小悪魔の来訪
事務所に新しい練習生が入ってきた。
「こちら、今日からレッスンに参加することになった小間箒ちゃんよ」
九条さんに連れられてスタジオに現れたのは、初奈よりもさらに小柄な少女だった。肩口で揃えたボブカットに、大きな瞳が印象的で、年の頃は中学生くらいだろうか。服装はゆるめのパーカーにショートパンツ。耳には小さなピアスがいくつも光っている。
「小間箒です! 十三歳! よろしくお願いします!」
声を聞いて、初奈は少し驚いた。関西弁だった。それも、かなりコテコテの。
「あ、桜坂初奈と申します。よろしくお願いします、箒ちゃん」
「わあ、初奈さんや! めっちゃ可愛い! ウチ、初奈さんのこと前から知ってます! 歌声がめっちゃ綺麗で、ずっと憧れててん!」
箒は初奈に駆け寄ると、その小さな手で初奈の両手をぎゅっと握った。目をキラキラさせて、本当に嬉しそうに笑っている。初めて会ったばかりなのに、人懐っこい子だと思った。
「箒、お前まだ初奈に会って三十秒だろ」
ぼたんが呆れたように言った。
「ええやん、憧れの人に会えたんやもん! あ、そっちはぼたんさんとるるかさんや! お二人ともサインください!」
「あらあら、元気な子ね。うふふ。いいわよ」
「ちょ、お前、図々しいな」
箒は物怖じする様子もなく、次々に三人と打ち解けていく。その天真爛漫な振る舞いは、見ているだけで不思議と周りを明るくした。初奈は、かつて自分がぼたんと初めて会った日のことを思い出していた。あのときも、彼女は突然現れて、勝手に距離を縮めてきた。箒はなんだか、あの頃のぼたんに少し似ている気がする。
それから数日が経ったある日。レッスンの合間に、初奈は箒をあの喫茶店に連れて行くことにした。るるかに教えてもらった穴場のカフェで、かつて三人でよく通った場所だ。最近はなかなか来られていなかったが、誰かとゆっくり話したいときには一番の場所だった。
「わあ、めっちゃ雰囲気いいお店やね! 初奈さん、こんなお店知ってるんや!」
「以前、るるかさんに教えてもらったんです。隠れ家的で、あまり人に教えたくないんですけどね」
「うふふ、ウチは特別ってことや! 嬉しいわあ」
初奈はアールグレイ、箒はキャラメルラテを頼んだ。窓際の席に座ると、午後の柔らかな光が差し込んで、箒の髪を蜂蜜色に染めている。
「なあ、初奈さん」
ラテを一口飲んで、箒が少しだけ真面目な顔になった。
「初奈さんは、なんでアイドルになろうと思ったん?」
初奈は少しだけ考えてから、静かに語り始めた。お母様のこと。最期の言葉。『貴方に出会えて良かった。この世界が美しく見えるから』という言葉の意味を、自分はまだ理解できていないこと。その答えを探すために、アイドルになろうと決めたこと。
箒は黙って聞いていた。ときおり相槌を打ちながら、大きな瞳をさらに大きくして、初奈の言葉をひとつも逃すまいとしているようだった。
「……というのが、私の理由です。まだ何も成し遂げていませんし、自分でも遠回りだとは思いますが」
「めっちゃ素敵やん……」
箒の声が、少し震えていた。
「初奈さん、そんな深い理由でアイドルになろうとしてたんや。ウチ、自分がちょっと恥ずかしくなってきたわ」
「箒ちゃんは、どうしてアイドルに?」
「だってウチずーっも人気者やし。生まれた時から周りに囲まれてたんや、なんでも出来るし大阪中から好かれとった。でもそんなんじゃ足りへん、もっともっと輝きたいんや!小間箒って輝きを皆んなに見つけて欲しいんや!」
箒は少しだけ照れくさそうに笑った。
「そんな理由やから、初奈さんの話聞いて、なんかもう、すごいなあって。自分がちっぽけに思えてきたわ」
「そんなことはありません。箒ちゃんの理由も、とても素敵だと思います。誰かに見つけてほしい。それは、私が『貴方』を探しているのと同じです」
「『貴方』かあ……」
