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解放されし力~禁忌の手品、再び~

1. 茜の違和感と虚無の領域

「もうっ! ずっと待ってたんだからねっ!! どこに行ってたの!?」


校門の前にたたずむ茜の瞳に一瞬だけ走った「冷たい違和感」に戸惑いながらも、陽翔は「気のせいか……」と自分に言い聞かせた。


夕暮れの道を二人で歩きながら、陽翔は学級委員長の翠に娯楽研究会へ勧誘されたことを話した。ただし、異能やAGといった怪物の存在については伏せたまま。


「陽翔ちゃんも大変だね……。これから受験で忙しくなるのに、部活の手伝いに使われそうになるなんて。で、入るの?」


「部活なんて興味ないし、入る気なんて全然ないよ」


「……そっか!」


陽翔の返答を聞いて、茜はほっと胸を撫で下ろした。陽翔と過ごす放課後の時間が減らずに済む——その安心感が、彼女の表情を華やがせる。


「あっ、あそこのドーナツ屋さん寄っていかない?」


道路の向こうにある店舗を指差した茜だったが、隣を歩く陽翔の顔が突如として苦悶に歪んだ。


「……っ」


「陽翔ちゃん……? また、いつもの……?」


心配そうに顔を覗き込む茜。その眼差しには、どこかすべてを理解しているかのような、静かな観察者の色が混ざっていた。


「ごめん……茜。今日は……帰る」


陽翔は踵を返し、逃げるように走り去った。振り返る余裕のなかった陽翔の背中を、茜はどこか哀切を帯びた瞳で見送っていた。


自宅に辿り着いた陽翔は、逃げ込むようにベッドへ倒れ込んだ。

定期的に脳裏を焼く、あの7年前の惨劇——血の臭いと愛の叫びがフラッシュバックし、全身から冷や汗が吹き出す。


(また……過去の呪縛が俺を苛む……)


