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途切れた道のその先は  作者: 月の輝く夜に
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沸騰

パラグアイとの試合は、現地時間11時開始。日本との時差の関係で、キックオフは日本時間の深夜二時過ぎだった。それでも日本国内では、深夜のテレビ中継に視聴者が集まった。スポーツバーは満員だった。


スタジアムは、南米に近い地理的な事情もあって、パラグアイのサポーターが多かった。赤と白のユニフォームが、スタンドの大半を埋めていた。ただ、青いゾーンも確かにあった。日本から来たサポーターがいた。桐島を目当てにやって来た現地の観客もいた。


桐島はベンチから、スタンドを見た。

十六強の壁、という言葉がある。日本はこれまで、ラウンド十六で何度も止まっていた。その壁の前に、今夜また立っている。

パラグアイは、映像で見た通りのチームだった。

チュニジアが身体能力で仕掛けてくるタイプだとすれば、パラグアイは足元の技術とボールへの執着心で戦うチームだった。守備は堅く、ブロックを作る位置が低く、奪ったときの切り替えが速かった。チュニジアの上位互換、という印象は、実際に映像で見ると、それ以上だった。前線の選手がボールを追う強度が、高かった。球際で負けない気持ちが強い。身体をぶつけて来る。例え何があっても奪われないことを優先するサッカーだった。


前半は、両チームとも慎重な入りだった。

日本がボールを持とうとすると、パラグアイのプレスが来た。速く、整然としていた。ミスをすると即座にカウンターに移行してくる。日本のDFは、その速さに何度か脅かされた。山岸が体を張ってスライディングでシュートをブロックしたり、欧州組のDFが体で相手の強引な前進を防いだり、ポストに助けられたり、ギリギリのところで得点には至らず、ヒヤリとする場面を三度凌いだ。

前半終了、スコアレス。


ロッカールームは静かだったが、日本はこれからだという予感を持っていた。浜田は声をかけた。「桐島」

*  *  *

後半の頭から、桐島が入った。

ピッチに入ると、パラグアイの選手の一人が、桐島の近くを通り際に何か言った。

英語だった。「Bitch」

桐島は苦笑した。そういう言葉が来ても、男性の自分への言葉とは受け止められなかったからだ。気にしないことにした。


試合が動いた。

桐島が入ってから、日本の攻撃に変化が生まれた。パラグアイのブロックの前に新しい目標ができたことで、守備の重心が少し前にずれた。そのずれを使って、日本は縦パスを差し込む機会を増やした。

しかしパラグアイの対応も速かった。


桐島へのボールが入るたびに、複数の選手が寄ってきた。そして最初のファールが来た。

桐島が中盤でボールを受けようとした瞬間、パラグアイの選手が腕を掴み、ワンタッチで前に抜けようとした桐島を引きずり倒した。笛が鳴った。


宮内が駆け寄ってきた。「大丈夫ですか」

「大丈夫です」と桐島は答えたが、宮内の目が怒っていた。他の選手も同じだった。意図的なファールだと、全員がわかっていた。


桐島は立ち上がり、ユニフォームの土を払った。

怒りは、あった。しかし、それを顔に出すことはしなかった。出せば、相手の思う壺だった。


運命の瞬間は、六十七分だった。

桐島がボールに触ろうとしたとき、一人が横から腕を掴んだ。身動きが取れない桐島に対し、もう一人が斜め後ろからのスライディングで、ボールと足の両方を狙ってきた。極めて危険なプレーであることは明らかだった。桐島も、ボールではなく自分へのここまで直接的な害意をピッチで感じるのは、初めてだった。危険を察知して背筋が凍り、思わず目をつぶった。


次の瞬間、横から何かが入ってきた。

山岸だった。

山岸が自分の足を差し込んだ。スライディングの軌道を変えた。桐島の足ではなく、山岸の足がスライディングを受けとめた。

鈍い音がした。

山岸が倒れた。

笛が鳴った。主審が走ってきた。パラグアイの選手にイエローカードが出た。しかし山岸は、起き上がれなかった。

メディカルスタッフが走ってきた。担架が呼ばれた。

山岸は自分で立とうとした。が、右足をついた瞬間、顔が歪んだ。スタッフが肩を支えた。

スタジアムが静かになった。その後、日本のサポーターも、それ以外も、あまりの酷いラフプレーに、ブーイングを超えた怒声が響き渡った。

メディカルスタッフからバツが出て、山岸は、ピッチを後にした。


山岸を見送った桐島に走った感情は、怒り、という言葉が正確かどうか、わからなかった。もっと冷たい、静かなものだった。感情が沸騰し、体の奥に溜まり、それが固まっていく。

*  *  *

次に日本がボールを奪い、カウンター気味の攻撃に繋げようと、インサイドハーフが桐島にボールを入れようとした。

またも一人のパラグアイ選手が、桐島の腕を掴もうとした...が、桐島はその手首を逆に掴み返した。相手が力を込めようとした瞬間、その方向に少しだけひねるように動かした。相手のバランスが前に崩れた。体勢が崩れ、桐島は自由を確保した。


