表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第2章 空騒ぎ(Much Ado About Nothing)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/40

第26話 見えすぎる目で、何も見ていない

 噂が広まった翌日から、オレと鮎川の周辺はにわかに賑やかになった。

 良く言えば「注目されている」。悪く言えば「見世物」。教室のどこにいても、誰かの視線を感じる。男子からは「やるな鈴木」「死んだ目のくせに」という冷やかしが飛んでくるし、女子からは「鮎川さんの気持ちはどうなの?」「鈴木くんって意外とアリかも」というひそひそ話が聞こえてくる。

 オレの死んだ目は、こういうとき便利だ。何を言われても表情が変わらない。心の中では一〇種類くらいの感情が渦を巻いているのに、顔面は徹底的に死んでいる。鉄壁のポーカーフェイス――ではなく、デッドフィッシュフェイス。

 鮎川はというと、相変わらずだった。噂なんてまるで気にしていない様子で、いつも通りオレに話しかけ、いつも通り景色を聞き、いつも通り笑っている。

 あの子のメンタルは鋼でできているのかもしれない。

 ただ一つ、気になることがあった。

 昼休みのあの日――安藤に耳打ちされた後の、ほんの一瞬の変化。箸の動きが止まって、口元がきゅっと引き締まった、あの瞬間。

 安藤は鮎川に何を吹き込んだのか。

 「鈴木くんが鮎川さんのこと意識してるみたい」――翔太とのやりとりから推測すると、そんな内容だったはずだ。

 それを聞いた鮎川は、どう思ったんだろう。

 「そんなわけないよ」と一笑に付したのか。それとも――。

 わからない。鮎川の心の中は、オレには見えない。見えすぎるこの目でも、人の心だけは見えない。


 そんな微妙な空気の中、御堂蓮の動きが加速していた。

 蓮は前からバリアフリーマップや点字メッセージで鮎川をサポートしていたけど、ここ数日でそのアプローチが明らかに積極的になった。

 月曜日。蓮が鮎川の机に新しい資料を置いていた。今度は教科書の一部を点字に変換したプリントだ。


「鮎川さん、来週の英語のテスト範囲、点字に起こしてみた。よかったら使って」


 鮎川が指先でプリントをなぞり、驚いた声を上げた。


「えっ、これ全部? 御堂くん、いつの間にこんなに……」

「昨日の夜、ちょっとがんばった。間違いがあるかもしれないから、確認してもらえると助かる」

「すごい……ありがとう、御堂くん。本当に助かる!」


 鮎川の声が弾んでいる。嬉しそうだ。本当に嬉しそうだ。

 オレは隣の席から、その光景を死んだ目で見ていた。

 蓮は完璧だ。頭が良いから、テスト範囲の英文を正確に点字に変換できる。手先が器用だから、きれいに打てる。そして何より、行動力がある。「やろう」と思ったことを、すぐに形にできる。

 オレにはそれができない。点字なんて読めもしないし、書けもしない。鮎川のために何か具体的なものを作ったことは一度もない。オレがやっているのは、帰り道で景色を話すこと。ただの言葉だ。形に残らない。消えていく。

