18.やっと、見つけた
「おおー、大成功! やるじゃない、美羽!」
思いっきりはしゃいだ様子の沙代里の声に、我に返る。振り向くと、彼女は心底楽しそうにぴょんぴょん跳ねていた。
「えっ、なんで!? さっき、池に飛び込んだよね!? なんで、ここにいるの、わたし!?」
突然のことに混乱しきったわたしの肩に、沙代里がぽんと手を置いてきた。
「さっき言ったじゃない。あの池は市杵島姫命のための場所、つまりあたしの場所。だからあたしは、あそこからなら、ある程度自由にあちこち行き来できるのよ」
説明されても、いまいちよく分からない。神様のための場所が、彼女の場所。どうやら、そう言っていることだけは理解できたけれど。
……まさかとは思うけれど、沙代里は自分が神様だとでも言いたいのだろうか。いや、さすがにそれはありえない。彼女は謎めいた雰囲気の子だけれど、それはない。絶対に。
「あいにくと、それで正解よ」
必死に自分に言い聞かせていたら、沙代里がさらっとそんなことを言った。
「ちょ、ちょっと待って、何が正解!?」
「まさに今、あなたが考えてたこと」
それって、神様がどうとかいう……いや、だから、そんなまさか。というか今、わたしの考えを読んでた!?
「あなたって、意外と頭が固かったりする? あれだけいろんな目にあったんだし、素直に信じちゃえばいいのに」
「……普通はそんなこと、信じられないってば」
言われっぱなしもどうかと思ったので、とっさに反論してみる。すると、彼女は大げさに肩をすくめてみせた。
「柵をすり抜けて池に飛び込んだはずが、なぜかこの店にいる。十分すぎるくらい、奇妙な体験よね」
「そ、それは……」
「それに、ことはとの旅は、もっともっとめちゃくちゃで、訳の分からないことが立て続けに起きたでしょう。それこそ、夢だって思いこまないとやってられないくらいに」
「まあ、そうだけど……」
「でもあなたは、夢だなんて思えなかった。そうでしょう? だから、必死にことはを探してた」
「……うん」
「あなたが考えていたとおり、あの旅は全部、現実のことだったの。そう考えれば、つじつまも通るでしょう?」
「通るような、通らないような……?」
なおもごねているわたしに、彼女は大股で近づいてきた。
「だからもう、開き直っちゃいなさいよ。でないとまた、ことはを取り逃がしちゃうかもよ?」
くすりと笑うと、彼女はわたしの手を引いて、店の奥にある扉の前に連れていった。わたしにドアノブを握らせて、すっと後ろに下がる。
「この奥にあいつがいるわ。でも、開かないでしょう?」
おそるおそるドアノブをひねろうとしたけれど、少しも動かない。立ち尽くしていたら、後ろから沙代里の声がした。
「やっぱりね。この店は、あいつが作ったあいつの場所なの。当然ながら、ここではあいつの力が一番強い。あいつが望めば、あたしもあなたもすぐに追い出される」
ここは、ことはさんの場所。その言葉が、やけにぴったりだなと思えてしまう。この店の少しレトロな雰囲気も、ほっと落ち着く空気も、ことはさんによく似ているから。……彼が作った、という言葉には、引っかからずにはいられなかったけれど。
「あたしたちの力にあらがえるのは、ただ人間の強い思いだけ」
すると、彼女の声音が変わった。さっきまでの軽快なものから、重々しいものへ。少女の澄んだ声には不釣り合いなほどに厳かに、彼女は続ける。
「あなたの思いは、あの池とこの店をつないだ。もう一度、心から願いなさい」
ことはさんに、会いたい。わたしが願うのは、ただそれだけ。
ドアノブを食い入るように見つめて、深呼吸して、ゆっくりとひねる。
カチャリ。
「……お久しぶりです、美羽さん」
扉の向こうには、ことはさんが立っていた。
「まさかここまでやってくるとは、思いませんでした」
寂しそうに、けれどどこか嬉しそうに微笑む彼の姿を見たとたん、またしても涙がこみ上げてくる。会いたかった、やっと会えた。
必死にまばたきをして涙をこらえ、笑顔を作ってこたえる。
「いくら探しても、お店にたどり着けなくて……でもたまたま沙代里に出会ったおかげで、ここまで来ることができました」
後ろから、沙代里が得意げにふふんと鼻を鳴らしているのが聞こえる。ことはさんは困り顔で彼女に視線を向けてから、そろそろとわたしに問いかけてくる。
「……あの旅は、全て夢だった。君もそう納得してくれたものとばかり思っていたのですが」
「この子、全然納得なんかしてなかったわよ。かわいそうになるくらいにしょげた顔で、ふらふらしてた」
さらに沙代里が口を挟むと、ことはさんは長いまつげを伏せてしまった。そうして、静かな声で彼はぽつりぽつりと語る。
「少なくとも、これまで旅を共にした他の方々は、みなじきに元の日常に戻っていかれました。私とのことも、この店のことも、旅のことも、全部夢だったのだと納得して。それが、あるべき姿なんです」
このお店の商品は、全てことはさんが他の人と一緒に仕入れてきたものらしい。人の手から手に渡り、人の思いがこもった品物たち。これだけの品物が集まるまで、ことはさんはどれだけの人と旅をして、そして別れてきたのだろうか。
