6.神住まう島
そろそろ、次の目的地が見えてきた。ことはさんがそう言ったのと同時に、電車がぐいんと線路から外れ、近くの海岸に向かって突っ込んでいく。
「わっ!?」
この電車は、普通の電車ではない。線路以外のところも走ることができる。それは十分すぎるくらいに分かってはいたけれど、いきなりこんな動きをされるとやっぱり心臓に悪い。
しかし、ためらいなく海岸に近づいていくなあ……まさかと思うけれど、このまま海の上を走るのかな。それとも、海底? いや、さすがにそれはないと思いたい。でも、ありえないとは限らない。
ぎゅっとスクールバッグを抱えて身構えたそのとき、電車は海のすぐそばにある駐車場で停まった。ああ、よかったあ……。
「さあ、到着ですよ。足元に気をつけて」
乗車口が開き、タラップが勝手に下りる。楽しげなことはさんに手を引かれて、地面に降り立った。
「それでは、電車もきちんと隠しておきましょうね」
彼がそう言ったのと同時に、目の前で電車がぱっとかき消えた。びっくりしつつ、手を前に伸ばしてそろそろと進んでみる。……何もない。
「大丈夫ですよ、必要になったらまた呼びますから」
電車を隠すとか呼ぶとか、冷静になって考えてみればおかしな言葉の使い方だ、まあ、夢だし、いいか。
「ところで、ここからどこに向かうんですか?」
「次は、あれに乗ります」
ことはさんが指さしているのは、大きなフェリーだった。海底トンネルを歩いて、電車に乗って、次は船。結構バラエティに富んだ旅だ。修学旅行みたいでわくわくする。
弾む足取りで、フェリー乗り場に向かう。そこに書かれていた文字を見て、思わず声を上げた。
「宮島フェリー……あ、厳島神社ですね! ここ、一度来てみたかったんです!」
家族旅行で広島に行った友達が、厳島神社の本殿や鳥居とか、いろいろ変わってて面白かったよって、前にそう話していたのだ。
わたしは別に、神社とかそういうのが特別好きなわけではない。それでも友達がとっても楽しそうに話していたから、ちょっと気になっていたのだ。
わたしの表情を見て、ことはさんも嬉しそうに笑っている。
「でしたら、ちょうどよかった。どこに行こうか迷っていたのですが、やはりここはにぎやかでいいかと思ったので」
「有名な観光地ですし、楽しそうですよね」
「それに、私の知り合いも近くに住んでいますので、私もそこそこ詳しいんです」
「あ、そうだったんですか。だったら、お知り合いに会いにいきますか?」
「いえ、彼女はよく留守にしていますから。気が向けば、あちらから会いにくるでしょうし」
「彼女……ご友人ですか?」
「親戚です。君と同世代の、元気な子ですよ」
そんなことを話しながら、フェリーに乗り込む。すぐにフェリーは岸を離れ、ゆったりと海原に進み出た。大きい船だからか、揺れはほとんど感じない。というか瀬戸内海って、基本的に穏やかだけどね。
せっかくだから、潮風を感じていたい。中には入らずにデッキに残り、手すりにつかまって外を眺める。青い海、白っぽい街並み、その中に浮かぶ赤。あ、大鳥居だ!
