出会いの回想と朝食
今日も、ハク──天蓋付きベッドくらいの大きさで犬に似ている──は、とってもモフモフでかわいい。ちなみにハクというのは愛称。私が付けた正式な名前は『薄力粉』だ。
私はかつて貴族のお嬢様に仕えるメイドだった。お嬢様は癇癪もちで、過剰なくらい不機嫌になる・自分の非を認めない・言葉の暴力をふるい私を全否定してくる、モラハラの見本のような十八歳だった。
ある日お嬢様は、聖誕祭の舞踏会でお相手もおらず彷徨っていた折、何もないところで派手に転んでしまったらしい。くすくすと周りの貴族たちに笑われ怒り心頭のお嬢様は、そのまま邸宅に帰ってきて、よりにもよってそれを私のせいにしたのだった。
「マーガレット! あんたが私の靴を磨いておかなかったせいで、私は転んで大恥よ! どうしてくれるの!」
私は間違いなくお嬢様の靴を念入りに磨いておいた。勝手に転んだのはお嬢様だ。それなのに。
「あんたなんてもうクビよ、クビ! どこかのド田舎でひとり無残に野垂れ死ぬといいわ!」
娘を猫かわいがりしていた旦那様は兵士に命じて、私を広くて暗くて魔獣のうようよといる、誰も寄り付かない魔の森の中へと捨てに行かせた。加えて季節は冬。
私はここで死ぬのだと思ったが、最後の悪あがきにと風雨をしのげる場所を探した。しかし何も見当たらない。観念して、大きな木の根元に座ってそっと目を閉じた。そのとき。
「わふっ」
なにか、獣の声のようなものが聞こえた。
もう、いよいよ終わりだと思った。ここで私は、魔獣に食い殺されて死ぬのだ。わがままなお嬢様に使い捨てにされた二十二年間、さようなら──。
──べろんっ。
なにか、ざらりとしてあたたかいものが私の顔を舐めた。
「ひゃっ!?」
私は飛び上がって目を開けた。目の前にいたのは、白くてモフモフの毛並みをした、大きな大きな獣だった。姿かたちは犬にそっくりだ。だが、見上げるくらいに大きかった。
……どっちにしろ私の二十二年間、さようなら──。
そう思ったのだが。
獣は私の顔をぺろぺろと舐めてくる。仕草もまるで犬だ。そして凍えかけている私を包み込むようにして、私のまわりに身体を巻き付けて座った。
あたたかい……モフモフしていて、とってもあたたかい……。
モフモフした獣の体温は高く、私の身体を温めてくれる。モフモフは「ハッ、ハッ」と舌を出して息をしていた。見上げた大きな瞳は真っ黒で、まるで煮た黒豆のようにつやつやと光っている。手を伸ばして鼻に触れてみると、真っ黒な鼻はちょっと冷たく濡れていた。
なんてかわいいんだろう……。
こんな規格外の大きさなのに、犬のよう。しかも慣れた犬のよう。
すると、ほかにもモフモフとしたものが周りに集まってきていることに気がついた。
白い毛玉のような犬。
それが三匹も、私の周りに寄って来てくれている。
これはきっと、神様が与えてくれたせめてもの情けだろう。だって、使用人の身では叶わなかったけれど、ずっと犬を飼いたかったのだ。大きなモフモフの犬に埋もれたい、毛玉のようなモフモフを抱っこしてみたい。そんな夢を見て生きてきたのだ。
幸せ──。私はモフモフに包まれて眠りについた。
***
「わふ、わふっ」
「わん、わんわんわんっ」
聖獣と妖精たちの大合唱で目が覚めた。
「ああ、もう朝か。私、またあの夢を見ていたのね」
それは私とハクたちが出会った日の夢。今から一年前のことだ。
私はベッドから上半身を起こす。
「きゃんっ、きゃんっ」
小型犬に似た毛玉のような妖精が三匹、ベッドで伸びをする私へ向かって駆けてくる。
「ごめんね、コメ、シラタマ、コムギ。すぐごはんにするからね」
正式な名前はそれぞれ『米粉』『白玉粉』『小麦粉』だ。
私がベッドから下りてスリッパを履いてしゃがむと、三匹は私の膝に小さな手をおいてぶんぶんと大きくしっぽを振った。手が六つも並んでとってもかわいい。揺れるしっぽも、三匹もいるからか、ふさふさと音がするようだ。
「はーい、待ってね」
私はコムギのふわふわの頭を撫でて立ち上がる。コムギはいちばんの甘えん坊なのだ。
妖精だけれど彼らは食欲旺盛で、とくに畑で獲れた新鮮な野菜や果物を好む。それから私の手料理も。
板張りの床の上で、三匹はくるくると回って追いかけっこを始めた。カツカツと爪が床に当たる音がかわいい。
「わふっ、わふわふっ!」
ベッドの横に寝そべったままのハクが控えめに主張する。大声で吠えたら、初めて会った時のように私がびっくりしてしまうと、この賢い子は知っているのだ。
ちなみに本来は天蓋付きベッドくらいの大きさのハクだが、身体の大きさを自由自在に変えられるようで、いまは通常の大型犬くらいの大きさになっている。
「ハクも、ちょっと待ってね」
大きなお肉を食べそうな見た目のハクだが、聖獣だからか、シラタマたちと同じく野菜や果物を好んで食べる。また、同じく私の手料理も喜んで食べてくれるのだ。
私が今度はハクの正面にしゃがみ込むと、ハクは私の両肩に大きな手を置いて立ち上がる。私はハクに抱き付き、顎の下のふさふさに顔を埋めた。
ハクはとってもいい匂いがする。おひさまの匂い。干し草の匂い。そして……幸せの匂い!