もう一人が軸足側から来るのが察知できた。ボールを狙うような動き方だが、明らかにボールには届かない。ファール覚悟で軸足を払うように蹴りに来ていた。

桐島は、後ろに下がりながらのダブルタッチで、相手が伸ばした足の間にボールを通した。いわゆる「股抜き」だ。なかなかプロの世界や国際試合では見られない類のもので、やられたほうにとっては恥になる。

ピッチの上で、一瞬の静寂があった。そして...抜かれたパラグアイの選手は、明らかに冷静さを欠いていた。反転して、前に抜けようとする桐島のユニフォームを後ろから掴んだ。


しかし、桐島は構わず前に進んだ。血が沸騰していた...何かが裂ける感触があり、桐島は自由になった。

この間、パラグアイは、味方のボール奪取を予感し、戻りきらず、攻撃とディフェンスの中間のまま止まっていた。


前を見ると、宮内が桐島を追い越す動きで走っていた。

宮内がきり裂いた前のスペースにパスを出した。左サイドをかけ上がろうとする日本のウイングと対応を迷うパラグアイ。

宮内はDFラインの前を斜めに切れ込んで、そのままファーにシュートを打った。力以上の何かがこもっているシュートだった。

GKの左手をかすめ、ネットが揺れた。

スタンドの青いゾーンが弾けた。

一対零。


宮内は吠えていた。そのまま自陣に走って戻る宮内が桐島に駆け寄ろうとして...何故か途中で止まって目を反らした。桐島は、そのとき、チームの選手の微妙な視線に気づいた。

ユニフォームの背中の一部が裂け、胸元近くまで、布が引っ張られていた。背中側、インナーとパンツの隙間には肌色が見えている。インナーを着ているため決定的な部分が見えていないのは幸いだったが、このままで続行はできず、着替えなければならない。

しかし試合は動いている。ここで桐島がピッチの袖やベンチで着替えると、色々まずい。放送事故になりかねない。しかし、規定上、ユニフォームを着替えるために長時間プレーを止めることはできない。

幸い、さっきのパラグアイ選手には2枚目のイエローカードが出て、退場になっていた。1対零は本来安全なリードとはとてもいえないが、リードしている側が11人で、後半のこの時間であることを考えれば、ある程度計算は立つ。

桐島はベンチを見た。交代の表示が出た。


桐島はピッチを出た。

ベンチに入りテープでユニフォームに応急処置をして、試合を見届けることにした。

残りはロスタイムを入れても二十分。


体は動けた。戦えたし、まだ頭は沸騰していたが、ベンチに下がらざるを得なかった。理不尽で、どこか間の抜けた交代劇だった。


試合はそのまま終わった。

パラグアイが必死に10人で押し返してきたが、日本のDFは、体を張り続けた。山岸の抜けた穴を、若い選手たちが懸命に埋めた。最後の笛が鳴った。

一対零。


日本が、初めてベスト八に進んだ瞬間だった。

ピッチ上で選手たちが抱き合っていた。スタンドの青いゾーンが立ち上がっていた。

桐島はベンチで、それを見ていた。歴史的な勝利だが、苦い勝利だと感じていた。


勝ったこと、ベスト8に行けたことは、もちろん嬉しい。しかし、苦かった。山岸は、自分のために盾になり、負傷した。今はそのまま病院に直行している。


試合後、日本の勝利は即座に世界中で報じられた。ついでに、「前代未聞の交代劇」という見出しや、破れたユニフォームの桐島の姿が、複数の言語で流れた。何故かそちらのクリック数の方が多かった。コメントは割愛する。

*  *  *

山岸が病院から合宿地に戻ったのは、深夜だった。

右足の靭帯損傷。今大会中の復帰は不可能だという診断だった。本人はチーム帯同を希望したが、靭帯損傷は早めに手術が必要であり、今後のキャリアを考えるとプロとしてチームを離れざるを得なかった。


翌朝、食堂にチームが集まったとき、山岸は松葉杖をついて現れた。

食堂が静かになった。今日の昼の飛行機で、山岸が日本に帰り手術を受けることはみんな知っていた。

山岸は入口で一度止まって、全員を見渡した。それから「おはよう」と言った。いつもと同じ声だった。

誰かが「おはようございます」と返した。また誰かが続いた。少しずつ、食堂の音が戻ってきた。

山岸は桐島の隣に座った。トレーを置いて、ゆっくり椅子を引いた。

「大丈夫ですか」と桐島は言った。それは、怪我のことではなく、これで山岸の最後のワールドカップが終わってしまったことへの言葉だった。

山岸は首を振った。

「悔いはないです。桐島さんと、ひいては日本を守れたと思っています」

桐島は黙った。周囲のチームメイトたちは、二人の会話を聞いているようで、それぞれの話をしていた。


「チームを、頼みます」と山岸は言った。宮内や川田の方を一度見てから、桐島に戻した。

桐島が山岸に返せる言葉はたった一つだ。

「力を尽くします」


山岸は頷き、食事を始めた。桐島も食事に戻った。

食堂は、少しずつ普段の音を取り戻していた。

ベスト八。次の相手は、まだわからない。しかし、山岸のいないチームで、日本は、未知なるステージに挑むことになった。


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