幕間
いきます。
---
**幕間「深まる謎」**
---
十一月の警察署は、暖房が効きすぎていた。
廊下はひんやりしているのに、捜査室の中だけ妙に温かい。長時間いると頭がぼんやりしてくる、あの独特の空気だった。
刑事の坂本は、デスクの上に広げた資料を見ていた。
大山の件だった。
もう何ヶ月も追いかけている案件だったが、整理すればするほど、おかしな点が増えた。
「なあ、こいつって本当に何者なんだ」
向かいのデスクで書類を整理していた相棒の村田が顔を上げた。
「それ何度目ですか、その質問」
「何度聞いても答えが出ないから聞いてるんだよ」
坂本は資料の一枚を取り上げた。
大山の経歴を追おうとした記録だった。
芸能界に現れたのは、七年ほど前だった。突然現れて、気がついたら業界の裏側を牛耳っていた。以前どこにいたのか、何をしていたのか、素性を知っている人間が誰もいなかった。事務所のスタッフに聞いても、社長の神宮寺に聞いても、みんな首を振るだけだった。
神宮寺本人ですら知らなかった。雇った経緯すらあいまいだった。
「人間離れした強さだったらしいな、あいつ」
「プロレスラーが束になって向かっても全滅したという証言があります」
「それで最終的に倒したのが大学生一人、と」
「はい」
坂本は資料を置いた。
頭が痛い話だった。
普通じゃない男を普通じゃない経緯で倒した、というのは事実として記録されているが、どこをどう整理しても常識の範囲に収まらない。
「倒された後も変なんだよな」
「そこが一番おかしいですね」
村田が腕を組んだ。
「これまで大山が起こした案件は、全部どこかで揉み消されていた。業界への圧力、証人への接触、書類の消失。背後に組織がいると思って洗ったんですが」
「あいつが倒されてから、その組織らしき動きがぴたりと止まった」
「はい。まるで切り捨てられたように」
坂本は天井を見上げた。
組織が使える駒として大山を動かしていたなら、大山が倒されたとき、組織は動くはずだった。証拠を隠すなり、関係者に圧力をかけるなり。
でも何もなかった。
大山一人が倒されて、その瞬間に全部が止まった。
「切り捨てた、というより」
村田がゆっくりと言った。
「目的が、大山が動くことそのものだったんじゃないかと思って」
「何かを探させていた、とか?」
「それか、何かを試させていた、か」
坂本はそれ以上の答えを持っていなかった。
ドアが開いた。
同じ課の田島が入ってきた。手に書類を持っていた。
「あの、大山の件で新しい証言が取れました」
「何が出た」
「被害を受けたアイドルの一人から。大山が以前、電話で誰かと話しているのを聞いたという証言で」
坂本が体を前に乗り出した。
「内容は?」
田島が書類を広げた。
「断片的で、全部は聞き取れなかったらしいんですが」
田島が読み上げた。
「『歌の力、やっと見つけましたよ。これで俺たちディストルシオンが』、ここで気づかれて電話が切れたそうです」
室内が静かになった。
坂本は書類の文字を読んだ。
ディストルシオン。
聞いたことがない名前だった。
組織名なのか、暗号なのか、それとも全く別の何かなのか。
「歌の力、ね」
村田が低い声で言った。
「アイドルに関わっていたことと、無関係ではないかもしれないですね」
「かもな」
坂本は書類をデスクの上に置いた。
大山の件は、表向きは解決していた。
事務所の不正は明るみに出て、関係者は処分された。アイドルたちへの被害についても、少しずつ正式な記録になっていた。
でも、大山そのものの謎は、何一つ解けていなかった。
ディストルシオン。
歌の力。
坂本は窓の外を見た。
十一月の街は、人が行き来していた。コートを着た人、マフラーをしている人、普通の秋の夕方の景色だった。
その景色の中に、何かが潜んでいるような気がした。
あるいは、今は潜んでいて、次の機会を待っているだけのような。
「続けるか」
坂本が言った。
「もちろんです」
村田が短く答えた。
捜査室の暖房が、また少し音を立てた。
謎は、深まるばかりだった。
---




