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途切れた道のその先は  作者: 月の輝く夜に
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波紋

オランダ戦の翌日から、桐島の名前は日本の外へ踊り出た。


国際スポーツメディアが試合を取り上げ、世界ランキング七位のオランダを沈めた選手として桐島を特集した。「四十八歳の記憶と二十歳の体」という話は、日本では既知のものだったが、海外にとっては新鮮な衝撃だった。英語圏の大手スポーツサイトが「最も異例な代表選手」という見出しで記事を出した。フランスのメディアは後半の守備映像を切り出して、「美しき経験が美しいサッカー選手を作る」という論評を掲載した。


SNSでは、桐島のオランダ戦の場面の切り抜きが世界中で拡散した。縦パスのコースに先回りする動き。ボールをかいくぐる場面。そして何よりゴール前への流れるようなバックアタックと跳躍に、信じられない、AIじゃないかとの驚嘆のコメントがついた映像が流れていた。ただ、FIFAはワールドカップ最年長(?)ゴールとして自身のアカウントで紹介しており、その意味でも話題をさらった。


もう一つ動きがあった。

桐島の映像が世界に出回ったことで、今後の対戦相手各国の分析チームが動き始めていた。黒川経由で届いた情報では、日本の次戦以降の対戦相手国が、桐島のプレー映像を専門に収集・分析しているという報告があった。


当然のことだった。警戒されていない選手は、どこかに欠点があるか、まだ見えていないかのどちらかだ。オランダ戦の後、桐島は前者の扱いをされなくなった。代わりに、対策を立てられる対象になった。

*  *  *

合宿地に戻ったチームの空気を、桐島はすぐに感じた。

浮ついているわけではなかった。全員が真剣だった。だから余計に、その微妙なずれが見えた。

食堂での席の選び方。練習後のアイシングをする場所。夕食後に誰が誰と話しているか。表面に出てくる話ではなかった。しかし、オランダ戦で出場した選手と、出場機会を得られなかった控えメンバーの間に、目に見えない線が引かれ始めていた。オランダ戦に出た選手は自信を深め、それ以外の選手は悔しさを噛み締めていた。

出た側が問題なのではなかった。出なかった側が問題なのでもなかった。


浜田監督には短期決戦を勝ち抜くための起用プランがあるはずだった。オランダ戦での桐島の起用はそのひとつであり、チュニジア戦、その先のラウンドに向けて、誰をどの局面で使うかを計算している。しかし、そのプランの全体像が、控えの選手たちには届いていなかった。自分がなぜ今出ていないのか。いつ出るのか。何を期待されているのか。それがわからないまま続けるのは、消耗する。

桐島はその消耗を、良く知っていた。


上司の意図が見えない時期の作業がどれほど空虚に感じるかを。体は動いているのに、どこに向かっているかわからない感覚に似ている。


翌朝の練習前、オランダ戦で出場機会がなかった左ウイングの若い選手が一人、グラウンドの端でリバウンドを蹴っていた。桐島はその隣に立った。

「なんか用ですか?」

「いや、頑張ってるなと思って。ところで、チュニジアの試合みた?」

「もちろん見ました。」

「僕は監督じゃないから責任のある話ではないんだけど、君の粘るディフェンスは、チュニジアにはすっごい嫌だよね」

選手は見透かされていることも感じながら、評価されていることを素直に受け止めてくれた。

「ちょっと桐島さんおかんみたいっすよ」と照れ隠しのように苦笑しながら言った。


昼の練習が終わった後、別の控え選手が桐島に話しかけてきた。似たような会話になった。その翌日も、また別の選手と話した。

桐島が仕掛けているわけではなかった。ただ、話しかけられると答えた。不安を受け止め、相手の美点について話をした。

桐島の外見が醸し出す柔らかい、女性的な空気と、中身がおじさんというギャップ、代表でレギュラー格でありながらスタメンにはなれないという状況、様々な若い選手達からの相談のしやすさを作っていた。


