20.今を大切に
学校の帰り道、息を弾ませながらせっせと足を動かす。空は重苦しい灰色で、底冷えのする風が吹いていたけれど、少しも寒くなかった。
この道を通るときは、いつも小走りだ。最初は、イノシシに追いかけられたせいだった。でも今は、大切なあの店に向かうために、自然と足取りが速くなってしまうのだ。
やがて見えてきた、あのお店。扉を開けて、明るくあいさつする。
「こんにちは、お手伝いにきました!」
ちりんというベルの音が、軽やかにわたしを出迎える。もうすっかりおなじみになった音だけれど、何度聞いても心が浮き立つ。
あれから、この店はずっと同じ場所にある。いつ行っても、きちんとそこにいてくれる。
もともとここにあった駐車場はどうなっているのか気になったけれど、その辺のあれこれも、ことはさんがちゃんと処理してはいるらしい。「少なくとも、土地の所有者に損をさせるようなまねはしていませんよ」と、彼はそう断言していた。
そうしてわたしは、週に二回ほど、この店を訪ねている。ことはさんと一緒に店番をしたり、日帰りで仕入れにいったり、そんな感じで彼の仕事を手伝っているのだ。
……なお、きちんとバイト代までもらってしまっている。「わたしがやりたくてやっているんですから」と固辞しようとしたのだけれど、「君の時間をもらっているのですから、どうか受け取ってください」とことはさんに押し切られたのだ。
ちなみにその場に居合わせていた沙代里は、「いいじゃない、受け取っちゃいなさいよ。それで、あたしにクレープおごって。こないだ、新しい店ができたの」などと言っていた。次の日一緒にクレープを食べにいったら、彼女はものすごく幸せそうな顔で味わっていた。
「こんにちは。待っていましたよ。寒かったでしょう、今お茶を入れますね」
店の奥から出てきたことはさんは、お茶の支度が載ったトレイを手にしている。まるで、わたしがいつやってくるのかが分かっていたかのような準備のよさだ。
わたしがここに来るのは、放課後だったり休みの日だったりする。毎回、ここに来る時間もまちまちだ。けれど彼は毎回、いれたてのお茶でもてなしてくれるのだ。そういえば最初にここに駆け込んだときも、同じようにすぐにお茶を出してもらったっけ。
「わーい! 今日のお茶は、何ですか?」
しかも、毎回お茶のフレーバーが違う。緑茶やウーロン茶、ハーブティーなんかが出てくることもあるので、いつも何が出されるのか楽しみなのだ。
わくわくしているわたしにおっとりと微笑みかけて、彼は店の片隅にあるテーブルにトレイを置いた。コートとマフラーを脱いでいそいそと席につくわたしに、彼は笑顔のまま説明してくれる。
「今日は冷えますし、シナモンとクローブ、それにリンゴをブレンドした紅茶です。チョコレートクッキーを一緒にどうぞ」
「いただきます! うわあ、いい香り……」
湯気の上がるカップを手に、うっとりとため息をつく。ことはさんも向かいの椅子に腰を下ろして、優雅にお茶を飲みながらわたしを見守ってくれていた。
まずはお茶とお菓子を楽しんで、ちょっと世間話をして。それから、今日の仕事の確認。これが、いつもの流れだ。
クッキーをかじって、お茶をひと口。上品な甘さと、どことなく懐かしさを感じる香りが、とてもよく合っている。お腹も心も、ぽかぽかする味だ。いつものことながら、ことはさんのチョイスは絶妙だ。
「それで、今日は店番ですか? それとも、仕入れですか?」
このお店の品物は、ことはさんが人の思いに触れ、それをもとにして生み出したものなのだとか。
だからあの旅の間、彼はわたしが手に入れたものを、じっくりと観察していたのだ。あれは物自体を観察していたというより、そこに宿る思いを感じ取っていたらしい。
夏ミカンの砂糖漬けはかわいいクッキーに、宮島のモミジは美しいしおりに、大原美術館のポストカードは小さな布製の壁掛けに加工されていた。
彼が生み出しただけあって、元となった品は全て、わたしの手元にある。こないだモミジを持ってきて見比べたら、細かな葉脈のひとすじまでそのまんまだった。3Dプリンターでも、ここまで見事に複製はできないだろう。さすがは、神様の力だ。
ただ、さすがに万能というわけでもなく、何度も同じ商品を生み出していると、『人の思い』が少しずつ薄れていくのだそうだ。思いがなくなってしまえば、もうこのお店には置けない。
だから、定期的に新たな品の仕入れが必要なのだとか。でもおかげで、わたしの出番がたくさんあって嬉しい。わがままを言ってここに通わせてもらっているのだから、役に立ちたい。
「そうですね……たまには、徒歩で仕入れにいきましょうか」
少し考えて、ことはさんがそう答えた。あれ、珍しいな。仕入れは今回が初めてじゃないけど、「外歩きは、もっと暖かくなってからのほうがよさそうですね」と言って、店の出入り口ワープで目的地にひとっ飛び、ばっかりだったのに。
きょとんとしていたら、ことはさんが目を細めていたずらっぽく笑った。