「あの鳥居って、本当に、海の中に立ってるんだ……ものすごく目立つなあ……なんでまた、あんなところに……」
そんな独り言に、ことはさんが答えてくれた。
「宮島は、島そのものに神が宿るとされているんです。なので、神の上に社殿や鳥居を作るのはおそれおおいと、あのような形になったのだと言われています」
「ああ、そういうことだったんですか。それなら、あんな形になったのも分かります」
感心しつつうなずくと、彼はこちらに向かっていたずらっぽく片目をつぶってみせる。
「ただ、私個人としては、もっと別の理由もあると思っています。今の形の社殿を作った平清盛が、見た者をあっと言わせてやろうと考えたのではないかと、そう思うのですよ。ちょうど、今の君が目を丸くしているように」
「たいらの……きよもり……」
あ、知ってる。日本史でちょろっと出てきた。
「ちなみに前に通った関門海峡、あそこは『壇ノ浦』とも言います。やはり、平家にゆかりの地なんですよ」
「壇ノ浦……どこかで、聞いたような……」
日本史だったっけ。いや、古文かも。そういえば関門トンネルで出会った孝之さんが、あそこの流れは複雑で速くて、船で渡るのは大変だったって言っていたような。
そのとき、ぴんときた。
「源氏と平氏の、最後の戦い……でしたっけ」
壇ノ浦で敗れた平家の人たちは、次々と流れに身を投げた。読みなれない古い文体でつづられた大昔の話に、もの悲しさを感じたのを、思い出した。
「ええ。この瀬戸内には、平家にゆかりの場所が多くあります。関門海峡を滅びの地とするなら、この宮島は平家の栄華の名残を表す地、とも言えますね」
無機質なトンネルと、長い歴史を感じさせる神社が、思いもかけない形でつながった。そう考えると、ちょっと感慨深い。
「どれだけ栄えていても、いつかは終わる、ってことかなあ……」
しみじみとそんな思いをかみしめていると、ことはさんがふっと目を細めて微笑んだ。どことなく切なげなその表情に、思わず目を丸くする。
しかし彼はいつもどおりににっこり笑うと、また海のほうを向いた。
「よかった。ちょうど今は、潮が引きつつあるようです」
彼の視線は、大鳥居にすえられている。目を凝らすと、その周囲に干潟らしきものが広がっているのが見えた。
「確か、大鳥居のそばまで歩いていける……んですよね?」
「はい。宮島についたら、急いで向かいましょう」
自然と、さっきのしんみりした空気はどこかに行ってしまって、わくわくした気分が戻ってくる。
そうこうしているうちにも、島の桟橋が近づいてきていた。
「わあ、シカだ……って、なんで集まってくるの!?」
フェリーを降りたとたん、シカたちに出迎えられる。というか、囲まれた。通りすがりの観光客が、目を丸くしてわたしを見ている。シカを追い払おうとすればするほど、なぜかシカが密集してきた。なに、これ。
奈良のシカたちは、シカせんべい目当てに集まってくる。でもここには、そういったものを売っている店は見当たらない。だったらなぜ、こうなったのか。
「気をつけてくださいね、紙を持っているとかじられますよ」
そう忠告してくれていることはさんのすぐ後ろにも、シカがいる。しかしみんなお行儀よく、きちんと整列していた。シカって、あんなふうに並ぶことがあるんだ……。
「ことはさんは、どうして包囲されてないんですか……」
「普段の行いでしょうか。あるいは、君が動物に好かれるのかもしれません」
確かに、彼と知り合ったのもイノシシがきっかけだったけど。でもちょっと、複雑な気分だ。
無言で考え込んでいると、彼はそっとわたしの手を引いて、シカの群れから引き離してくれた。なおもこちらに寄ってこようとするシカたちを、駄目ですよ、と柔らかくさとしている。
するとシカたちはあっさりと、あちこちに散っていった。……どうして彼の言うことは、素直に聞くのだろうか。
ともかく、ようやく自由になれた。深々と息を吐いていたら、ことはさんが声をかけてきた。
「さて、ようやく進めますね。大鳥居へ向かう前に、厳島神社へあいさ……参拝しましょう」
少々不思議な言い回しに、引っかかるものを感じる。
神社にあいさつ。門司でも彼は、似たようなことを言っていた。そんなふうにはあまり見えないのだけれど、とても信心深いのだろうか。
ついつい、彼の顔をまじまじと見てしまう。けれど彼はそれ以上何も言わずに、涼しい顔で進み出した。どうも、ごまかされているような気がしないでもない。