激しい悪寒に耐えかね、意識を失うように深い眠りへと落ちていった。


◇


——Disconnected Space(DS)。


闇に包まれた、どこまでも広がる無の空間。その中心に鎮座する黒い漆黒の玉座に、影に覆われた存在——デスタル・ノアが腰掛けていた。


「2年前から監視を続けていましたが……AGをけしかけたところ、桐谷陽翔は断片的ながら異能の力を解放したようです」


闇の中から現れたのは、茜の姿だった。

しかし、彼女の瞳は不気味な紫色に染まり、感情が完全に削ぎ落とされている。だが時折、細い指先が微かに震えていた。洗脳が完全に結実していない証拠だった。


「今、桐谷陽翔はお前の監視下にあるのだったな? ネビロス」


「……はい。その通りです」


デスタル・ノアがゆっくりと指を動かすと、闇の中に陽翔の苦しむ幻影が浮かび上がった。


「引き続き監視を続けろ。脅威にはならんだろうが、仲間の異能者たちと接触されると厄介だ。私の方でも手を打っておく」


「了解いたしました」


「それと……『クロノスの鍵』の居場所はまだ見つからないのか?」


「捜索は続けていますが……まだ……」


「あれは人間界を我が傘下に収めるための重要な鍵だ。怠るな」


「はっ……」


その直後——茜の身体が激しく強張った。

紫色の瞳の奥で、一瞬だけ本来の茶色の輝きが光を放つ。


『……よう……ちゃん……』


か細く、悲痛な声。洗脳の隙間から溢れ出た、本来の茜の想い。

デスタル・ノアは不気味な笑みを漏らした。


「……ふむ。まだ人間どもの意志が残っているか。面白い。だが……もうすぐ完全に私のものとなる」


茜の瞳が再び不気味な紫色に塗りつぶされた。無機質な表情に戻った彼女の身体は、黒い影の中に溶けて消え去った。


2. 常軌を逸した日常と同好会の急接近

翌朝。期末テストを控えて早めに登校した陽翔は、校門の近くで茜と出くわした。


「おはよう、茜」


「おはよう! 今日もいい天気だね〜!」


5月に入ってから気温が急激に上がり、初夏の陽気が満ちている。


「あと一週間で期末テストか。もう7月だもんなぁ。テストが終わったら、どこか遊びに行こうぜ。昨日の詫びも兼ねてさ」


「うんっ!! 楽しみにしているね!」


教室へ向かう廊下を歩いていると、燃えるような赤い髪を揺らした少女が立ちふさがった。


「朝から仲が良いことねぇ、二人とも?」


クラスメイトの紅椿姫(くれないつばき)だ。3年で同じクラスになって以来、何かと陽翔に突っかかってくる勝気な少女である。


「そ、そう見えるかな……? やっぱり……」と茜が顔を赤くする。


「うっせーな! ただの腐れ縁だっての!」


「えー? 本当ぉ〜? ま、バカ陽翔なんかには茜ちゃんは勿体ないと思うけどね!」


茜と椿姫は仲が良いのだが、陽翔と椿姫は価値観が合わず、顔を合わせれば口喧嘩ばかりだ。


キンコンカンコン——。


「やば、始業チャイムだ!」


「ちょっと! 置いていかないでよバカ陽翔!」


あわてて駆け込んだ教室で、朝のホームルームが始まる。

扉を開けた瞬間、陽翔は凍りついた。


「みんな、おはよう。今日は少し風が強いから、気をつけて帰るように」


教壇に立っていたのは、昨日自分たちが全力で倒したはずの担任・桐谷だった。

壁も机も破壊されたはずの教室は、傷一つなく元通りになっている。


(……嘘だろ……!? 昨日のあれは……夢じゃなかったはずだ……!)


何事もなかったかのように微笑む桐谷の姿に、陽翔は背筋が凍るような恐怖を覚えた。


◇


休み時間、陽翔は翠に廊下の端へ呼び出された。


「昨日のこと……桐谷先生のこと、気になっているだろう?」


「……あれ、本当に先生なのか?」


翠は静かに息を吐き、真実を明かす。


「私は先生を殺したわけではない。倒したのは先生に取り憑いていたAGの精神体だけだ。AGは普段、人間に寄生して潜伏している。襲う時だけ『結界』を張り、本性を現すのだ。だから警察も一般人も気づけない」


「じゃあ……先生は……」


「本人自体は無事だ。だが……AGに完全に捕食された人間は、この世から消滅する。存在していた記憶すら、残らない」


陽翔の顔から血の気が引いていく。


「この町にも、見えないところでAGが生息している。……自分の身を守るためだけでもいい、同好会に入らないか?」


「俺は……あの力を使うのは……」


「嫌なら無理強いはしない。だが、これを持っていけ」


翠が差し出したのは、小さな布袋だった。


「もしAGに襲われたら、これをかざせ。気休め程度には身を守れる。……君に死なれると困るのでな」


不器用だが切実な優しさに、陽翔は戸惑いながら袋を受け取った。


◇


昼休み。図書館で本を探していた陽翔の元に、ピンク髪の少女——末間結愛が駆け寄ってきた。


「先輩っ!! 奇遇ですね! 私も探し物をしていて……一緒に手伝ってくれませんか?」


強引に腕を引かれ、書架の陰へと連れ込まれる。


「どうしても同好会に入る気はないんですか? 昨日の『スワップ』、すっごくカッコよかったですよ!」


「……ただの手品だよ」


「私も最初は自分の力が大嫌いでした。でも翠先輩に『誰かを守れるなら誇りに思っていい』って言われて……。先輩も、私たちと一緒にいれば変われるかもしれないです! せめて連絡先だけでも交換してください!」


熱意に押され、陽翔はため息をつきながらスマホを取り出した。


「……わかったよ」


「やったー! 本当は勧誘だけじゃなくて、陽翔先輩と仲良くなりたかったんです!」


図書館を出ると、腕を組んだ椿姫が待ち構えていた。


「へえ、あんたが自ら勉強なんて珍しいじゃない。やっぱり茜と同じ大学を目指してるの?」


「……まあ、一応な」


「ねえ、あんたさ……本当にやりたいこととか、ないの?」


「……別に」


「……あんたって、本当自分で何か決めるのが苦手よね。このまま一生、誰かに流されて生きていくつもり?」


「……うるせえよ」


去っていく椿姫の赤い髪を見つめながら、陽翔は苦々しく思った。

(……悪態ばかりついてくるくせに、たまに核心を突いてきやがる……)


◇


一人で放課後の屋上に赴いた陽翔は、広がる青空を見上げていた。


(何のために、俺にこんな力があるんだ……)


そこへ、気気配もなく魔那美が現れた。


「……一緒に空を見ない?」


感情の読めない声。二人は手すりに並び、黙って空を見上げた。数分の沈黙の後、陽翔はぽつりと漏らしていた。


「……もし自分の力が人を不幸にするって分かってたら、どう付き合えばいいのかな……?」


魔那美は静かに微笑んだ。


「悩んでいるのね。……私も過去に、力が原因で大切な人を失ったわ。でも、使い方が悪かっただけで、力そのものが悪わけじゃない。過去は過去。未来は自分の手で変えられるのよ。取り返しのつかないことなんて、何一つないわ」


