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シーズンが進むにつれ、桐島の名前は少しずつ広がっていった。
最初はサッカー専門メディアの小さな記事だった。「異色のボランチ」という見出しで、桐島のプレースタイルが紹介された。記事の内容は戦術的な分析が中心で、年齢や体のことには触れていなかった。しかしその記事がSNSで拡散され、試合映像のクリップが広まるにつれ、話題の性質が変わっていった。
跳躍のシーンが、特に広まった。
センターバックを越えるヘディングのシーン。体を極端に低く落として相手の逆を取る場面。ピッチの中で他の選手と明らかにちがう動き方をする、サッカー選手とは思えない華奢で中性的なビジュアルの選手。そのビジュアルと動きの組み合わせが、サッカーファン以外の目にも引っかかった。
七月、スタジアムの観客数が増え始めた。
FC東都のホームゲームに、明らかにサッカー目的ではない層が混じるようになった。若い女性のグループ、カメラを持った人々、普段はプロリーグを見ないような年齢層。彼らは桐島が後半からピッチに入る瞬間を待ち、その姿にスマートフォンを向けた。
桐島はそれを、試合前のアップ中に視界の端で感じていた。
感じながら、無視した。
試合に集中することだけを考えた。
八月の第三節、桐島は後半から出場し、決勝点に直接関わった。
相手は首位を争うライバルクラブで、守備組織が堅く、後半の10分まで、〇対〇のまま終わりそうな気配があった。
桐島が入ってから、流れが変わった。
中盤でボールを受けるたびに、相手のプレッシャーが微妙に遅れた。遅れる理由は、桐島の体の動き方が、相手の守備の経験値に存在しないからだった。男性選手相手に何百時間も積み上げてきた守備の習慣が、桐島を前にすると誤作動を起こす。重心の位置、体の向き、次の動きへの移行の速度。すべてが、男性選手の標準的なパターンから外れていた。
七十八分、桐島は右ウイングにいったんボールを預け、すぐ前に抜けて再度ボールを受け、相手の左センターバックと一対一になった。
センターバックは体格で圧倒しようとした。百八十五センチ、八十二キロ。桐島より二十五キロ重い体が、真正面から寄せてくる。
桐島は止まった。
完全に、止まった。
相手の重心が前に出た瞬間、桐島は右に半歩動き、体を九十度回転させた。腰の回転角度が、通常の男性選手の可動域を超えていた。上体だけが横を向き、下半身はまだ前を向いている。その分裂したような体軸の動きに、センターバックはつられて足を出す。
コンマ一秒の判断ミス。
桐島にはそれで十分だった。
縦に抜けた。
ゴール前に走り込んだ相馬にパスを出した。相馬がシュートを打った。ゴール。
一対〇。そのまま試合終了。
その試合の翌週、日本サッカー協会の技術委員長、嶋田がFC東都のクラブハウスを訪れた。
表向きはクラブの強化体制の視察だったが、黒川から桐島に事前に連絡が来ていた。「本当の目的は、たぶんあなたを見ることです」と黒川は言った。
嶋田は六十代の元代表選手で、日本サッカーの技術的な方向性を長年主導してきた人物だった。眼光が鋭く、余計な言葉を使わないことで知られていた。
練習を見学した嶋田は、練習後に桐島を呼んだ。
二人きりで、クラブハウスの一室に入った。
「見ました」と嶋田は言った。「試合映像も、今日の練習も」
桐島は黙って聞いた。
「今の代表は、中盤に問題を抱えています。縦に速い攻撃はできる。守備の強度もある。しかし局面を変える選手がいない。現代サッカーにおいて、相手の守備が整ったところでも、一つ剥がせる選手は、今の代表にはとても大きな武器になる」
嶋田が桐島を見た。
「あなたの動き方は、その解決策になりえる」
桐島は少し間を置いてから言った。「年齢のことは、ご存知ですか」
「聞いています。四十七歳。体の事情も含めて」
「四十五分しか出られません」
「知っています」嶋田は少し考えてから続けた。「ただ、今の代表に必要なのは九十分走り続けられる選手ではない。特定の局面で、特定の仕事ができる選手です」
その言葉が、桐島の中に静かに落ちた。
九月になって、週刊誌が記事を出した。
見出しはこうだった。「日本代表候補、桐島修二の秘密――その体は女性だった」
桐島は朝のコンビニで、たまたまその表紙を見た。
自分の顔が、そこにあった。
記事の内容は、事故から手術までの経緯を含む、かなり詳細なものだった。ドナーの情報には踏み込んでいなかったが、遺伝的性別、外見的な性別、戸籍上の性別の三者が一致していないという事実を、センセーショナルな文体で書き立てていた。
その日のうちに、SNSが動いた。
賛否が、激しく割れた。
「女性の体で男性リーグに出るのはアンフェアだ」「戸籍上男性なのだから何の問題もない」「女子代表に選ぶべきだ」「本人の意思を尊重すべきだ」「そもそもスポーツの性別カテゴリを根本から見直すべき時期ではないか」
議論は一晩で、スポーツの範囲を超えた。
ワイドショーが取り上げた。新聞が社説を書いた。専門家がコメントした。政治家が発言した。それぞれが自分の文脈で桐島の存在を引用し、自分の主張の根拠にした。
桐島自身は、その間、ほとんど沈黙していた。
クラブから「コメントは控えてください」と言われたからではなく、今は何を言っても正確には伝わらないと判断したからだった。四十七年生きてきた経験が、嵐には少し待つことを教えていた。
