表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第2章 空騒ぎ(Much Ado About Nothing)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/42

第30話 あの子と食事をすることの不思議

 ショッピングモールの中を歩く。

 人が多い。日曜日のモールは家族連れやカップルでごった返していて、白杖での移動は大変そうだった。

 鮎川は慎重に歩いていたが、人波の中では杖が人にぶつかりそうになることがある。前から歩いてきたおばさんが、鮎川の白杖に気づかずにぶつかりそうになった。オレが咄嗟に鮎川の肩を引いて避けさせた。

 「ごめんね」と鮎川が小さく言う。ぶつかりそうになったのは相手のほうなのに、鮎川が謝る。白杖を持っているだけで、常に「すみません」と言い続ける生活。

 それを見ていたら、申し訳なさそうに「すみません」と言う鮎川を見ていたら、自然に体が動いた。

 自分の左腕を鮎川の前に差し出した。


「こっちのほうが歩きやすいだろ。腕、掴め」


 言ってから、心臓が跳ねた。何を言っているんだ、オレは。

 でも――鮎川は少し驚いた顔をしてから、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」


 鮎川の手がオレの左腕に添えられた。

 肘の少し上あたりを、軽く握る。視覚障害者を案内するときの正しい方法だと、ネットで調べた。半歩前を歩いて、段差や障害物を声で伝える。

 鮎川の手は小さくて温かかった。制服越しじゃなくて、ブラウスの薄い生地を通して、体温が伝わってくる。

 心臓がうるさい。うるさすぎる。鮎川に聞こえていないことを祈る――無理だ。この子の耳は心臓の音も拾うかもしれない。


「鈴木くん、緊張してる?」

「してない」

「嘘。腕の筋肉が硬い」

「もともと硬いんだ」

「ふふ」


 バレている。全部バレている。

 でも、鮎川はオレの腕から手を離さなかった。むしろ、少しだけ指に力が入った気がした。

 二人で並んで歩く。オレが半歩前。鮎川がオレの腕に掴まって、半歩後ろ。

 端から見たら――完全にカップルだ。

 周囲の視線を感じる。「あの二人、付き合ってるんだろうなあ」と思われているに違いない。否定する気力はもうない。

 エスカレーターの手前で立ち止まった。


「エスカレーター。上り。手すり、右側」

「うん」


 鮎川がオレの腕から手を離し、右手で手すりを掴む。白杖を左手にまとめて、ステップに乗る。オレは隣のステップに乗った。

 二階に着いて、また鮎川の手がオレの腕に戻った。自然に。当たり前みたいに。

 ――当たり前になっている。

 それがうれしいと思ってしまう自分に、もう抵抗するのをやめた。

 雑貨屋の前を通るとき、鮎川がふと足を止めた。


「あ、いい匂い。アロマキャンドルだ。ラベンダーと……レモングラス? あと、もう一個、何かの花。ジャスミンかな」

「……よくわかるな。一瞬で三種類」

「匂いは三種類までなら同時に判別できるよ。四種類以上になると混ざっちゃうけど」


 雑貨屋に入った。鮎川はアロマキャンドルのコーナーで、一つずつ匂いを嗅いでいる。


「これはカモミール。あったかくて甘い匂い。これはユーカリ。すっきりして冷たい匂い。これは――あ、ジャスミンだ」

「ジャスミン?」

「うん。覚えてる? 帰り道の生け垣に咲いてたジャスミン。あのときの匂いと同じ」


 覚えている。帰り道で、鮎川のために一輪摘んだジャスミン。「夜空の星を逆にしたみたい」と描写したら、「素敵だね」と笑った鮎川。

 鮎川がジャスミンのキャンドルを手に取って、大事そうに胸の前で抱えた。


「これ、買っていこうかな。あの帰り道を思い出せるから」

「……そうか」


 あの帰り道を思い出せるから。

 鮎川もあの日のことを覚えている。ジャスミンの匂い、星を逆にした花、ポケットにしまった一輪。

 オレだけが覚えているんじゃなかった。鮎川も、同じように覚えていた。

 それが――なんだか、すごくうれしかった。


 フードコートに着いた。

 天井が高い。吹き抜けの下にテーブルが並んでいて、周囲には和食、洋食、中華、エスニック料理の店が取り囲んでいる。

 鮎川が足を止めて、周囲の音に耳を澄ませた。


「わあ……すごい音。人の声と、食器の音と、換気扇の音と、BGMが全部混ざってる。でも場所によって音の構成が変わるの。あっちのほうは中華の鍋を振る音がするし、こっちのほうはコーヒーマシンの蒸気の音がする」

「……フードコートを音で楽しむ人間、初めて見た」

「でしょ? わたしにとってフードコートは、音のテーマパークなの」


 二人でテーブルについて、食事を注文する。オレはカツカレー、鮎川はオムライス。

 鮎川が運ばれてきたオムライスをスプーンですくい、口に運ぶ。

 食べる姿が――かわいかった。スプーンを口に入れる前に、少し匂いを嗅ぐ。一口食べて、咀嚼しながら眉が上がる。味を分析するように、表情がくるくる変わる。


「おいしい! 卵がふわふわで、中のチキンライスがちょっとピリ辛。ケチャップじゃなくてデミグラスソースだね。隠し味にバターが入ってる」

「……よくわかるな」

「舌が敏感なの。ねえ、鈴木くんのカツカレーはどんな味?」

「……辛い。でもうまい。ルーがさらっとしてて、カツはサクサク。普通にうまい」

「普通にうまい、か。鈴木くんの食レポって、景色の描写に比べると雑だよね」

「……うるせえ」

「ほら、景色を話すときは『ちぎれた綿みたいな雲』とか『夜空の星を逆にしたみたいなジャスミン』とか、すごく詩的なのに。食べ物になると『うまい。辛い。以上』になる」

「……食べ物と景色は違うだろ」

「同じだよ。五感で感じたものを言葉にするっていう意味では。じゃあ鈴木くん、カツカレーの味を景色みたいに描写してみて」

「え?」

「チャレンジ。ほら」


 無茶ぶりだ。でも鮎川が楽しそうにしているから、断れない。

 オレはカツカレーを一口食べて、考えた。味を景色に変換する。色を温度で伝えたように、味を景色で伝える。


「……辛さは、夏の日差しみたいだ。じりじりして、最初は痛いくらいだけど、だんだん慣れてくる。カツのサクサクは、枯れ葉を踏んだときの音に似てる。乾いてて、軽くて、気持ちいい。ルーのとろみは……川のゆるやかな流れ。速くはないけど、ちゃんと流れてる」

「……すごい。カツカレーが風景になった」


 鮎川が目を輝かせて――閉じてるけど、輝いている。表情でわかる――小さく拍手した。


「鈴木くんの才能だよ、それ。感覚を言葉に変換する力。わたしにはできないことだもん」

「別に才能じゃない。お前に聞かれるから考えるだけだ」

「それが才能なの。聞かれたときに、ちゃんと答えられるのが」


 鮎川と食事をすることの不思議。

 普段のオレは食事に興味がない。食べ物は栄養補給であって、味を楽しむものじゃない――そう思っていた。

 でも鮎川と一緒に食べると、味がはっきりする。カツカレーの辛さも、ルーのコクも、いつもの三倍くらい鮮明に感じる。

 これは――デートだろうか。

 デートじゃない。友達と遊びに来ただけだ。たまたま二人になっただけだ。

 ……たまたま、じゃない。仕組まれた。翔太と安藤に。

 でも結果として――楽しかった。認めたくないけど、楽しかった。鮎川と二人で食事をして、買い物をして、歩き回る。それが楽しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