彼はその出会いのひとつひとつを、大切に思っている。そしてひとりひとりとの別れを、悲しいと感じている。そのことは、彼の表情からはっきりと見て取れた。
だったら、わたしとの別れも、寂しく思ってくれたのだろうか。うん、きっとそうに決まっている。でなかったら、夜の展望台で、あんな顔はしなかったはず。
彼には、穏やかな笑顔が似合う。どうか彼には、笑っていてほしい。
口が勝手に動いて、言葉を紡ぎ出す。
「わたしも、夢だと思ってました。旅をしている間は、これは夢なんだって自分に言い聞かせてました。そうでもしないと、説明がつかないことが多すぎて」
ことはさんがそろそろと顔を上げて、すがるような視線を向けてきた。
「でも、元の生活に戻って、じっくり考えて……やっぱりあれは夢じゃなかったって、そう思えてならなかったんです」
肩に提げていたスクールバッグ、そこで揺れている鳥居のストラップをそっと示す。
「……でも本当は、夢とか現実とか、どうでもよかったのかもしれません」
彼の顔を見上げて、にっこり笑いかけた。
「わたし、またことはさんと話したかった。あの不思議な旅の思い出について、一緒にお喋りしたかったんです。それだけです」
すると、沙代里のしんみりした声がした。
「……よかったね、ことは。あんたのために、ここまで一生懸命になってくれる子がいて」
彼女はわたしたちに近づくと、わたしたちの手を引いて店の真ん中まで引っ張ってきた。自分は空いた椅子に腰かけて、にんまりと笑う。
「さ、ことは。いい加減覚悟を決めて、洗いざらい喋っちゃいなよ。そもそもあたしが彼女をここに連れてきた時点で、彼女もうっすら察してるから」
沙代里の呼びかけに、ことはさんがためらいながらも口を開いた。
「そう……ですね。これ以上ごまかしても、彼女は納得してくれないでしょう」
彼は苦しげにつぶやいていたけれど、突然顔をきりりと引き締める。
「美羽さん。私の店も、そして私自身も、人の世界のものではありません」
沙代里の言うとおり、ふたりはそういう存在、不思議な力を持つ何か……その何かが、具体的に何なのかということは、いったん棚に上げるとして……なのだろう。
真剣な顔で、力強くうなずいた。ことはさんはちょっとだけほっとしたように目元を緩めて、さらに言葉を続ける。
「だから私たちは、深く人と関わることはないんです。私たちの存在は、人間たちの穏やかな暮らしを揺るがしかねないので」
するとすかさず、沙代里が突っ込みを入れてくる。こわばった顔のことはさんとは対照的に、こちらはいたってのんびりとくつろいだ態度だ。
「ことはは真面目すぎるんだよねー。もっと、気楽に構えていればいいのに」
「……沙代里が自由すぎるんです。人の世界に自然に溶け込んでいるのが、せめてもの救いではありますが……」
「でしょう? あたし、さらっと女子高生たちにまざって街歩きするのが趣味なんだよね。流行りのお店とか、結構詳しいんだから」
彼女はとっても得意げだ。その辺の繁華街を、女子高生たちにまざって楽しげにお喋りしながら歩く彼女の姿……うん、すんなり想像できる。違和感がまったくない。
「それにあたし以外にも、自由なのはいっぱいいるでしょ。これでも、あたしはおとなしいほうだよ」
「まあ、そうですが……」
困っていることはさんと、彼を楽しそうにやりこめている沙代里。そんなふたりを見ていたら、ふと疑問がわいて出た。
「あの、だったらどうして、ことはさんはこのお店を?」
ことはさんが人間に関わってはいけないというのなら、どうして彼は人間相手のお店を、人間の手を借りてまで開いているのだろうか。下手をすると、沙代里よりもがっつりと、人間に関わってしまっているような気もするのだけれど。
わたしの問いかけに、ことはさんはふっと目を細めた。
「……愛おしいと、思ったんです」
その表情は、今まで見た中で一番柔らかいものだった。男性相手にこんなことを感じるのもおかしい気がするけれど、例えるなら……聖母、みたいな感じ。
「人々は、私たちにたくさんの願い事をします。幸せになりたいと、苦痛から逃れたいと。そんな思いを込めた祈りが、私たちのところに届くのです」
人の祈りを集める存在。さっき無理やり棚に上げた言葉が、またするりと目の前まで下りてくるのを感じた。
わたしが緊張しているのに気づいているのかいないのか、沙代里がすらすらと説明を付け加えている。
「あたしたちにも一応、それぞれに得意分野とかがあるんだけど、人間たちは割と適当に願い事をしてくるのよね。ま、あたしたちも細かいことは気にせずに、話を聞くことにしてる。面白いし」
この物言い……やっぱり、このふたりは……。
「ねえ、美羽」
ふと、沙代里がにんまりと笑う。さっきまでの無邪気な笑みではなく、ひどく魅惑的な、おとなびた微笑みだ。
「あなたは、あたしたちのことを、どう思う? 人間じゃないのは確か。だったらあたしたちが、本当は何なのか。ね、当ててみてよ?」




