特訓の始まり ~基礎と、ほんの少しの成長~
1. 暗躍する影と現実の足踏み
どこか分からぬ断絶された精神世界(Disconnected Space)。
闇の中で、茜が静かに頭を垂れていた。
「以前より監視を続けていた三人目のSA、桐ヶ谷陽翔が不完全とはいえ覚醒を果たしたようです」
「そうか……ついに胎動の時が近づいてきたな。今までは様子見だったが、そろそろお遊びは終わりにして本気を出そうか」
「アストラルを差し向けましょうか」
「奴は今、人間界に来ているのだったな。引き続き桐ヶ谷陽翔の動向に注目しておけ」
「はい」
茜が闇の中へと静かに姿を消すと、デスタル・ノアは不敵に呟いた。
「さてと、私も仕事をするとしようか……」
◇
夏休みまで3週間を切った、平日のある日。
陽翔は学校のカウンセリング室を訪れていた。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療のため、1年前から毎週木曜日に非常勤カウンセラーの鴛海藍子によるカウンセリングを受けているのだ。
「最近の精神状態はどうかしら?」
「発作や悪夢の回数はだいぶ減りました。ただ……どうしてもまだフラッシュバックは起きてしまいますね」
「そう。……ところで最近の生活について聞きたいのだけれど、月城愛さんと直接お会いしたのよね?」
「はい。最初は気まずくて何を話せばいいか分かりませんでしたが……事故のことは許してもらえたと報告できます」
「そのおかげで、精神的にだいぶ楽になったはずよ。ところで陽翔くんは誠峰大学を目指すのよね?」
「はい、一応……」
「私、あの大学のOBなの。もしよかったら今度オープンキャンパスに連れて行ってあげようか? 直接大学を見てみないとイメージが湧かないでしょう」
「本当ですか!?」
「ええ、もちろん。茜さんも一緒にね」
「ぶっ!? な、なんであいつが出てくるんですか……」
「あら、あんなに仲が良いじゃない」
「ただの腐れ縁ですって……」
「ふふ」
どこか愛おしそうな眼差しで見つめる藍子に礼を言い、陽翔はカウンセリング室を後にした。
(過去と決別したと言っても、それでPTSDが完治するわけじゃない。現実ってのは、漫画やゲームみたいにはいかないな……)
溜息をつきながら教室に戻ると、陽翔は茜にオープンキャンパスの話を伝えた。
小学校の教師を目指して教育学部を志望している茜は、「本当!? 実際の学校のイメージが湧かなかったから楽しみ!」と目を輝かせた。
「陽翔ちゃんはまだ受ける学部決まってないの?」
「まあな……」
「心理学部とかどう? 陽翔ちゃん、PTSDの治療を受けてるから人間の心理に興味ありそうだし」
能力のことは伏せつつPTSDの悩みを打ち明けている茜からの提案に、陽翔は「考えてみるよ」と答えた。
そこへ、クラスメイトの椿姫がからかうようにやってくる。
「あらあら、夏休みのデートの予定? お熱いわねぇ、お二人さん」
「そんなんじゃねーよ!」
「そっちは一般受験だっけ? 頑張ってね」
スポーツ推薦で体育系の大学へ進学する椿姫に、陽翔が「大学でも陸上続けるのか?」と聞くと、彼女は「まあね。個人的にはサンドバッグを殴っている方が好きなんだけど」と不敵に笑った。
以前スパーリングに付き合わされ、「女子だから」と高を括ってひどい目に遭った記憶が陽翔の脳裏をよぎる。
(そろそろ、夏休みか……)
2. SAPT同好会の夏と特訓の日々
放課後、娯楽同好会の部室を開けると、ソファで横になった魔那美がニンテンドースイッチで遊んでいた。
生徒会からの引継ぎで遅れる翠を待っていると、元気な声とともに結愛が飛び込んできた。
「陽翔先輩っ! ずっと部活に来ないから心配しましたよー! 結愛、寂しかったですー!」
「こっちは一応、受験生なんだよ……」
困惑する陽翔が進路について尋ねると、結愛は「やっぱり家業は継ぎたくないんですよねぇ」とため息をついた。幼少期から暗殺術を叩き込まれ「10年に一度の逸材」と称されながらも、本人は乗り気ではないらしい。
「あっ! なりたいもの、見つかりました!」
「どうせあれ言うんだろ……」
「先輩のお嫁さ——」
言いかけたところで翠が入室し、遅れてやってきた大暮先生とともに「夏の親睦会」についての会議が始まった。
2泊3日で海へ行き、バーベキューやビーチバレーを行うという。
「現地でも少数だがAGの出現報告があった。万一の戦闘に備え、油断しないように」
「先生、この街で特にAGの出現数が多いのはなぜなんですか?」
「奴らは異界との扉を開く『ゲート』を探しており、その鍵がこの街にあると睨んでいるようだ」
「まあ、気にする必要はない。今は人間界と異界の間に結界が張られており、上位のAGは侵入できないのだから」
「ってことは、今よりさらに強い奴がいるってことですか!?」
「奴らは普段、人間の姿に擬態している……話すと長くなるがな。まあ、堅苦しい話はこれまでにして、夏を楽しもう!」