 蓮が作ったマップやプリントは、ずっと残る。鮎川の手元に置かれて、毎日使ってもらえる。

 言葉は消えるけど、物は残る。

 そんなことを考えている自分が嫌になった。蓮は善意でやっている。悪い奴じゃない。むしろ、いい奴だ。それなのにオレは――。

 翔太がオレの背後から小声でささやいた。


「嫉妬してるだろ」

「してない」

「即答。怪しい」

「してないから即答なんだ」

「してないなら即答する必要がない。三秒くらい考えてから答えるのが自然だろ」

「……お前、いつからそんな分析力身につけた」

「鮎川さんの影響。声のトーンで嘘がわかるっての、オレも鍛えてみた」

「鍛えるな」

「遅い。もう鍛えちまった。お前、今、眉間に三ミリくらいしわが寄ってる。死んだ魚がしかめっ面してる。レア度高いぞ」

「寄ってない」

「寄ってる。御堂が鮎川さんと話し始めてから寄った。時系列が完全に一致してる」


 翔太のやつ、本当に観察力が上がっている。鮎川効果が周りにまで伝染しているのか。

 しかめっ面なんてしていない。オレの顔はいつも通り死んでいる。死んだ魚にしかめっ面はない。

 ……ないはずだ。


 火曜日。

 鮎川と蓮が放課後の教室で話しているのが見えた。

 蓮は椅子を鮎川の机の横に持ってきて、何かの資料を広げている。点字タブレットの使い方について相談しているらしい。蓮はタブレットの機能に詳しいようで、鮎川の操作をサポートしている。

 二人の距離が近い。蓮が鮎川のタブレットを指さしながら――いや、鮎川には「指さし」が見えないから、蓮は鮎川の手を取って、タブレットの画面上の位置を教えている。

 蓮の手が、鮎川の手に触れている。

 ほんの数秒。操作を教えるための、必要最低限の接触。何も不自然なことはない。

 なのに――オレの胸の奥で、何かがぎゅっと締まった。

 手。蓮が鮎川の手に触れた。小さくて白い、あの手に。虹の日にオレが握った、あの手に。

 あの手は――。

 やめろ。あの手はオレのものじゃない。鮎川の手は鮎川のものだ。誰が触れようとオレに口を出す権利はない。

 わかっている。頭では完璧にわかっている。

 なのに体が勝手に反応する。心臓が速くなり、呼吸が浅くなり、胸の奥がじわじわと熱くなる。

 教室を出ようとしたとき、蓮の声が聞こえた。


「鮎川さん、ここの設定を変えると、読み上げ速度が調整できるよ。もう少し遅くしたほうが聞き取りやすいかも」

「ほんとだ、すごい。御堂くん、こういうの詳しいね」

「うん、ちょっと調べたんだ。アクセシビリティ機能って、ちゃんと設定すれば結構便利なんだよ。あとね……」


 蓮が鞄から一冊のノートを取り出した。


「これ、鮎川さんが授業で使えるように、主要な科目のノートを点字に起こしてみた。まだ途中だけど」

「え……全教科分?」

「いや、まだ数学と英語だけ。他の科目は来週までに」

「御堂くん……いつそんなの作ったの?」

「夜、ちょっとずつ。点字打つの、最初は遅かったけどだいぶ慣れてきた」


 鮎川が本当に驚いた顔をしていた。閉じた目の奥で感情が動いているのが、表情のすべてに出ている。口元がわずかに震えて、それから大きな笑顔に変わった。


「ありがとう……。本当にありがとう、御堂くん。わたし、こんなにしてもらったの初めてだよ」

「大したことじゃないよ。鮎川さんのためなら何でもする」


 鮎川さんのためなら何でもする。

 蓮はその言葉を、真顔で、まっすぐに言った。

 その声には嘘がなかった。本気で言っている。鮎川のために何でもする。それが蓮という人間だ。

 翔太が言った。「お前、嫉妬してるだろ」。

 嫉妬。

 この感情には、もう名前がついている。

 オレは教室の入り口から踵を返して、廊下に出た。

 見ていられなかった。

 廊下の窓から見える夕焼けがきれいだった。でも今日は、その夕焼けを言葉にする相手がいない。鮎川は蓮と一緒だ。

 帰り道を一人で歩いた。

 街路樹の緑。夕焼けの空。塀の上の猫。全部見える。でも、言葉にする意味がない。聞いてくれる人がいないから。

 今まで当たり前だったことが、急に色あせる。

 鮎川がいない帰り道は、鮎川と出会う前の帰り道と同じだ。何も見えていない。見えすぎる目で、何も見ていない。

 死んだ魚に戻っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