浜田はその様子を、グラウンドの端から見ていた。

*  *  *

チュニジアの映像を、桐島は何度も見た。

アフリカ予選を勝ち上がってきたチームで、個々の身体能力が際立っていた。FWとウイングの爆発的な加速、接触に強い体幹、狭いエリアでのテクニック。オランダとは違う種類の脅威だった。オランダは組織で崩してくる。チュニジアは個で仕掛けてくる。

そして正直に言えば、チュニジアとの相性は、自分にとってオランダより悪い、と桐島は思っていた。

チュニジアのカウンターは速かった。ボールを奪った瞬間から、二秒以内に縦に出てくる。その速さに、このフィジカルでは追いつけない。ポジショニングで縦パスのコースを消すことはできる。しかし一度ドリブルでスピードに乗られたら、取り返しがつかない。体格差と速さの差が、そのまま結果になる。

チュニジア戦での自分の出番は、おそらくない。桐島はそう判断していた。


ただ、もし使われるとしたら、どうするか。その問いは捨てなかった。

ある夜、部屋でその問いを考えていた。

スピードカウンターを受けた時に、正面から止めようとしても無理だ。力でぶつかれば弾き飛ばされる。足で追いかければ置いていかれる。

では、どうするか。

合気道を始めたのは、Jリーグの最初のシーズンだった。女性の体で男性のフィジカルコンタクトに対応しようとして、何度弾き飛ばされてもぶつかり続けた時期があった。結果は毎回同じだった。体格差は埋まらなかった。見かねたトレーナーが「力で勝てないなら、力を使わない方法を考えろ」と言って、近くの道場を紹介した。受け身から始めて、崩しを学んだ。合気道の根本にある考え方は、相手の力に逆らわないことだった。向かってくるベクトルを受け止めるのではなく、逸らす。力を消すのではなく、方向を変える。

あの考え方を、サッカーに使う。


速いカウンターが来た時、正面に立つのではなく、斜めに立つ。相手の走るコースを、微妙にずらす。ゴールへの直線を、一度折らせる。その折れた先に、味方のDFが間に合う時間を作る。体格でも速さでも勝てない。しかし、コースの選択肢を一つ奪うことなら、立ち位置だけでできる。

正面から止めるのではなく、流す。


桐島はスマートフォンを置いて、天井を見た。

チュニジア戦に出るかどうかは、浜田が決める。しかし出たとき、何をするかは今夜決めた。

*  *  *

チュニジア戦まで、二日になった。

最終調整の練習で、浜田が全体ミーティングを開いた。珍しいことに、戦術の話ではなかった。

「一つだけ言う」と浜田は言った。「このグループステージを勝ち抜き、その先のトーナメント勝つために、俺は誰を先発で使うか、誰をどのような場面で使うか、全部腹のなかに落としている。その中には、GKは仕方ないが、基本的に全員の名前がある。出場時間が短い選手も、まだ出ていない選手も、全ての役割を持ってここにいてもらっている。桐島は一つの例だ。彼は時間限定で、場面限定で出場することを理解している。」

ルームが静かだった。

「場合によっては、その場面は来ないかもしれないし、その時には交代枠を使い切っている可能性もある。だが、全員に役割がある。」

相変わらず短い話だったが、練習に戻った選手たちの動きが、少し変わった気がした。


桐島はそれを見ながら、自分の準備に戻った。

正面から止めるのではなく、流す。その感覚を体に入れる時間がまだあった。

夜、部屋に戻って水を飲んだとき、腹の下の方に、鈍い重さがあることに気づいた。

すぐにわかった。

この体になってから、月に一度やってくる。最初の頃は何もわからず、ただ体の不調として受け止めていた。今は周期を把握している。対処の仕方も、ある程度は身についた。チームドクターには話してある。試合日程と重なった場合のプロトコルも、一応決めてある。

今日の感覚から計算すると、チュニジア戦の当日に重なる可能性があった。

桐島はベッドに腰を下ろした。

合気道の話でも、チュニジアの映像でも、チームの空気の話でもなく、この体のことだけが、今夜の問題だった。

葵からもらった身体は、自分にとって福音ともとれるものだったが、このときだけはそんな機能があることを恨めしく思った。


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