17.出会いは唐突に
道のそばに広がる明るい池、そのほとりにたたずんでいた人影が、こちらを向いた。そうして、驚きに目を見張っている。
きれいな長い黒髪がはっと目を引く、ちょっと古風な美貌の女子高生だ。ブラウスの上からカーディガンを着て、プリーツスカートはちょっと短め。知らない制服だけど、どこの子だろう。
あ、じろじろ見るのは失礼か。と思ったら、あちらから一気に距離を詰めてきた。すぐ近くで、まばたきひとつせずにわたしを見つめている。
「やっぱりそうだわ。この香りって、あいつのだ」
彼女の視線は、わたしのスクールバッグに向けられている。わたしはコロンとか使わないし、匂いのするものなんて、入ってないんだけど。
あ、でもあの金色の葉っぱが入ってた。って、カバンの外まで匂いがもれるはずはないのに。
「もしかして、これ……ですか?」
そろそろと金色の葉っぱを見せてと、彼女は目を真ん丸にした。
「あ! やっぱり!」
何が、やっぱりなのだろう。まさか彼女は、あの絵の中の謎イケメンについて、何か知っている、とか……? 知りたい。話を聞きたい。でも、どう切り出せばいいのだろう。
わたしが悩んでいる間も、彼女はそのままの姿勢で、じっとこちらを見続けながら、ぶつぶつとつぶやいていた。
「ということは、あなたが、あの……」
やがてそのピンク色の唇から、予想外の言葉が飛び出した。
「……ことはと旅をしたって子?」
驚いてしまって、何も言えなかった。
確かに今、この子はことはさんの名前を口にした。やっぱりあの日のことは、夢なんかじゃなかった。
そのことにほっとして、そのことが嬉しくて、なぜか涙ぐみそうになった。じわりとゆがむ視界の中で、彼女がわたわたと手を振っている。
「えっ、ちょっ、どうしてそこで泣くのよ! どうしていいか分かんないから、落ち着いてよ!」
お人形のように整った面差しからは想像もつかないくらい、生き生きとして親しみやすい彼女のあわてっぷりが面白くて、つい笑ってしまう。その拍子に、少しだけ落ち着きが戻ってきた。
「あ、えっと、ごめんなさい。……その、あなたは……ことはさんのことを知ってるんですか?」
そろそろと尋ねると、その子は得意げに胸を張った。
「ええ。あたしは沙代里、ことはの親戚……よ」
ああ、そういうことだったのか。言われてみれば、顔立ちはあまり似ていないけれど、上品でどことなく浮世離れした雰囲気は似ているかもしれない。
「それで、沙代里さんはどうして、わたしがことはさんの知り合いだって気づいたんですか?」
立て続けに尋ねるのもよくないかなと思ったけれど、止まれなかった。ようやく、ことはさんにつながる手がかりが見つかったのだから。
「『さん』なんて付けなくていいよ。それに、敬語もいらない。フレンドリーにいこうよ」
けれど沙代里さん……沙代里は、むずがゆくてたまらないといった様子で肩をすくめている。どうやら、わたしが質問し続けていること自体は気にしていないらしい。
「あ、うん……」
「で、質問の答えだけど。あいつから、こないだの仕入れの旅について、話を聞いてたのよ。ちょっとだけ、だけどね」
彼女の視線は、わたしのスクールバッグに下がった鳥居のストラップに注がれていた。面白がっているような、けれどとても優しい表情で、彼女は続ける。
「そのストラップ、あいつも大切にしてた。あいつは今までに何度も仕入れの旅に出てるけど、自分のぶんのおみやげを買ってくるのは珍しかったから、よく覚えてる」
「ことはさんが……」
言われてみれば、あの旅の間、彼が自分のために何かを買っているのは見た覚えがない。このストラップだって、わたしが欲しがらなかったら、きっと彼は買わなかったんだろうなという気がする。
でも、そっか。ことはさん、このストラップ、大切にしてたんだ。
ストラップに触れながら、またしても浮かんできた涙をごまかしていたら、沙代里がぽつりと感慨深げにつぶやいた。
「それにしても、あなたがこのタイミングで、ここに来るなんてね」
目を細めてわたしを見つめている沙代里は、ひどくおとなびて見える。
「これも、何かの縁かも」
彼女の言葉に、ことはさんと初めて会ったときのことを思い出した。あのときの彼も、「何かの縁」だと言っていたっけ。そうしてわたしを、仕入れの旅に誘ったんだった。
胸が、ちくりと痛む。視線をそらしたわたしのほうに、沙代里が身を乗り出してきた。さっきまでの表情が嘘のように、にっこりと笑っている。
「なんか悩んでるみたいだし、あたしでよければ、話、聞くよ? というか聞かせて? いい退屈しのぎになりそうだし」
他人の悩みを、退屈しのぎって……ずいぶんと、ずけずけとものを言う子だ。でもその率直さが、今はありがたいかも。変に気を遣われるより、よっぽどいい。
「……だったら、話を聞いてもらってもいい? ずっとあれこれ考えてたせいで、なんか、こんがらがっちゃって……」
「ええ、もちろん!」
沙代里は明らかにわくわくしているみたいだけれど、気にせずに話すことにする。
「ことはさんとの旅は、夢だったんだって、ずっとそう思ってた。というか、夢じゃないと説明がつかないことが多すぎる。現実ではありえない」
あの旅を終えてから考えていたことを、整理しながら、少しずつ言葉にしていく。
