第18話 仄暗い伝承
息を呑んだルクレティアが、隣で申し訳なさそうな顔になる。彼女の質問は会話の流れとしては自然なものだったと思うのだけれど、ロゼリアの苦しそうな顔に、軽率だったと感じてしまったのかもしれない。
ルクレティアの頭をそっと撫でてから、シオンは昼間のことを思い出す。
「もしかして、君が露店で鑑定書の鑑定人にこだわっていたのは、そのことが関係していたりする?」
「……ああ。姉さまが助かる方法が何かないかと思って、水晶谷の伝承を詳しく調べようと思ったんだ。だが、伝承の書かれた資料は王立図書館の地下で管理されていて……立ち入りが許されているのは、王宮勤めの者か調律師の資格を持っている者だけなんだ」
「鑑定書があっても、ロゼリアが調律師の資格を認められたことにはならないんじゃないかしら?」
「それはそうだが、ないよりはマシだろう? もしかしたら許可が貰えるかもしれないし、藁にもすがりたい想いだったんだ」
姉の命が懸っているのだ。ロゼリアの必死になる気持ちは痛いほどよくわかるし、好ましく思えた。肩を落とす彼女に、シオンはやんわりと微笑みかける。
「それなら、僕とティアが君に協力するのは駄目かな? 魂の竜の伝承を調べることは僕たちの目的でもあるんだ。君のお姉さんが生贄にならなくても済む方法を、一緒に探す。どうだい?」
伝承を洗えば魂の竜を手に入れる方法が見つかるかもしれないし、竜を目覚めさせることができれば生贄の問題も解決するかもしれない。
ロゼリアが駆けつけてくれなければ二人はどうなっていたかわからないし、そういう意味では命の恩人とも言えるのだから、協力してやりたい。
ルクレティアを見ると、シオンの意見には賛成なのかにっこりと微笑んでくれた。当のロゼリアは悩むように押し黙っていたけれど、最後にはこくりと頷いた。
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三人がルクシーレに到着したのは、太陽がすっかり沈んだ夜のこと。
ロゼリアとは明日改めて宿に来てもらう約束を交わして別れ、露店で適当に夕食を済ませたシオンはルクレティアと共に宿へと戻った。
空の航界を終えてすぐに洞窟へと赴き、幻竜と戦った身体は疲労困憊だった。
埃っぽい身体をシャワーで洗い流し、寝巻へと着替えたシオンはベッドに腰掛け、ルクレティアに包帯を巻き直してもらった。慣れた手付きで白い布を巻いてくれていたルクレティアが、ふと顔を上げて小首を傾げた。
「ねえ、シオン。お昼に善意と悪意のお話をしてくれたでしょう?」
露店の店主がロゼリアを騙そうとした時の会話だと、すぐに察せた。頷くと、ルクレティアはおずおずと首を傾ける。
「ヴェルスーズの人たちに生贄のことを隠しておくことは、善意から? それは、正しいことなのかしら……?」
「…………」
ロゼリアの口調から察するに、贄の制度を知っているのは国政に携わる一部の人間と、生贄に選ばれてしまった者の血縁者だけなのだろう。ロゼリアの身なりの良さから察するに、もしかすると初めから制度を知っている重鎮の血筋から生贄が選出されていたりするのかもしれない。
しばし考えた末に、シオンは返答した。
「どうにもならないことだから不安を煽らないように、って考えは……理解はできるよ」
「でも、ロゼリアのお姉さんが可哀想だわ。これまで生贄にされた人たちだって」
ルクレティアの言うことは尤もだった。難しげな顔で思案に暮れている愛らしい顔を、シオンは覗き込む。
「もし同じ立場に置かれたら、ティアならどうする? 受け入れる? それとも、抵抗する?」
「え……でも、わたしは人じゃないから……」
この手の話をするとき、ルクレティアはいつもこう言う。その度にシオンは悲しくなる気持ちを押し殺さなくてはいけなかった。
ルクレティアは人と変わりなく見えるけれど、きめ細やかな肌も脈打つ心の臓も、すべてが聖術で創られた偽者だ。
目の前にいる少女は間違いなく、人ではない。
それでもシオンにとってのルクレティアは人形などではない。
彼女の言わんとすることに、首を横に振る。
「ティアの体は特別なものだし、帝国では人のために尽くせって教え込まれたかもしれないけど……君には、もっと自分を大切にして欲しいな」
「……それなら、シオンは生贄の制度には反対なのね」
シオンの願いに首を縦に振ってくれることはなかったけれど。暗かった瞳が微かに輝きを取り戻す。シオンはただ微笑んだ。
「魂の竜を目覚めさせることができたら、解決するかもしれないしね」
「できるの?」
わずかに不安そうに揺れる瞳に、シオンはきっぱりと告げる。
「やらないと。そのために、帝国を出たんだから」
シオンの言葉は、ルクレティアに安堵をもたらしたらしい。軽やかな足取りで浴室へと消えていく背中を見送ってから立ち上がったシオンは、窓の外を見た。
街灯に浮かび上がる夜のルクシーレはゆったりと時を刻んでいて、平穏そのもの。
ガラスの向こうには、犠牲になった女性たちのことを知らない安穏とした顔がたくさんある。それは、いつ綻びが生じるとも知れない仮初の平和でしかないのだろう。
カーテンをさっと引いて、シオンはその景色を隠した。そして、ずっと押し殺していた苛立ちを吐き出すように、嘆息する。
「……生贄、か。どの国もやっていることは変わらないな、七神竜は」




