↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/56

ファンクラブの卵


その日のイベントは、いつもと少しだけ違っていた。


ショッピングモールの吹き抜けに設けられた簡易ステージ。ダンボールとラジカセの組み合わせは相変わらずだったけれど、今日はパイプ椅子が埋まっている。それどころか、立ち見の観客までいた。といっても十数人程度のものだが、それでも初奈にとっては過去最多の動員だった。


初奈はステージの袖から客席をそっと覗き込んで、思わず首をかしげた。


客席の一角、達也がいつも立っているあたりを中心に、異様な空間ができあがっていた。まず目についたのは、おなじみの田中先輩と伊藤先輩。今日もドル研のTシャツを着て、高そうなサイリウムを準備している。しかし今日は、その二人の周りにさらに数人の人影があった。


一人は、セーラー服を着た女子高生だった。眼鏡をかけていて、長い黒髪を三つ編みにしている。いかにも真面目そうな文学少女といった風情で、周りのオタクたちに圧倒されておどおどと俯いている。その隣には、スーツ姿の若いサラリーマンらしき男性。髪をきっちり七三に分けて、手にはまだ折られていない新品のサイリウムを握りしめている。そして、そのさらに隣には、明らかに異質な大男が立っていた。身長は百九十センチを優に超え、首の太さが並の人間とは桁違いの、どう見てもプロレスラーとしか思えない屈強な男性だった。その巨体に不釣り合いなほど小さなサイリウムを、まるで小枝のように握っている。


「達也氏、今日こそはしっかりコールを入れるでござるよ」


「左様。先日は初奈殿の前で写真集をばら撒くという失態。本日はその汚名返上、達也氏の純情を証明する日」


「だからあれは先輩たちが勝手に……!」


達也がいつものように真っ赤になって抗議していると、スーツ姿のサラリーマンがおずおずと口を開いた。


「あの、浅見くん。私、こういうの初めてで、サイリウムの振り方というのがよく」


「あ、斎藤さん、それはですね、こう、手首のスナップを利かせて」


「浅見先輩。私も、その、初めてで。何をどうしたらいいのか」


セーラー服の女子高生まで達也に助けを求める。達也は「えっと、まずは音楽に合わせて」と必死に説明している。初奈はステージの袖でその光景を眺めながら、ぽかんと口を開けていた。


(いつの間に、あんなにたくさんの人を連れてくるようになったんだろう)


初奈が知っている達也は、いつも一人で隅っこに立って、サイリウムの振り方もわからずに縮こまっているような人だった。それが今では、初めて来た人にサイリウムの振り方を教えている。その事実が、なんだかくすぐったくて、誇らしくて、初奈は知らず知らずのうちに笑顔になっていた。


開演時間が来て、初奈はマイクを握った。


「皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。櫻坂初奈です。聴いてください。『はじまりのうた』」


音楽が流れ出す。初奈は息を吸い込み、歌い始めた。すると、客席の一角でサイリウムの光が一斉に揺れた。田中先輩がキンブレを自在に操り、伊藤先輩が息の合ったコールを入れる。女子高生はぎこちなく、それでも真面目にサイリウムを振っている。スーツの男性は初めこそ戸惑っていたが、隣のプロレスラーが無骨な手で小さくリズムを取っているのを見て、つられて動かし始めた。プロレスラーは無表情のまま、微動だにしない巨体で、ただ右手のサイリウムだけを正確なリズムで振っていた。


そして、その中心に立つ達也が、今日も一番一生懸命だった。


百円ショップのサイリウムを握りしめ、顔を真っ赤にして、振り方は相変わらず不器用だったけれど、それでも全身全霊で光を振っている。まるで、自分の存在すべてで初奈の歌に応えようとしているみたいだった。


(あの人が、連れてきてくれたんだ)


女子高生も、サラリーマンも、プロレスラーも、みんな達也が連れてきたのだろう。どうやって知り合ったのかはわからない。でも、あの口下手で不器用な達也が、誰かに声をかけて、ここに連れてきてくれた。その事実だけで、胸がいっぱいになった。


初奈はその光の群れを見つめながら、心の底から歌を届けたいと思った。届け、届け、届け。この声が、あの人たちの心に届きますように。サビの『貴方に出会えて良かった、この世界が美しく見えるから』を歌いながら、初奈は自分でも気づかないうちに、涙がこぼれそうになっていた。


歌い終わると、客席から温かい拍手が起こった。数十人分。でも、これまでまばらだった拍手とはまるで違う、確かな熱量を持った拍手だった。達也を中心とした小さなグループは、夢中でサイリウムを振り続けている。初奈は深々と頭を下げた。


イベントが終わり、片付けをしている初奈のもとに、三人の見学者が近づいてきた。ぼたんとるるかと箒だった。


「見てたぞ、初奈」


ぼたんが腕を組みながら、少しだけ口元をほころばせて言った。


「すごいじゃねえか。いつの間にあんなにファン増やしたんだ」


「私、別に増やしたつもりはなくて。気がついたら、達也くんが連れてきてくれていて」


「あら、それってもう」


るるかが優しく微笑んだ。


「ファンクラブみたいなものね。中心にあの学ランくんがいて、みんなが集まってきて。素敵だわ」


「ファンクラブ!」


箒が飛び跳ねながら言った。


「ええやんええやん! ウチもいつかファンクラブ欲しいわあ! 初奈お姉ちゃん、これからどんどん大きくなるで、絶対!」


「ファンクラブ……」


初奈はその言葉を小さく呟いて、片付けの手を止めた。ファンクラブ。そんな大層なものではないかもしれない。十数人の、小さな集まりだ。でも、確かにあそこには、初奈の歌を聴きに来てくれる人たちがいた。そしてその中心には、いつも達也がいる。それが、何より嬉しかった。


【初奈の日記】


今日のイベントは、いつもよりたくさんの人が来てくれました。


達也くんの周りに、いつの間にか仲間が増えていました。ドル研の先輩たちはもちろん、真面目そうな女子高生…確か川で鞄を拾ってもらっていたあの子。スーツ姿のサラリーマン、それからプロレスラーのような大きな男性まで。みんな達也くんを冷やかしながらも、初めてのサイリウムの振り方を達也くんに教わっていました。あの達也くんが、誰かに教えている。それを見ただけで、胸がいっぱいになりました。


歌っているとき、みんながサイリウムを振ってくれました。不器用な振り方の人も、慣れた振り方の人も、みんなが私の歌に合わせて光を揺らしてくれた。その中心で、達也くんが今日も一番一生懸命でした。相変わらず振り方は下手なのに、全身全霊で。その姿を見ていたら、涙が出そうになりました。


見学に来ていたぼたんさんとるるかさんと箒ちゃんが、あれはファンクラブみたいだねと言ってくれました。ファンクラブ。私にはまだ、そんな大層なものではないけれど、あの小さな光の集まりは確かに、私だけの宝物です。


今日の光景を、いつかお母様にも見せてあげたかった。私の歌に、こんなにたくさんの人が集まってくれたことを。きっとお母様は、あの優しい笑顔で「よかったわね」と言ってくれただろうと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。