結愛が買いたての水着の話で盛り上がり、魔那美が静かに魔法でお仕置きをするなど賑やかな時間が流れた後、大暮先生が去ると部室にはまったりとした空気が満ちた。
トランプでババ抜きやポーカーを始めると、圧倒的なポーカーフェイスを誇る魔那美に陽翔は連敗。
「またジョーカーかよ!」と嘆く陽翔を横目に、学年1位の翠が「私にも常に2位に食らいついてくるライバルがいてな……油断ならん」と語るなど、くだらない会話と笑い声が絶えなかった。
(……こんな風に、みんなで馬鹿みたいに騒いでいるのも、悪くないな)
◇
日曜日、朝9時。総合公園のグラウンド。
ジャージ姿の結愛、車で駆けつけた翠、体育座りでゲームに没頭する魔那美が集まり、陽翔の特訓が始まった。
ストレッチ中、体の硬さを結愛にいじられた陽翔は「俺は体育会系じゃないんだよ」と誤魔化すが、待っていたのは容赦のない基礎トレーニングだった。
ランニング5周、腕立て・腹筋・スクワット各100回。
数十分後、地面に倒れ込む陽翔。
「も、もう無理……」
「予想はしていたが、まさかここまでとはな……」
少し離れた場所では、魔那美が静かに目を閉じて坐禅を組んでいた。
居眠りかと思った陽翔に、翠と結愛は「頭の中で何十体もの敵と戦うイメージトレーニングだ」と教える。時間停止を3秒から5秒へ引き上げるため、汗を流しながらストイックに限界へ挑む魔那美の姿に、陽翔も刺激を受けた。
その後、東洋魔術の基礎として「気の循環」と護身符の作成、さらに10秒間の身体強化術を習得しようとするが、スワップの力と魔術が壊滅的に干渉し、地面を爆破させてしまう。
「先輩、派手にやりますね~!」
「……(無言で埃を払う)」
「失敗は多いが、悪くない。魔力とスワップを組み合わせようとした発想は面白いぞ。もう一度だ」
昼食時、疲弊したメンバーのために翠が手作りの豪華な三段重箱(焼き鮭や具たっぷりのおにぎり)を振る舞った。
「……うまい!? マジで美味いんですけど!」
照れる翠、焼き鮭を無言で爆食する魔那美、むくれる結愛。
午後は結愛による実践剣術。竹刀を持った結愛に木刀で挑むも、何度も叩きのめされた。だが、倒れるたびに陽翔の目には確かな闘志が宿り始めていた。
3. 芽生える意志と予兆
翌日、昼休みに陽翔は職員室の大暮先生を訪ねた。
「大暮先生って、並行世界から来た『時空捜査官』なんですよね? 具体的にどんなことをするんですか?」
「並行世界を行き来し、普通の警察では手に負えない犯罪者を追跡・逮捕する仕事だ」
「……俺、〇〇大学を受けようと思ってるんです。将来は人の助けになる仕事がしたくて。大学に通いながら、先生のお手伝いってできますか?」
「……ふむ。AGの討伐が片付いてからの話だな。それに君はまだ精神的に甘い。まずは自分の足元を固めなさい。自分のことすら出来ない者に、自分のことは出来ないと言うのが定石だからな」
厳しいが温かい言葉に、陽翔は「はい!」と力強く頷いた。
◇
放課後。グラウンドで野球部の練習をぼんやり眺めていた陽翔だったが、突如として周囲の時空が歪み、空が暗雲に覆われた。
「これは……虚飾領域(ヴォイド・イーター!?」
すぐさま結愛に電話するが、遠くの校舎で補習中のため時間がかかるという。そこへ息を切らせた翠が駆けつけた。
グラウンドの人工芝がねじれ、現れたのは巨大な鉄球を鎖で振り回す巨体のパワータイプAG。
翠から木刀を受け取った陽翔は、一瞬「魔那美さんがいれば……」と弱音を吐くが、翠の「訓練を思い出せ!」という叱咤で目を覚ました。
「ぐおぉぉぉぉっ!!」
鉄球が爆風とともにグラウンドを砕く。
陽翔は教わった通り「気の循環」で身体を強化。翠が放つ「炎雀ノ式」の炎がAGを焦がす中、焦りでスワップを一度失敗するも、落ちていた野球ボールと自分の位置を入れ替えて攻撃を回避してみせる。
そこへ投げナイフの雨とともに結愛が合流。
「遅くなりました!」
さらに、息を切らせて駆けつけた魔那美が術を発動。
「……ッ!」
伸ばされた「5秒間」の時間停止がAGの動きを完全に凍りつかせる。
「今だ、陽翔! 結愛!」
陽翔は覚醒させた【虚空把持】でAGの右腕をわずか0.5秒間強制固定。
「捕まえた……!!」
「たあああああっ!!」
結愛のチェーンソーがAGの腕を斬り裂いて鉄球を封じ、翠の九字護身法の光が巨体を貫いた。断末魔とともに黒い粒子となって散っていくAG。
結界が解け、夕焼けが戻る。
「やりましたね、先輩!」
膝をつく陽翔に、翠は「トレーニングの成果が出ていたぞ」と称え、魔那美は無言で絆創膏を差し出した。
「それにしても、最近学校でのAG出現が多すぎる……どこかで統率している者がいるのか?」
◇
その頃、校舎の木陰から黒髪をたなびかせる一人の女性が、胸をなでおろすSAPTのメンバーたちを見下ろしていた。
「奴ら、少しずつ連携して戦えるようになっているな……。下級のAG程度では、もう相手にならぬか。仕方ない、次は私自らが出るとしよう……」
怪しい眼差しを残し、彼女は暗闇へと消えていった。
本格的な夏の訪れとともに、新たな脅威が静かに忍び寄っていた。




