虚空の楔と覚醒の握拳~過去の鎖、握り潰して~
1. 7年ぶりの街と過去の呪縛
図書館での死闘から一日。
陽翔は駅前の花屋でガーベラ、バラ、トルコキキョウが彩る明るい束を選んでいた。これを手にするのは、7年ぶりのことだ。電車に揺られながら後悔と緊張で胸を締めつけられるうち、陽翔はうとうとと深い眠りに落ちていった。
小学4年生の頃。陽翔は落ちたスズメの雛を救いたいと強く願った瞬間、初めて「物体を入れ替える力」を発動させた。
それをただの「手品」だと信じた陽翔は、幼馴染の月城愛にだけ打ち明けた。彼女は目を輝かせて純粋に喜んでくれた。
有頂天になった陽翔は人前で力を披露し、小学生手品全国大会の決勝まで上り詰めた。だがそこで待っていたのは「インチキ」との暴露と、新聞による「詐欺師」という苛烈なバッシングだった。周囲から孤立する中、愛だけが最後まで自分の味方でいてくれた。
ある日、二人で建設中の工事現場で遊んでいた時、愛が風船を空へ逃がしてしまう。
「僕が取ってあげる!」
いつものように集中し、念を込めた瞬間——心臓がドクン!と異質に高鳴った。
空間が捻じ曲がり、時間が止まったかのような錯覚。次の瞬間、逃げた風船が派手に破裂し、高架上の鉄骨や木材、重い瓦礫が天から降り注いだ。
スローモーションの光景の中、駆け寄ってくる愛の上に、無情にも瓦礫の山が落ちていく。手を伸ばしても、届かない。そこで陽翔の意識は途切れた。
直撃を受けた愛は、5年間もの間、意識不明の重体となった。
毎日欠かさず病院へ通い続けた陽翔だったが、3年目、愛の両親に静かに告げられた。
『君の顔を見ると辛いんだ……もう二度とお見舞いに来ないでくれないか。君には君の人生がある。愛のことは忘れて、自分の道を歩んでほしい』
病院の前で膝をつき、泣き崩れた陽翔は心に深く誓った。
(何が手品だ……女の子一人救えないなんて。こんな力、いらない……!)
それ以来、陽翔は能力を封印し、あの街の記憶すら心の奥底へ押し込めたのだ。
車内アナウンスで目を覚ました陽翔は、意を決して月城家を訪れた。
そこで待っていたのは、すっかり成長し、自分と同じ高校生の姿となった月城愛だった。
ぎこちない会話の末、陽翔はついにずっと胸に抱えていた本音を口にした。
「俺……もう一度、この力を使っていいかな。君からの『許可』が欲しかったんだ」
愛は柔らかく微笑んだ。
「もちろん。ようちゃんの力は、決して悪いものじゃないよ。ただ使い方を間違えただけ……たくさんの人を笑顔にできる力だよ」
愛と別れ、公園のベンチで静かに決意を固める。
(もう、過去に縛られるのはやめよう)
公園を立ち去ろうとしたその時——きいいいいいん……!!
甲高い異音が響き渡り、世界が不気味な闇に覆われた。【虚蝕領域】の展開。
スライム状の偵察型AGが大量に這い出し、陽翔を完全に包囲した。スマホを取り出すが、この距離では同好会のメンバーが駆けつけるまで最低でも30分はかかる。
「……もう、誰も頼れない。一人でやるしかないんだ……!」
陽翔は歯を食いしばり『スワップ』を発動。ポケットの小銭と、地面の金属バットを一瞬で入れ替えた。冷たい金属の感触を握り締め、全身の力を込めて振り下ろす!
ドスン!!と重い手応え。しかし、崩れたはずのAGは即座に粘液を繋ぎ合わせ、再び膨張を開始した。
「……っ!? なんでだ……倒せない……!?」
がむしゃらにバットを振り回すが、どれだけ叩いても再生し、徐々に追い詰められていく。触手が陽翔の体を容赦なくねじ伏せ、火傷のような灼熱の激痛が走った。
「ぐっ……もう……ここまで、なのか……」
意識が遠のきかけたその時、離れた場所で小さな女の子がAGに囲まれ、泣きじゃくっているのが目に入った。
(この子だけでも……守らないと……! ここで諦めたら、誰も救えない!!)
2. 空間を握り潰す拳
倒れかけた少女(彩ちゃん)を庇うように這い寄り、右手を地面について体を起こしたその瞬間——。
ドクン……!!
心臓が鉄槌で殴られたかのように跳ね上がった。
焼けるような激痛が胸の奥から全身へ広がり、視界が白く染まる。鼓動が耳元で雷鳴のように轟いた。
(熱い……心臓が……熱い……!)
時間が引き伸ばされ、空間そのものが「自分の手に掴める物体」として捉えられる。
「……掴める……!」
陽翔は震える右手を虚空へ突き出した。
ゴゴゴゴゴ……!!
大気が歪み、周囲の空間が固形物のように捻じ曲がっていく。AGたちの体が不自然な角度に引き伸ばされ、悲鳴を上げた。
「ぎゃああああっ……!?」
空中硬直する怪物たち。陽翔の右手が、ギシリと力強く握り込まれる。
空間が凄まじい圧力で圧縮され、透明な巨大な手に握り潰されるかのように、AGたちが次々と断末魔を上げて黒い粒子へと砕け散っていく。
「……ひざまずけ……」
陽翔の瞳に強い光が宿り、数十体のAGがわずか十数秒で全滅した。領域が解除されると同時に一気に力が抜け、陽翔は意識を失った。
◇
遅れて到着した翠、結愛、魔那美の三人は、崩壊した戦場の痕跡を見て息をのんだ。
「これは一体……まさか……」
病室で目を覚ますと、涙目の結愛が勢いよく抱きついてきた。
「先輩のバカーー!! 勝手に一人で戦うなんて……死んじゃったらどうするんですかぁ!」
翠や魔那美も安堵の表情を浮かべていた。助けた彩ちゃんの手助けでここまで運ばれたらしい。
陽翔は天井を見つめ、静かに呼吸を整えた。
(もう迷わない。一人で抱え込むのは、もうやめだ)
陽翔は横に立つ翠の手をしっかりと握りしめた。
「委員長……お願いがある。俺を……SAPT同好会に入れてくれないか」
その目には、未来を見据える揺るぎない覚悟が宿っていた。