「……魔那美さん……」


「あ、前に進めって言ったけれど『同好会に入れ』って意味じゃないからね」


彼女の静かな言葉に、陽翔の強張っていた心が少しだけ解きほぐされていった。


3. 虚蝕領域と覚醒する『スワップ』

放課後。茜が「今日は用事があるから」と一人で帰ってしまい、陽翔は少しだけ図書館で勉強をしていくことにした。


だが、集中できない。気づけば——窓の外が、あり得ない漆黒に染まっていた。まだ夕方の5時前のはずだ。館内にいたはずの他の生徒や職員の姿も、跡形もなく消えている。


「これはまさか……AGの結界!?」


陽翔は焦ってスマホを取り出し、結愛に電話をかけた。


『先輩、無事ですか!? AGが【虚蝕領域(ヴォイド・イーター)】を展開しました!』


数分後、息を切らした結愛が図書館へ飛び込んできた。


「無事でしたか、先輩! 他の部員たちと合流しましょう!」


だが、部室棟まではあまりにも遠い。身を隠そうとしたその時——!!


バリガラガラガラッ!!


図書館の天井が豪快に破壊され、漆黒の巨体がドスンと降り立った。

無数の触手が蠢き、壁に張り付いた枝分かれした紫色の眼孔が二人を射抜く。異形の怪物——AGだ。


「先輩、下がっていてください!!」


結愛が二振りの短刀を抜き、跳躍する。しかし——!


ドカァンっ!!


「きゃあぁぁっ!?」


太い触手に薙ぎ払われ、結愛の小柄な身体が壁に激しく激突した。ぐったりと倒れ込む結愛。


「結愛……っ!?」


陽翔の胸の中で、熱い血が激流となって逆流した。


(どうすれば……!? 俺に……何ができる……!?)


足元に転がる巨大な瓦礫が目に入る。陽翔は腹の底から叫んだ。


「こっちを向け、化け物ぉぉぉっ!!」


ドクンっ!!


胸の奥の封印が弾け飛ぶ。7年ぶりに、本気で異能を解放する——!


『スワップ』!!


視線で捉えた「重い瓦礫」と「AGの右肩」の位置が、一瞬で入れ替わる。

空間を捻じ曲げられたAGはバランスを崩し、盛大に転倒した。


「今だ……っ!」


さらに集中力を研ぎ澄ます。自分の「影」と、近くにあった「鉄製の大型カート」をスワップ!

一瞬でAGの背後に回り込んだ陽翔は、全身の筋力を込めてカートを怪物の頭部へ振り下ろした。


「うおおおぉぉぉらぁぁぁっ!!」


バギャァンッ!!


怪物が苦痛の咆哮を上げる。だが、無数の触手が怒りに狂って陽翔の全身を殺到する!


「先輩っ!!」


身体を起こした結愛が叫ぶが、間に合わない!

(しまっ——)


死を覚悟したその刹那。


ずんっ……!!


世界からすべての音が消え去り、大気が完全に凍りついた。

魔那美の異能——時間停止。わずか3秒間、空間のすべてが不可侵の静寂に包まれる。


「遅くなったな。……私は間に合ったと思うぞ、君」


悠然と姿を現したのは、清坂翠だった。

彼女の全身から青白い稲妻が渦を巻き、激しい雷光が暗闇を照らし出す。


「……ここは我々が引き受ける。君は下がっていろ」


翠の掌から放たれた極大の雷撃が、停止したAGの胸腔を打ち抜いた。


「ぐぎゃあああぁぁぁぁっ!?」


怪物は断末魔を上げ、光の粒子となって砕け散った。


4. 予兆と屋上の魔女

戦闘が終わり、不気味な虚蝕領域が溶けるように消え去っていく。

元の静かな図書館に戻り、陽翔は荒い息を吐きながら床に膝をついた。


「……終わった……のか……?」


翠が歩み寄り、感心したように言った。


「君の動き、なかなか見事だったぞ。初めての実戦とは思えん……」


その言葉を聞きながら、陽翔は不意に自分の胸を押さえた。


ドクンっ……!!


一瞬、心臓が跳ね上がるような焼けるような激痛が胸の奥を走った。

胸悪さと激痛に、視界が歪む。


(……なんだ、今の疼きは……? 心臓が……? 気のせいか……)


頭を振って悪寒を振り払う陽翔を、翠がじっと見つめていた。


「どうした、陽翔?」


「……なんでもない。少し疲れただけだ」


息を整えた陽翔は、胸の疼きを隠しながら立ち上がった。


「……すみません、少し用事が出来たんで、行っていいですか」


翠はすべてを察したような深い眼差しで、静かに頷いた。


「ああ。君の好きにするといい」


◇


夜の帳が下り始めた街。

学校を遥か見下ろす高層ビル屋上の手すり外側に、茜がぽつんと立っていた。


夜風に茶髪をなびかせ、冷酷な紫色の瞳で学校を射抜く。


「……覚醒の時が、来ようとしているのか……」


闇に溶けるその呟きは、抗うことのできない破滅の始まりを告げていた。

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