「でも、あれが夢だと、割り切ることもできなかった。ことはさんは夢の中の登場人物じゃなくて、本当に存在する人なんだって、そう思えてならなかった」
夢かもしれない。夢じゃないかもしれない。真実を確かめたかった。
「もう一度彼に会いたくて、あちこちうろうろして……でも会えなくて……」
ああ、そうだ。そうだったんだ。やっと分かった、わたしの本当の望み。
夢だろうと夢でなかろうと、どっちでもいい。もう一度、ことはさんに会いたかった。それだけ。
「寂しいなって気持ちだけが、どんどん膨らんで……会えないのなら、せめて、彼につながる手がかりだけでも見つけたくて」
そうだ、だからみんなのアドバイスに素直に従って、こんなところまで来たんだ。
ことはさんは、縁について、人の思いについてよく語っていた。だったら、彼に会いたいという強い思いを抱えて、縁結びの神様がいるここに来れば、何かが変わるかもしれないと、無意識のうちにそう考えていたんだ。
「だから、沙代里に会えて、本当によかった……」
彼女のおかげで、ことはさんが夢の中の人じゃないってことだけは分かった。だったらいつか、また会える。たったそれだけのことに、驚くほどほっとしていた。
「ちょっと、口説き文句みたいになってるってば」
自然と、沙代里をじっと見つめる形になる。彼女は照れたようにあわてふためくと、ぶんぶんと首を横に振った。
「ごめん、でも本心だったの」
嬉しさのあまり、困らせてしまった。謝罪するわたしに、彼女は少し考えてからまた声をかけてきた。
「だったら、ことはに会いにいく?」
「会えるの?」
そのひと言に、びくりとしてしまう。彼女はにっと頼もしく笑って、人差し指を立てた。
「あなたが望むなら、できるかもね。結局こういうのって、思いの強さが鍵になるところがあるから」
こういうの。思いの強さ。いまいちあいまいな言葉ではあるけれど、彼女が言いたいことは理解できるような気がした。
「……ただ、ちょっと……」
ことはさんに、会えるのかもしれない。心の奥底に秘めていた願いがかないそうになったとたん、別の思いが頭をもたげてくる。
わたしが言いよどんでいるのに気づいたのか、沙代里が首をかしげて身を乗り出してきた。
「どうしたの、急に煮え切らない感じになってるけど。嬉しくないの?」
「う、うん。会えたら、嬉しいんだけど……もしかしたら、ことはさんのほうが、わたしに会いたくないのかな、って気もしてて……」
もごもごと打ち明けると、沙代里はぱん、と手を打ち合わせた。
「ああ、なるほどね。それを心配してたんだ。でもさ、もしそうだったなら、その理由を知りたいとは思わない? 目を背けてたら、いつまでももやもやするよ?」
あっけらかんとした顔で、彼女はそう返してきた。なんともまあ、思い切りのいい意見ではある。ただ、彼女の言うとおりかもしれない。
それに、真実を知るのは怖くはあるけれど、彼女が一緒なら……なんとかなるような気もしてきた。
「……えっと……知りたくないって言ったら、嘘になる……のかな?」
「だったら、ひとまず当たって砕けてみようよ」
どうにかこうにか決心したところに、身も蓋もない言葉をぶつけられてしまう。
「うわ……砕けてって、他人事だと思ってない?」
「だって、他人事だもの」
正論だけど、さすがにひどい!
「あ、怒った? でも、それくらい元気なほうが似合ってるよ」
けろりとそう言って、彼女は池に目をやる。
「この池ね、弁財天をまつってるの。弁財天は、厳島神社でまつられてる市杵島姫命と同一視されてたりする」
それが、今までの話とどう関係するのだろうか。小首をかしげていたら、彼女はくるりと振り返って、腰に手を当てた。とっても自慢げに、胸を張って告げてくる。
「つまりここは、あたしの場所」
「えっと……?」
さあ、分からない。この池は弁天様の池であって、断じて彼女の池ではない、はず。
「というわけで、行こっか」
沙代里さんは混乱したままのわたしの手を引いて、そのまま池に向かって進み出す。次の瞬間、彼女の体は、池の周囲の柵をするりと通り抜けてしまった。
「ええっ!?」
何が起こったのか理解するより先に、わたしも柵の向こうに立っていた。振り返ると、やはり柵はそこにある。
「さあ、目的地につながるかつながらないか……運試しの時間だよ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
わたしが止めるのも聞かずに、沙代里はそのまま池に身を躍らせた。当然ながら、彼女にしっかりと手をつかまれたままのわたしも、池に落とされてしまったわけで。
「きゃああああ!!」
真冬の境内に、わたしの叫び声が響き渡った。
ぎゅっと目をつぶって、やってくるだろう冷たさに備える。
絶対に、間違いなく、池の水は冷たい。この池、そんなに深くはなさそうだから、溺れることはないだろう。でも、確実にびしょ濡れだ。
ああ、帰り道、すっごく寒いだろうな……風邪、引きそうだなあ……。
身をこわばらせていたら、違和感に気がついた。おかしい。冷たくない。濡れてもいない。むしろ暖かい。木枯らしの音も聞こえない。
とまどいながら、そろそろと目を開ける。飛び込んできた光景に、あ、と声を上げた。
ここは、秋の夜にわたしが駆け込んだ、ことはさんの雑貨店だった。