「行ってみれば分かりますよ」
ふたりで店を出て、そのまま商店街のほうに向かって歩く。普段の下校ルートとは外れているから、この辺りを歩くのは休日くらいだ。
店でのんびりお茶をしていた間に、もうすっかり日は傾いていた。本当に、冬はすぐに暗くなるなあ。
それにしても、人が多い。通勤の人だけじゃなくて、観光客も結構いる。こんな時間に、何をしてるんだろう。平日だし、イベントはなかったと思うんだけど。
「ほら、あそこです」
きょろきょろしていたら、ことはさんが楽しそうに、行く手を指さした。
「わあ……」
街路樹が、きらきら光っている。そっか、イルミネーションだ。暖かな金色のきらめきを宿した木々が、大通りに沿って並んでいるさまは、まるで夢の中のようだった。
夢の中。あの旅の間、これは夢なんだと必死に言い聞かせていたことを思い出す。でもあれは全部、本当のことだった。ありえないことが立て続けに起こっていたけれど、最高の旅だった。
「きれいですね」
そっと呼びかけると、ことはさんも嬉しそうに笑った。
「はい。とってもきれいです。人々の温かな思いも感じられますね。ここの写真を撮れば、新たな商品を生み出せそうですね」
山上から夜景を見たとき、彼はとても寂しそうだった。けれどもう、あんな表情はしなくなった。それだけのことが、とても嬉しい。
にこにこしながら、光る並木を眺める。ふと、後ろからすっとんきょうな叫び声が上がった。
「あー!!」
何事かと振り向くと、友達が三人、目を真ん丸にしてわたしたちを見ていた。
「美羽もここ、来てたんだ」
「あれ、みんな?」
みんなは帰りに寄り道をするのだと言っていたけれど、まさかこんなところで出くわすなんて。しかも、ことはさんと一緒のところを見られるなんて。うわあ、どうしよう。
「あんた、今日はバイトだって言ってなかった? だから、寄り道に誘わなかったんだけど」
「あー、えっとね、その……この人が、バイト先の店長で……」
もにょもにょとつぶやくと、みんながいっせいにことはさんを見て、口をぽかんと開けている。
「え!? 大学生じゃないの!? ……でも確かに、大学生にしてはきちんとした格好だし……でも、店長って!?」
「ともかく、すっごいイケメン! うわあ、いいなあ……」
「というか、どうして雑貨店の店長とバイトが、こんなとこにいるの?」
「ほら、そこは察してあげなよ。きっとこの人が、美羽の探し人だよ。よかったねー」
わたしとことはさんをそっちのけにして、みんなはわいわいと騒ぎ始めてしまう。気のせいか、ちょっと話が脱線しているような。さっきからちらちらと、意味ありげな目で見てくるし。
「探し人だってとこだけは合ってる。けどみんな、なんか勘違いしてない!?」
あわてて口を挟むと、みんながそろって、にやりと笑った。
「あ、むきになった」
「照れてる。かーわいー」
「違うってばあ……」
どうしたものかと頭を抱えていたら、ことはさんがすっと進み出てきた。
「美羽さんのご友人ですね。私は坂の上の住宅街で雑貨店を営んでいる、志尾ことはと申します」
みんな、ことはさんに見とれてしまっていた。表情がすっかり乙女になっている。ついさっきまで、わたしのことをからかってたとは思えない表情だ。
「よければ、店に遊びに来てください。ここで会ったのも、何かの縁ですから」
何かの縁。それは、ごく普通の社交辞令にしか聞こえないだろう。けれどわたしには、分かっていた。
たまたまわたしたちがここに仕入れにきて、たまたまここで友達と会ったこと。これもまた、縁なのだ。だから彼女たちは、縁の雑貨店を訪れることができる。
彼からお店の場所を教わると、みんなは大急ぎでスマートフォンにメモしていた。ものすごく張り切っている。
「はい! 必ず行きます!」
「誘ってくれて、ありがとうございます!」
はきはきとそんなことを言って、みんなはこの場を立ち去っていった。人ごみに消えていくみんなの姿を見送って、ことはさんがくすりと笑う。
「みなさんは、私の店でどんな品と出会いを果たすのでしょうね。そのときが、楽しみです」
「ですね。よし、こうなったら気合を入れて、商品を探しましょうね!」
ふたりで笑みをかわして、みんなとは別の方向に歩き出す。
きらきらと輝く街路樹、行きかう笑顔の人たち。ざわざわという街の喧騒、お店の明かり。
ちょっと前までは、ごくありふれたものだとしか思えなかった。でもことはさんと出会って、いろんな体験をしたからか、それらのものがとても特別な、愛おしいもののように思える。
わたしとことはさんの縁が、いつまでつながっているのかは分からない。でも今は、こうしていられる時間を精いっぱい大切にしよう。
そんなことを考えながら、彼と並んで歩いていた。歩幅をそろえて、軽い足取りで。
ここで完結です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
美羽の不思議な旅物語、楽しんでいただけたなら嬉しいです。