箒はしばらく何かを考えているようだったが、ふと顔を上げると、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「なあ、初奈さん。初奈さんにとって、今、世界は美しく見えるん?」
初奈は少しだけ言葉に詰まった。
「……まだ、わかりません。お母様が言っていた意味は、きっとまだ」
「ふうん」
箒はラテをストローでかき混ぜながら、じっと初奈を見つめている。
「でもな、初奈さん。ウチ、知ってるで。初奈さんが『貴方』を探してるって話」
「え?」
「だって、有名やもん。初奈さんの歌、『貴方に出会えてよかった』って歌詞があるやろ。あれ、めっちゃ深い言葉やと思う。でもな、初奈さん」
箒はそこで言葉を切り、にやりと笑った。その顔は、十三歳とは思えないほど小悪魔的だった。
「その『貴方』って、もしかして——例の学ランくん?」
初奈は、持っていたティーカップを取り落としそうになった。
「な、な、なんで箒ちゃんがそれを」
「あはは、図星やん! 噂になってるで! 初奈さんのイベントに毎回来てる、学ランの男の子がおるって! ぼたんさんとるるかさんから聞いたわ!」
「お、お二人とも、なんてことを……!」
「ええやんええやん! どんな子なん? かっこええの? ウチ、めっちゃ気になる!」
初奈は耳まで真っ赤になって、俯いてしまった。
「……まだ、ちゃんと話したこともないんです。名前も知らなくて」
「えー、名前も知らへんの?」
「……はい、いつもお辞儀だけで、何度も助けてくれたのに決して見返りを求めず近寄らないんです」
「へーまるで昭和の少女漫画やな!どんな硬派な男なんや?」
「どんな、と言われましても……いつもボサボサの髪で、眼鏡をかけていて、サイリウムを振るのがすごく下手で、それでも毎回必ず来てくれて」
「ふんふん」
「この前は、先輩に押し付けられたグラビアの写真集を落として、『僕のじゃない!』って叫んで逃げていきました。それから、私のグッズを『全部ください』って言ってくれて」
「めっちゃええ子やん! なにそれ、ウチもう応援したくなってきたわ!」
箒はテーブルをバンバン叩いて笑った。初奈は顔から火が出そうだった。
「あ、あの、このことは内密に」
「わかってるわかってる! でもなあ、初奈さん、顔が真っ赤やで。ニシシッ」
箒は明るく笑った。
【初奈の日記】
今日は箒ちゃんと、あの喫茶店に行きました。達也くんを初めて見かけた、思い出の場所です。
箒ちゃんは、入ったばかりの研修生で、まだ十三歳。小悪魔みたいに人をからかうけれど、根はとても優しい子です。初めて会った日から「お姉ちゃん」と呼んで懐いてくれて、年の離れた妹ができたみたいで、なんだか嬉しい。
喫茶店で、お母様の遺言の話をしました。私がアイドルを目指した理由も、誰かの世界を美しくしたいという想いも、全部話しました。箒ちゃんは「ええ話や」と言って、ちょっとだけ泣きそうになっていました。あの子がそんな顔をするなんて意外で、でも、真剣に聞いてくれたことが何より嬉しかった。
それから、私にとって世界が美しく見えるのかと聞かれました。答えは、まだわからない。人気は出ないし、お父様にも学園の友人にも、アイドルをしていることは蔑まれるばかり。正直、世界が美しいとはまだ言えません。
そして、私が探している「貴方」の話になりました。自分にとって世界を美しく見せてくれるような、特別な誰か。それを話したら、箒ちゃんはにやにやしながら「それって例の学ランくん?」と言いました。どうして知っているのかと思ったら、ドル研の先輩たちがネットで活動報告をしているのだそうです。写真集の件も全部知っていて、ジト目になったこともすっかりバレていました。もう、穴があったら入りたい気分です。
でも、箒ちゃんに「達也くんが『貴方』なのか」と聞かれて、私は答えられませんでした。まだわからない。まだ、自分でもよくわからないのです。ただ、彼が来てくれると、嬉しい。それだけは確かです。




