5.線路は続くよ
関門トンネルを抜けた先には、門司側とよく似た感じの建物があった。そこを出たところで、驚きに立ち尽くす。
わたしの目の前、すぐそばの駐車場に、信じられないものが転がっていたのだ。
「……なんでこんなところに、電車が?」
銀杏の葉を思わせる明るい黄色の電車が、駐車場のど真ん中にぽつんと置かれている。それも、一両だけ。
運転席はあるのに、運転手はいない。というより、誰もいない。いやそもそも、ここには線路なんてないし、運転手はいてもいなくても同じか。それ以前に、どうやってこんなものを運び込んだんだろう。
少しだけぽかんとして、それからばっとことはさんを見る。彼は少しも動じることなく、笑顔で口を開いた。
「もちろん、旅をするからですよ。次の目的地までずっと徒歩というのは無理がありますから」
うすうすそんな気はしていたけれど、やはりこれは彼の仕業らしい。
「まさか、あれに乗る……とか?
「ええ、そうですよ。ここからは、この電車で移動するんです」
……この人には、本当に常識が通じない。
「わざわざ電車なんて用意しなくても、一度お店に戻って、そこから改めて別の場所に飛べばいいような……もしくは、レンタカーとか……」
自分でもどことなく論点がずれているなと思いながらも、一応尋ねてみる。するとことはさんはきりりと顔を引き締めて、力強く答えてきた。
「旅には風情というものも必要ですよ。ぽんぽんと遠方に一瞬で跳んだのでは、あまりに味気ないですから。それに私、運転免許を持っていないんです」
そうして彼は、すたすたと電車に近づいていく。乗車口のひとつが音もなく勝手に開き、ぱたんとタラップのようなものが下りてくる。
「さあ、行きましょう」
ことはさんが振り返り、手を差し伸べてきた。
彼の言いたいことも、分かるような分からないような。まだちょっと困惑しつつも、彼の手を取って電車に乗り込む。
車内の両側、窓際には長い座席がすえつけられていた。上のほうには、網棚と吊り革。端のほうにある運転席には、誰もいない。
広告や路線図が飾られていないのと、わたしたち以外誰もいないことをのぞけば、割と見慣れた電車の姿だった。
「こちら側の席にどうぞ。海が見えますよ」
ことはさんはいつになく上機嫌で、そそくさと席についている。わたしをせかすように、すぐ隣の席をぽんぽんと手で叩いていた。
言われるがまま、彼の隣に腰を下ろした。すると、がたんと電車が動き始めた。ゆっくりと、東へ向かって進んでいる。
「線路がないのに、走ってる……」
振り返って座席に膝立ちになり、窓の外を見る。誰もいない海辺の遊歩道を、電車は走っていた。ある程度予想はしていたけれど、あまりにも豪快な光景だ。すごい夢だなあ。
とはいえ、さすがにこれは怪奇現象以外の何物でもない。
「あのこれ、誰かに見つかったら大変なことになりますよね!?」
「大丈夫ですよ。この電車は、店の出入り口と同じように姿を消していますから」
「でもでも、誰かをひいたりしたら……」
「そちらも問題ありません。この電車は、この世界に存在しているようで、存在していないのですから」
さて、分からない。まあ、人身事故の心配はしなくてもよさそうだけど……。
首をかしげ続けていたら、ことはさんがのんびりと言った。
「それに、もうじき線路に合流します。電車は、やはり線路を走ってこそですから。そうすれば、君も少しは安心できるのではないですか?」
「ええと、まあ、そうです……ね?」
そもそも、電車がひとりで勝手に走っていること自体がおかしいのだけれど、彼はそこのところをフォローする気はないらしい。
そう思いつつ、頭を抱える。
ううん、いいんだ、もう。夢相手に真面目に突っ込んでいたら、きりがない。などと開き直ろうとしたものの、やはり落ち着かない。窓の外、行く手に線路らしきものが見えてきたときは、ようやくほっとした。
「……あの」
ようやく電車が線路に乗ったところで、きちんと座り直す。がたんごとんという慣れた振動に、少し心が落ち着くのを感じた。それと同時に、忘れかけていた問いを思い出す。
「結局、関門海峡で達成した目的って、何だったんですか?」
「そちらの品ですよ」
彼の視線は、菜月さんから受け取ったレジ袋に注がれている。そういえば、まだ中身を確認していなかった。
膝の上にレジ袋を置いて、中のものを引っ張り出す。夏ミカンの黄色い皮の砂糖漬けがどっさり入った透明な袋が、姿を現した。皮と一緒に、緑色の丸いものも入っている。こちらは青いミカンの薄切りかな。おいしそう。
「もしかして、これを……お店に置くんですか?」
「はい、そうしたいと考えています。ただ、これをもらったのは君ですから、少し分けてもらう必要があるのですが」
ためらいがちに切り出すことはさんに、にっこりと笑いかける。
「もちろんです! 少しと言わず、半分こしましょう」
来られたのはことはさんのおかげだし、ひとりでこんなにたくさんは食べられない。それに、おいしいものは分け合ったほうがよりおいしい。
さっそく袋を開けて、ひとかけらずつ食べてみる。さわやかな香りと優しい酸味、それにしっかりとした甘みが、見事に調和している。
「おいしい……レモンとも、ちょっと違いますね……」
「これなら、いい商品になるでしょう。よかった」
ことはさんも、ふんわりと微笑んでいる。気に入ったらしい。よかった、いいものを手に入れられた。
しかしほっとしたのと同時に、また別の疑問がわいて出てくる。
「でもこれって、市販品ですよね。だったらお店の入り口を山口県につないで、ことはさんが自分で買いにいけばいいだけじゃ……あるいは通販とか……」