十月、日本サッカー協会が緊急の検討委員会を設置した。
委員には、スポーツ医学の専門家、法律家、倫理学者、元選手が含まれた。委員会は非公開で、三回にわたって開かれた。
桐島も一度、参考人として呼ばれた。
委員の一人、スポーツ倫理学の教授が言った。「女子代表への参加については、どうお考えですか」
桐島は答えた。「考えていません」
「なぜですか」
「私は男性です。四十七年間そうでしたし、これからもそうです。女性としてプレーすることは、私自身への欺瞞になります」
「しかし身体的には」
「身体的なことは、承知しています。それでも私の意識と戸籍は男性です。スポーツの性別区分が何に基づくべきかについて、私は答えを持っていません。ただ私自身については、答えを持っています」
委員会の中に沈黙が生まれた。
別の委員、元女子代表選手だった五十代の女性が言った。「女子サッカーの選手たちが、どう感じるかについては」
「それは真剣に考えています」と桐島は言った。「女子代表に私が選ばれることで、その枠を一つ奪うことになる。それは女子選手への不公平だと思っています。だからこそ、男性カテゴリで戦うことにこだわっています」
その言葉が、委員会の空気を少し変えた。
三回目の委員会のあと、協会は声明を出した。
「桐島修二選手については、戸籍上の性別および本人の意思を尊重し、男性カテゴリでの競技継続を認める。代表選考においても、同様の基準を適用する」
簡潔な声明だった。
すべての議論に答えた声明ではなかった。しかしその声明は、桐島という一人の人間に対して、今できる最大限の誠実さを示していた。
十一月の第二週、監督の伊藤から電話が来た。
「協会から連絡があった。来月の国際親善試合に、代表候補として招集したいという話だ」
桐島はしばらく、電話口で黙っていた。
「桐島?」
「……聞こえています」
「どうする」
また、少しの沈黙があった。
「行きます」と桐島は言った。
電話を切った。
リビングに恵子がいた。夕食の準備をしていた。桐島は食卓に座り、由美子の背中を見た。
「代表に呼ばれた」
恵子が手を止めた。振り返らなかった。しばらくそのままでいた。
それから「そう」と言った。
「そう、だけ?」
恵子が振り返った。目が、赤かった。
「泣くな、料理が」と桐島は言いかけて、止まった。
恵子は笑った。泣きながら笑った。
「おめでとう」と恵子は言った。「馬鹿みたいに遅い道のりだったけど、おめでとう」
代表合宿は、十二月の初めだった。
初日の朝、ナショナルトレーニングセンターに向かう電車の中で、桐島は窓の外を見ていた。
冬の朝の景色。駅を過ぎるたびに変わる風景。通勤する人々、自転車、信号、街路樹。どこにでもある、普通の朝の日本の景色。
二十歳のとき、こういう景色を見ながら何を考えていたか、もう覚えていない。三十歳のとき、四十歳のとき、それぞれに何かを考えながらこういう電車に乗っていたはずだが、その記憶は薄い。人間は日常の中で、今この瞬間を記憶に刻もうとは思わない。
しかし今この瞬間は、覚えておこうと思った。
四十七歳で、体が変わり、プロになり、代表に呼ばれた朝の電車。冬の光が車窓を流れていく、この景色を。
トレーニングセンターに着くと、代表選手たちが集まっていた。
二十代の選手がほとんどだった。一番若い選手は二十一歳で、桐島の娘の美鈴と一つしか変わらなかった。
桐島が入ると、視線が来た。今更慣れた視線だった。
キャプテンの三十一歳の選手が近づいてきた。「よろしくお願いします」と言い、手を差し出した。
「こちらこそ」と桐島は答え、その手を握った。
親善試合は、十二月の第二土曜日だった。
国立競技場。
スタンドに、六万人がいた。
桐島は後半からの出場だった。ロッカールームで前半の展開を確認しながら、ウォームアップをした。体は動いていた。いつも通りの感覚。
ハーフタイム、代表監督の浜田が話した。「後半、桐島を入れる。中盤で一枚剥がすことだけを考えてくれ」
桐島は頷いた。
ピッチに出た。
スタジアムの空気が、頬に当たった。
六万人の声が、体の表面に触れた。
グラウンドの芝が、スパイクの下にあった。
桐島は深く息を吸った。
田村葵。
この体で、今日ここに立っている。あなたが二十年かけて鍛えたこの体で、日本代表のピッチに立っている。それがどういう意味を持つのか、まだ完全にはわからない。しかしあなたの体を、今日できる限り動かす。それだけは、確かなことだ。
笛が鳴った。
桐島は走り出した。
ボールが来た。
受けた。
相手が寄せてきた。
体を低くした。重心を落とした。骨盤が傾き、股関節が開き、この体だけが持つ角度で、体軸がぶれた。
相手が迷った。
その迷いに、桐島は入った。
左に抜けた。前を向いた。右サイドに展開した。
スタジアムから声が上がった。
桐島はすでに次のポジションを取っていた。
走りながら、思った。
人生というのは、わからない。
三十五歳で社会人サッカーをやめたとき、それで終わりだと思っていた。四十七歳で事故に遭ったとき、今度こそ終わりだと思った。しかしそのたびに、まったく予測のつかない形で、続きが来た。
終わりだと思った場所が、全部、途中だった。
ボールが、再び来た。
桐島は迷わず受けた。
四十五分間、この体で、この場所で、できることをすべてやる。
六万人の声の中で、桐島修二は走り続けた。
冬の夜の光が、キラキラと光る砂のようにグラウンドに降り注いでいた。