ハクは、顔を私の頬にすり寄せて甘えてきてくれる。
「うーんっ、幸せ!」
身体は大きいのに毛の一本一本は繊細で、ハクはふわふわとしている。毛の色も神聖なほどに純白で、撫でるとツヤツヤとする。
でも、ちょっとツヤが失われてきている気もする。そろそろブラッシングしてやらないといけないかもしれない。
パジャマからカシミヤのセーターとコーデュロイのズボンに着替え、いよいよ朝食の用意を始めることにした。
このセーターとズボンは手作りだ。この家は狭いけれど、生活に必要なものはすべて揃っている。
ないものは作ったり、時々訪れる行商人から物々交換で買ったりしているのだ。
行商人たちは「人ひとりいない魔の森」のつもりでここを通るから、私を見るとびっくりするのだが。
ちなみに彼らは、ハクやコメ、シラタマ、コムギを見ても驚く。ハクのことは「伝説の聖獣」、三匹のことは「恐ろしい妖精」と呼び、「お前が手懐けているのか」などと言うが、何を言っているのかよくわからない。
たしかに聖獣・妖精なのだろうけど、ハクたちは本当にいい子だし、どちらかというと犬寄りだと思うし。
私は暖炉に火を入れ、足元にまとわりついてくるコメ、シラタマ、コムギを蹴らないように気を付けつつ、キッチンに向かった。
まずは、トースト。食パン一斤を六枚にカットして、それぞれ網状に切れ目を入れる。これは行商人から奮発して買った、白いフカフカのパンだ。
次に火魔石でできたコンロのつまみをひねると、ハクの耳がぴこっと動いた。きっと朝食の予感がしたのだろう。
コンロの上にフライパンを置き、バターをひとかけら落とす。これも行商人から買ったものだ。牧場を持てたら自給自足できるかもしれないけれど、この森の中ではちょっと難しいかな。
じゅわじゅわとバターが溶けて泡のようになってきたところに、さきほどの食パンを乗せて、バターをたっぷりと吸わせる。香ばしい、いい匂いが漂ってきた。
食パンを皿へ移動させ、それから卵を割り入れる。じゅわっ、ぱちぱちと爆ぜる音を立てながら、目玉焼きができあがってゆく。まだ固くならない白身部分に塩コショウをひとつまみ。
つづいてベーコンも焼く。
「コンロを増やしたほうがいいかなあ?」
五人前を作るのに、一口コンロでは少し手間だ。今度火魔石を買って、コンロを増築してもいいかもしれない。
「きゃんきゃんっ」
「いいにおいだよねー、シラタマ。もう少し待っててね」
シラタマはいちばんの食いしん坊で、香ばしい匂いが大好きなのだ。
続いてきゅうりを斜め切り、トマトをくし形切りにして、目玉焼きとベーコンを乗せたトーストと一緒にそれぞれのお皿に盛ると、私は五人前のそれらを食卓に運んだ。ハクが食べるのはふたりぶんだ。
「できたよ、みんな!」
呼ぶと、わんわん、きゃんきゃんとモフモフたちが駆け寄ってくる。
聖獣・妖精とはいえ四つ足だから、みんなは床の上でのお食事だ。私の足元にハク、つづいてコメ、シラタマ、コムギたちが並ぶ。これでちょうど背の順になる。
みんなは器に乗った料理を見ないように、一生懸命「待て」をしている。
「さて、いただきます!」
「わふっ!」
「わんっ」「わんっ!」「きゃん!」
シラタマがベーコンを噛み切りにくそうにしている隣で、コメがトマトを両手で持って食べている。シャクシャクと音がするのが心地いい。コムギはトーストの表面のバターをぺろぺろと舐めていて、相変わらず個性ってあるなあと私は思う。
トマトときゅうりをぺろりと食べ終えたハクは、目玉焼きベーコントーストにかぶりついている。サクサクといい音がした。




