとかいう薄っぺらい話じゃない気がした。鮎川愛という人間の芯にある何かが、今の一言に凝縮されていた。
見えないことが普通。それが自分の世界。生まれたときからずっとそうだから、それがデフォルトなのだ。
同じように、オレも生まれたときから目が死んでいる。それがオレのデフォルト。
生まれつき仲間。
……なるほど。言われてみれば、たしかに似ているのかもしれない。
「わたしね、目が見えないことを不便だとは思うけど、不幸だとは思わないの。だって、見えない代わりに聞こえるものがいっぱいあるから。鈴木くんも、目が死んでる代わりに何かあるんじゃない?」
「代わりに……?」
「うん。何かが欠けてる人は、何かが満たされてるんだよ。わたしはそう思ってる」
……なんだ、この子。
目が見えないのに、オレよりずっとまっすぐだ。オレよりずっと深いところを見ている。
弁当を食べ終えて、鮎川が手を合わせる。「ごちそうさまでした」。
オレも遅れて手を合わせた。
「ねえ、鈴木くん」
「なに」
「わたし、この学校に来てよかった。だって初日に面白い人に出会えたから」
「面白くはないって言っただろ」
「面白いよ。目が見えてるのに死んでるなんて、わたし初めて聞いた」
「それ、褒めてない」
「褒めてるんだよ。鈴木くん、変わってて面白い。わたし、変わってる人が好きなの」
好き、という単語が耳に残った。
……別に、そういう意味じゃないのはわかっている。「面白い人が好き」の「好き」だ。深い意味はない。
ないはずなのに。ほんの一瞬、鼓膜がぴくっと反応した気がした。
気のせいだ。