すると彼は、きっぱりと首を横に振った。
「あいにくと、それでは売り物にならないのです。あくまでも、誰かの手を経て、誰かの思い出が残ったものでないと駄目なのです」
「えーと?」
何を言いたいのか、さっぱり分からない。混乱して目をぱちぱちさせていると、ことはさんがふっと寂しげに笑った。
「君とあの家族が、海底であの幻を見て感じたもの。孝之さんの話を聞いて、君たちが感じたこと。君が話を聞いてくれたことに対する、菜月さんと孝之さんの感謝の思い」
指折り数えながら、ことはさんが歌うようにひとつひとつ挙げていく。
「その砂糖漬けには、そういった思いがこもっているのです。君のおかげで、たくさんの思いが集まりました。ありがとうございます」
その笑みは、くすぐったそうな、柔らかなものに変わっていた。
説明してもらっても、やっぱりなんのことか分からない。ただ、彼がとても満足していることだけは感じ取れた。
ことはさんは砂糖漬けを見つめながら、鼻歌でも歌っているかのような口調でつぶやいている。
「さてこれは、どうしましょうか……別の袋に小分けにして売ってもよさそうですし、刻んでクッキーに載せてもよさそうですし……」
たったこれだけの砂糖漬け、しかもふたりで分けるというのに、どうやって売り物にするんだろう。どう考えても、量が足りないのに。
あ、分かった。きっとここで味見して、あとで通販とかで手に入れるつもりなんだ。そうに違いない。というか、そうとしか考えられない。
あれ、でもさっき、通販じゃ駄目だとか、そんなことを言っていたような……。
ううん、こんがらがってきた。悩みつつもうひと口砂糖漬けを食べて、袋をことはさんのほうに差し出す。
「残りはどうぞ。お店で扱うんですよね」
すると彼は一瞬きょとんとしたけれど、笑顔で袋をそっと押し返してきた。
「いえ。私は、味見できただけで十分です」
「うーん?」
これで十分、って。さて、やっぱり分からない。首をかしげていたら、ことはさんがおかしそうに笑う。
「どうぞ、細かいことは気にしないでください。ほら、輝く海を眺めながらのおやつもいいものですよ」
彼にうながされるようにして、窓の外を見る。
窓の外には、さわやかな日差しがさんさんと降り注いでいる。小さな島々を抱いた穏やかな海が、きらきらと輝いていた。
見ているとほっとする、のんびりとした風景だ。電車の心地よい揺れもあって、まったりとしてしまう。
くう。
気を抜いたとたん、お腹が鳴ってしまった。そういえばそろそろ、お昼近い。
「クッキーでも食べますか? じきに次の目的地に着きますから、そちらで昼食にしようかと思っていたのですが」
まだ大丈夫です、と答えかけたそのとき、抗議するかのようにまたお腹が鳴った。しかもさっきより、大きな音で。健康優良児な自分が憎い。
わたしの返事を聞くより先に、ことはさんが楽しそうに笑いながらうなずく。
「ふふっ、それではすぐに準備しますね」
ことはさんは立ち上がると、網棚の上に置かれたバスケットを持ってきた。中には大きな魔法瓶と、クッキーのものらしき缶、さらに食器がいくつか。わあ、ピクニックバスケットだ。
彼は手際よく魔法瓶の中身をカップに移し、クッキーを載せたお皿と一緒に差し出してきた。もらっちゃっていいのかな、と思わなくもなかったけれど、目の前の素敵な香りには逆らえない。
「それじゃ、いただきます!」
最初にお店でごちそうしてもらったものとは違い、このクッキーはとてもさくさくしていた。なんだっけ、アーモンド……プードル? とかを入れるんだったかな。
「ああ、やっぱりおいしいなあ……」
魔法瓶で保存してたとは思えないくらい、紅茶もおいしい。ほわんとした温かさが、喉からお腹へ下がっていく。
温かな日差しが差し込む電車の中、かたんことんという心地よい揺れを感じながら、顔見しりの人とふたりきり、のんびり話して、おやつを食べる。
どうにもこうにも、現実感がない。でも、とっても素敵な時間だ。
にこにこしながらさらにクッキーを食べ、お茶を飲む。すると隣から、幸せそうな声が聞こえてきた。
「君は、本当においしそうに食べますね。ふるまいがいがあるというものです」
……餌付けをされているひな鳥の気分、かも。
ちょっぴり複雑な気分で、それでもせっせと食べ続けていたら、ことはさんがぽんと手を合わせた。
「君が手に入れてくれた砂糖漬けを組み合わせれば、もっとおいしいクッキーができますよ。そうだ、さっそく試してみましょう」
ことはさんはバスケットの中から小さなナイフを取り出すと、さっきの砂糖漬けを器用に刻んだ。そして注意深く、クッキーの真ん中に載せていく。
「あ、かわいい……」
「クッキーを花形にしてもよさそうですね。さあ、味を見てください」
「それじゃあ、遠慮なく……」
砂糖漬けを落とさないように注意しながら、大きく口を開けてクッキーを頬張った。クッキーと砂糖漬けの風味が複雑にからみあって、とっても奥深い味になっている。一気に高級感が出たように思える。
「とってもおいしいです!」
「よかった、商品がひとつ決まりましたね。とても幸先がいいです」
嬉しそうなことはさんを見ていたら、こちらも嬉しくなってしまった。ほっとしながら、彼に笑いかけた。
「わたし、役に立てたんですね。嬉しいな」
商品の仕入れとかなんとか言われたときは、そんなことができるのか不安だった。けれど案外、簡単なのかもしれない。
「よし、頑張ろう!」
「ふふ、その意気ですよ。ほら、次の目的地が見えてきました」




