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死んだ魚のような目をしているオレは、盲目なあの子に恋をする。  作者: しましまましま
第2章 空騒ぎ(Much Ado About Nothing)

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第23話 もしかしたら

 校門で鮎川が待っていた。

 白杖を体の横に添えて、夕方の風に髪を揺らしている。オレの足音を聞いて、こちらに顔を向けた。


「あ、鈴木くん。遅かったね。桐谷くんと何の話?」

「大した話じゃない」

「声が荒い。走ってきたでしょ」

「ちょっと急いだだけだ」

「心拍数、上がってるよ。息が少し荒い」

「……お前は人間スキャナーか」


 鮎川が笑った。いつもの笑顔。閉じた目が細くなって、頬に小さなえくぼができる。

 その笑顔を見て――見えないはずの笑顔を、見て――オレの心臓がまた一つ跳ねた。

 くそ。翔太のせいだ。あいつが余計なことを言うから、鮎川の一挙一動が気になって仕方がない。

 意識するな。いつも通りにしろ。いつもの死んだ目でいろ。


「帰るか」

「うん」


 二人で歩き始めた。

 いつもの道。いつもの風景。でも今日は、何かが違う。

 翔太の言葉が頭の中でリフレインしている。


「鮎川さん、お前のこと好きらしいぞ」。


 嘘だとわかっている。わかっているのに、消えない。

 そして――安藤が鮎川に耳打ちした内容も気になっている。何を言ったのか。鮎川はあの後、少しだけ様子が変わった気がした。気のせいかもしれない。でも気のせいじゃないかもしれない。

 隣を歩く鮎川が、何かを話している。今日の授業のこと。数学のテストの予想問題のこと。体育で走ったときに聞こえた鳥の声のこと。

 普段ならちゃんと聞いているのに、今日は半分くらいしか頭に入ってこない。

 鮎川もどこか様子がおかしかった。いつもなら矢継ぎ早に質問してくるのに、今日は話と話の間に、少しだけ間がある。白杖のリズムも、ほんの少しだけテンポが遅い。


「……鈴木くん?」

「え?」

「聞いてなかったでしょ」

「聞いてた」

「嘘。わたし、今『もし宇宙人が来たらどうする?』って聞いたのに、鈴木くん何も反応しなかったよ」

「……いつそんなこと言った」

「三〇秒くらい前。テストだったの。やっぱり聞いてなかった」

「……悪い」

「何かあった? 桐谷くんと話してから、様子がおかしいよ。声のテンポが不自然に速いし、呼吸が浅い」


 全部バレている。

 この子の前では、嘘も隠しごとも無意味だ。声で、呼吸で、心拍数で、全部見抜かれる。


「……翔太が変なこと言ってきただけだ」

「変なこと?」

「気にしなくていい」

「気になるんだけど」

「だから気にするな」

「鈴木くんが気にするなって言うときは、だいたい気にしたほうがいいことなんだよ」


 ぐうの音も出ない。

 鮎川はそれ以上追及してこなかった。でも、こちらの異変に気づいていることは間違いない。この子の耳は嘘を許さない。

 黙って歩く。白杖の音。かつ、かつ、かつ。

 五月の風。ジャスミンの匂いは消えて、初夏の青い匂いがする。


「ねえ、鈴木くん」

「ん」

「今日はどんな景色?」


 日課の質問。いつものやつだ。

 オレは意識して深呼吸した。周囲を見回す。死んだ目で、でもちゃんと見る。

 ……あれ。

 いつもなら自然に出てくる言葉が、今日は出てこない。景色は見えている。街路樹の緑。夕焼けの空。塀の上の猫。全部見えている。

 でも、言葉にならない。

 頭の中が、鮎川のことでいっぱいだからだ。

 隣を歩く鮎川の横顔。風に揺れる髪。白杖を持つ細い指。閉じた目の、長いまつげの影。

 景色よりも、隣の人間のほうが目に入ってしまう。


「……鈴木くん?」

「ああ、悪い。えっと……」


 頑張って口を開いた。


「街路樹が濃い緑になってきた。アジサイの蕾がふくらんでて、あと一週間くらいで咲きそうだ。空は……オレンジと青の半々。雲が少しだけあって、薄いピンク色になってる。夕焼けとしては、この前のほうがきれいだったけど」

「この前のほう?」

「……前に、手のひらでオレンジの色を教えたとき」


 言ってから、しまったと思った。

 あの日のことを持ち出すべきじゃなかった。あの夕焼けの記憶は――オレにとって特別すぎる。


「覚えてるんだ。あの日のこと」

「……まあ」

「わたしも覚えてるよ。あったかいオレンジと、寂しい紫」


 鮎川が微笑んだ。

 柔らかい声。あったかい声。

 さっき翔太が言った言葉がよみがえる。「鮎川さんの声が変わる」。変わっているのか? 今の声は、いつもの声と違うのか?

 オレの耳では判別できない。鮎川ほどの聴覚がないオレには、声のわずかな温度変化は聞き取れない。

 でも。

 何かが――何かが、いつもと違う気がした。

 気のせいかもしれない。翔太の嘘に影響されて、何でもないことを特別に感じているだけかもしれない。

 でも――もしかしたら。

 いや、「もしかしたら」はやめろ。期待するな。死んだ魚に期待は似合わない。

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