第19話 あの子を見るときだけ目が光る
……鮎川に告白しようかな、と言われたとき、確かに何かが動いた。胸の奥で、ぎゅっと何かが引き締まった。
嫌だ、と思った。
鮎川が他の誰かと付き合うのは――嫌だ。
その感情が自分の中にあることに気づいて、愕然とした。
「ねえ、鈴木くん。わたし、さっき教室入ったとき、なんかみんながひそひそ話してたの。わたしと鈴木くんの名前が聞こえた気がしたんだけど、何かあった?」
絶対音感。聴覚の鬼。
周囲のひそひそ話を聞き取っている。当然だ。この子の耳は壁も距離も無効にする。
「……何もない」
「嘘。声のトーンが不自然に平たくなった。嘘つくとき、鈴木くんの声はわざと感情を消すの。そうすると逆に嘘ってわかっちゃうんだよ」
「……お前、本当に人間か?」
「人間だよ。耳がいいだけの普通の人間」
普通じゃない。絶対に普通じゃない。
でも、ここで噂の話をするわけにはいかない。「クラスでオレたちが付き合ってるって噂になってる」なんて言ったら、どんな反応が返ってくるかわからない。
わからないのが怖い。
鮎川が笑って「そうなんだ」で済ませるのか、それとも――。
「まあいいけど。教えてくれないなら、自分で聞いてみる」
「やめろ」
「え、なんで?」
「いいから。気にするようなことじゃないから」
「鈴木くんが隠そうとするってことは、気にするようなことなんでしょ」
「……」
この子、本当にごまかしが効かない。
結局、一時間目が始まる前に、真相は別のルートで鮎川の耳に届いた。
犯人は凛だった。
「鮎川さん。あんたと鈴木くんが付き合ってるって噂、知ってる?」
休み時間、凛が自分の席から身を乗り出して、鮎川に直球で聞いた。隠す気ゼロ。さすが白石凛、空気を読まないことに関しては天才だ。
鮎川が一瞬だけ動きを止めた。
ほんの一瞬。でもオレは見逃さなかった。閉じた目の奥で何かが動いた気がした――いや、目は見えないから、動くのは眉とか唇とか、表情の細部だ。
鮎川の眉がほんのわずかに上がって、すぐに元に戻った。
「えー、鈴木くんとわたし?」
「そう。クラス中の公然の秘密、ってやつ。全然秘密じゃないけど」
「そんなんじゃないよ。友達だよ、友達」
あっけらかん。
いつもの鮎川だ。否定に一片の迷いもない。声のトーンも安定している。焦りも動揺もない。
当然だ。鮎川にとってオレは友達。それ以上でもそれ以下でもない。わかっていたことだ。
わかっていたのに――なぜか、その「友達だよ」が、胸にちくりと刺さった。
ちくりと。小さな棘みたいに。
「まあ、あんたがそう言うなら」
「凛ちゃんは信じてくれるよね?」
「別に信じるも何も、あんたたちの関係はあんたたちの問題でしょ。……ただ」
「ただ?」
「毎日べったりくっついてて『友達です』って言っても、説得力ないと思うけど」
凛がオレのほうをちらりと見た。切れ長の目がオレを射抜く。
いや、オレに言うな。オレだって好きで噂になってるわけじゃない。
鮎川がこちらに顔を向けた。見えないはずなのに、ぴたりとオレの目を見据える角度で。
「鈴木くん、これのこと隠してたんでしょ」
「……すまん」
「別にいいけど。面白いね、わたしたちが付き合ってるって」
「面白くはないだろ」
「面白いよ。だって、鈴木くんの目は死んでて、わたしの目は見えないんだよ? 二人とも目に問題があるのに付き合ってるって、なんかドラマみたいじゃない?」
「ドラマじゃない」
「ラブコメかも」
「……」
ラブコメ。
四〇〇年前のラブコメ作家の話を思い出した。勘違い、すれ違い、最後にハッピーエンド。
今のこの状況は、勘違いの部分だ。周囲が勝手に恋愛だと勘違いしている。
――勘違い、なのか?
考えるな。今は考えるな。
三時間目が終わった休み時間。
鮎川がトイレに向かった隙に、安藤美咲がオレの席に近づいてきた。
安藤美咲。ロングヘアで目がくりっとしていて、笑顔が人懐っこい。クラスの女子グループのまとめ役であり、情報センターであり、お節介焼き。悪い人間ではないが、距離感が近い。
「鈴木くん、ちょっといい?」
「……何」
「単刀直入に聞くけど、鮎川さんと付き合ってるの?」
単刀直入にもほどがある。
オレは死んだ目で安藤を見た。安藤は怯まない。この手のタイプは、死んだ目くらいでは動じないらしい。
「付き合ってない」
「えー、ほんとに? だって毎日一緒じゃん。弁当も交換してるし、帰りもいつも二人だし」
「席が隣で、帰る方向が同じなだけだ」
「うっそだー。鈴木くん、鮎川さんのこと見るとき、ちょっとだけ目が違うもん」
「オレの目はいつも死んでる」
「死んでるけど、鮎川さんを見るときだけ、ほんの少しだけ光るんだよ。わたし、そういうの見逃さないから」
光る?
オレの死んだ目が、鮎川を見るときだけ光る?
そんなはずはない。オレの目は一六年間ずっと死んでいる。特定の誰かを見たときだけ変わるなんて、ありえない。
……ありえない、よな?
「とにかく、付き合ってない。友達だ」
「ふーん。じゃあ、鈴木くんは鮎川さんのことどう思ってるの? 友達として好き? それとも……」
「それ以上聞くな」
「わ、鈴木くん怖い顔」
「いつもの顔だ」
「いつもより目が三パーセントくらい生きてるよ。ほら、感情出てる出てる」
安藤がきゃはは、と笑いながら自分の席に戻っていった。
三パーセント。
死んだ目に三パーセントの生気。
……意味がわからない。