まあ、いいかな。そもそも彼が謎めいているのは、今に始まったことでもないし。
ふたり並んで海辺の道を歩いていると、じきに本殿が見えてきた。干潟から突き出たたくさんの木の柱の上に、木で作られた社殿がのっかっている。フェリーから見たときよりも、ずっと迫力がある。
まずは社殿に足を運んで、お祈り……ことはさん流に言うなら、あいさつ……する。木の板が渡された回廊を歩いて、干潟に降りた。
「足場が悪いので、転ばないように気をつけてくださいね」
「ことはさん、わたし子どもじゃないです……うわっ!」
カニの穴がぽつぽつと空いたぬかるみをそろそろと歩くわたしに、ことはさんが声をかけてきた。むっとして反論した拍子に、バランスを崩してしまう。
「おっと、大丈夫ですか」
「あ、はい……あの、ありがとうございます」
転びかけたわたしの腕を、ことはさんがしっかりとつかんでいた。一瞬目を見張って、あわててお礼を言う。
さっきシカから助けてもらったときも感じたけど、ことはさん、結構力が強い。って、成人男性だから当たり前だ。
……というかわたし、年上のかっこいい男性とふたり旅をしてるんだ。夢だからって深く考えてなかったけれど……うわ、改めて意識したらすっごくこそばゆい。
「どうしました? まさか、足でも痛めたのでしょうか」
「なんでもないです! ほら大鳥居、行きますよ!」
小首をかしげていることはさんから顔をそらして、大鳥居に向かってずんずんと進んでいく。
大鳥居のところにたどり着いたころには、もうさっきのくすぐったさは消えていた。代わりに、感動がこみ上げてくる。
「……うわあ、大きいなあ……」
真下から見る大鳥居のあまりの迫力に、ありきたりの感想しか出てこない。とにかく大きい。ものすごい。
「それだけ感心してくれたのであれば、きっと、平清盛も満足しているでしょうね。彼の笑顔が目に浮かぶようです」
ぽかんと口を開けて上を見続けていると、ことはさんの感慨深そうな声がした。歴史上の人物にそこまで感情移入しているって、感受性が強い人だなあ。
そう思いながら、隣のことはさんをちらりと見る。切なげに目を細めた彼の横顔は、やけにきれいで、やけに遠く感じられた。
大鳥居に触れてみたり、海や本殿を眺めたりと忙しくしていたら、ことはさんがそっと声をかけてきた。
「そろそろ潮も満ちてきますし、戻りましょうか」
気づけば、周囲の人たちもほとんど引き上げていた。はあい、と返事をして、大鳥居に背を向ける。
「あれ……?」
しかしそのとき、ふと違和感を覚えた。
さっきから、ひとりの女性が大鳥居の下にぽつんと立ち続けていた。たぶん二十代半ばくらい、ベージュのシャツと長いフレアスカートを着て、丈の短い紺色の上着を羽織った、長い茶髪の女性だ。パンプスについた小さなリボン飾りがかわいい。
ごく普通の、観光客っぽい格好の彼女は、しかしどことなくこの場にそぐわない雰囲気をまとっているように思えた。
こう……なんというか、楽しそうじゃないというか、ちょっぴり重たいというか。周囲にいる他の人たちがみんなはしゃいでいるから、余計に彼女が浮いて見えるというか。
今もなお、その女性はその場に立ったままだった。島ではなく海のほうをじっと見つめたまま、微動だにしていない。
「お姉さん、そのままだと濡れちゃいますよ」
水に濡れたら、かわいいパンプスが台無しだ。さすがに気になって、その女性に声をかけてみた。すると彼女はのろのろと振り向いて、悲しげに微笑んだ。
「いいの……濡れたい気分だから……」
思わぬ返事に、思いっきりあわててしまう。濡れたい気分って、いったいどういう気分なんだろう。
「というか、危ないですよ。ほら、行きましょう」
そっと彼女の腕に手をかけて、軽く揺する。おせっかいかなとは思ったけれど、放っておけなかった。
「あなた、親切なのね……あの人も、昔はそうだったの……」
女性はハンカチを目に当てて、ふっとうつむく。その声に、ちょっぴり涙がにじんでいた。
ひとまず、彼女に何か事情があることだけはすぐに分かった。たぶんその事情が、濡れたい気分と関係あるのだろうな。
とはいえ、やっぱりこのままにはしておけない。どうにかして、この人をここから動かさないと。
「あの、お姉さん。ジュースでも飲みませんか!」




