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死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第2章 空騒ぎ(Much Ado About Nothing)

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32/40

第32話 死んだ魚が初めて泳いだ日

 駅で鮎川を改札まで送った。

 鮎川の母親が車で迎えに来るらしい。改札の外で待ち合わせだという。


「じゃあ、ここで」

「うん。今日はありがとう、鈴木くん。腕、つかまらせてくれて助かった」

「……別に大したことじゃない」

「大したことだよ。わたし、白杖で知らない場所を歩くの、本当は結構怖いの。でも、鈴木くんの腕に掴まってたら全然怖くなかった。安心した」


 安心。

 オレの腕に掴まって、安心した。

 その言葉が、胸の奥のいちばん柔らかい場所に、そっと落ちた。石でも棘でもない、羽毛みたいに軽く、でも確かな重みで。


「また行こうね。今度は、みんなも一緒に。……でも、二人でもいいかな」

「……ああ」


 鮎川が笑って手を振った。改札の向こうに消えていく。白杖のリズム。かつ、かつ、かつ。

 オレはしばらくその場に立っていた。

 右の腕に、まだ鮎川の手の温度が残っている。ブラウス越しの、小さくてあたたかい手。

 翔太にメッセージを打った。


『お前の作戦、バレバレだからな』

『お、どうだった? 楽しかった?』

『まあまあ』

『まあまあってことは最高だったんだな。お前の「まあまあ」は最上級の賛辞だからな。おめでとうベネディック!』

『うるせえ。あと安藤にも言っとけ、嘘の体調不良はバレてるぞ』

『あいつなら今頃ゲラゲラ笑いながらアイス食ってるよ。体調不良どこ行ったって感じだけどな笑』


 空騒ぎ。

 仕組まれた日曜日。ドタキャンされた五人の予定。残された二人のショッピングモール。

 全部、翔太と安藤の筋書き通りだ。オレたちは舞台の上で踊らされたわけだ。シェイクスピアの喜劇の登場人物みたいに。

 でも――踊らされたことを、怒る気にはなれなかった。

 だって、楽しかったから。

 鮎川と二人で過ごした日曜日は、一六年間の人生の中で、たぶん一番楽しい休日だった。

 フードコートでカツカレーを景色に変換したこと。雑貨屋でジャスミンのキャンドルを見つけたこと。音楽ショップでモーツァルトのテンポを分析したこと。

 そして――オレの腕に鮎川が掴まって歩いた感触。電車で肩がぶつかったときの、赤くなった耳。改札で「また行こうね」と笑った顔。

 全部、鮮明に覚えている。死んだ目なのに、今日の記憶だけはハイビジョン画質で脳裏に刻まれている。

 死んだ魚が初めて泳いだ日。

 もう――空騒ぎだなんて、嘘をつけそうにない。

 窓の外で、日曜日の夕暮れがゆっくりと沈んでいく。

 明日は月曜日。学校。教室。隣の席。

 鮎川に会える。

 そう思っただけで、心臓がほんの少しだけ速くなる。

 翔太、安藤、凛――あいつらの「空騒ぎ」は、確実にオレの心を揺さぶった。

 シェイクスピアが四〇〇年前に書いた通りだ。

 友達が仕組めば、意地っ張りな二人でも気づくことがある。

 自分の中にある、名前をつけたくなかった感情の正体に。

 空騒ぎの果てに残るのは――きっと、「何もない」じゃない。

 「すべてがある」のほうだ。

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