16.物足りない日常
「ううー……」
机にぺたんと頬をつけて、教室の窓の外に広がる灰色の空を見つめる。
「どうしたのさ、美羽。最近、ずっとうなってばっかでさあ」
そのまま小声でうめいていたら、友達が声をかけてきた。口調こそ明るいけれど、わたしのことを心配してくれているのが伝わってくる。
しゃきっとしなくてはならないと分かっていても、どうにもそんな気分になれなかった。
文化祭も無事に終わり、面倒だった実行委員の仕事からも解放された。時間に余裕が出てきたからか、わたしは自然とあの不思議な夢のことを思い出すようになっていた。そして、あれこれと思い悩むようになっていたのだ。
「結局、あれってなんだったのかなあ……」
友達に聞こえないように、口の中だけでつぶやく。
あの日、ことはさんとの旅を終えたわたしに、彼はこう言った。「さようなら、どうかお気をつけて」と。
そうして彼に見送られて店の外に出たわたしは、夜の住宅街に立っていた。どこを見てもイノシシはいなかったし、振り返ってもごく普通の家しかなかった。わたしが今通ったはずの出口は、もうそこにはなかった。
それどころか、ここはイノシシから逃げているうちに迷い込んだ住宅街ですらなかった。だって、周囲の風景に、見覚えがある。そこの角を曲がれば、学校の近くの大通りに出られる。
どうして、わたしはここにいるんだろう。訳が分からないまま、ひとまず時間を確認した。そして、さらに困惑するはめになった。
スマートフォンが示す日付と時間は、学校を出てからせいぜい十五分くらいしか経っていないことを示していた。今から急いで帰れば、余裕で夕食に間に合う時間だ。
おかしかったのは、それだけではなかった。ついさっきまで、ことはさんと一緒におやつを食べていたはずなのに、信じられないくらいにお腹が空いていた。
現実と区別がつかないくらいにはっきりした夢だったけれど、やっぱりあれは、本当にただの夢でしかなかったのか。
ぽかんと立ち尽くしていると、冷ややかな秋風が吹きつけてきた。寒さに我に返り、その場を立ち去った。
家に向かってせっせと足を動かしながら、自分はずっと不思議な夢を見ていたのだろうと、そう思うことにした。そう、自分に言い聞かせることにした。でないと、いつまでも元の日常に戻れなさそうな気がしたから。
……でも、やっぱり納得はできなかった。ただの夢でしかなかったのだと片付けるには、あの旅は何もかもがあまりにもリアルだった。……それはまあ、いろいろとおかしなところも山ほどあったというか、何もかもが結構めちゃくちゃだったけど。
ことはさんと一緒にいろんなところを歩いて、いろんなものを見て、いろんなことを感じた。彼のいろんな表情、まだはっきりと思い出せる。
それに、あれが夢ではないという証拠も、ちゃんとあった。あの旅の中でもらったり買ったりしたものは、きちんとスクールバッグの中に残っていたのだ。食べかけの夏みかんの砂糖漬け、大鳥居のストラップ、美術館のポストカード、それにちょっとした雑貨たち。
それだけなら、何かの拍子にカバンの中にまぎれこんだのだと説明できなくもない。かなり苦しいし無理があるけれど、ないとは言い切れない。
けれど、金色の葉っぱは違う。やはり金にしか見えないあの葉っぱは、今でもみずみずしいまま、かぐわしい香りを放っていた。これ、やっぱり普通の品じゃない。
そして、わたしは決意した。
このままじっとしていても、答えは出ない。もう一度、あの店を探そう。そうして、ことはさんに会うんだ。
それからは空いた時間に、記憶をたどりながら、何度もあの住宅街に足を運んだ。どうにかして、ことはさんの店を見つけてやるのだと、そう意気込んで。
せっせと歩き続けているうちに、少しずつ道を思い出せた。あの日走り抜けた道も、見つけることができた。けれど店の入り口があったはずの場所には、小さな駐車場しかなかった。
何度確かめても、結果は変わらなかった。店は、見つからなかった。
やっぱり、あれは全部夢だったんだ。旅の途中で手に入れたあれこれは、たぶんたまたま、別の理由でカバンの中に入っていただけで。
そう自分に言い聞かせようとしたとき、ふと、あることを思い出してしまった。
あの店の入り口は隠しておけるのだと、ことはさんは言っていた。となると、彼は意図して店を隠しているのかもしれない。
もし、あの旅が夢ではなかったとしたら。ことはさんもあのお店も、本当に存在しているのだとしたら。
でもそうだとしたら、彼はわたしと会うことを避けているということになる。どうして、そんなことを?
立ち止まって、考えた。ひやりとした風が頬をなでていく。その感触に、さらに記憶がよみがえる。
夜の展望台で、彼はやけに寂しそうな顔を見せていた。商品を見にいってもいいかと尋ねたら、わずかにためらっているようだった。
きっとあのとき、彼はもうわたしとは会わないと、そう決めていたのかもしれない。いくら考えても、理由は分からないけれど。
結局、あれが夢だったのかそうでなかったのかについて、答えは出なかった。何がどうなっているのか、考えれば考えるほど訳が分からなくなっていった。
けれど、これ以上ことはさんやお店を探しても意味はないということだけは、確かだった。
そうしてわたしは、仕方なく元の日常に戻ることにした。けれど、言いようのない寂しさが、胸の奥にとげのように刺さったままだった。
だからなのか、どうにもやる気が出ない。なのでこうして、日々机と仲良くしているのだった。机の上に広がっている髪がすっかり乱れてしまっていたけれど、直す気にもならなかった。
「ていうかさあ、やっぱ美羽おかしいって。いつも、とびきり元気なのが取り柄なのに」
「なんか、落ち込んでない? 話くらいなら、聞くよ?」
机の上で頭だけを動かしてごろごろと寝返りを打っているわたしを見ながら、友達たちがさらに声をかけてくる。
「うーん、落ち込んでるっていうか……探してる人が見つからなくて、困ってる、かも」
さすがに、あの旅のことやことはさんのことをそのまま白状するわけにはいかない。だからとっさにそうごまかしたのだけれど、みんなはぱっと顔を輝かせて、一斉に身を乗り出してきた。
「おお!」
「探し人だって!」
「男っ気なしの美羽に、ついに春が! 青春だ!」
「ねえねえ、どんな人? 探してるってことは、よその学校の人とか?」
あ、勘違いされた。
「そういうのじゃないってばあ……」
どう言ったら、誤解を解きつつ納得してもらえるのだろうか。難しい。
ぐっと眉間にしわを寄せていたら、きゃあきゃあはしゃいでいた友達のひとりがふとこちらに向き直った。
「だったら、生田神社行ってみれば? ほらあそこ、縁結びの神様なんでしょ」
その言葉に、次々とみんなが乗っかってくる。
「隣のクラスの莉子、あそこでお願いしたら彼氏できたって言ってたよ。いい神様だよね」
「思い人を探す手伝いくらい、してくれるんじゃない?」
「なんなら、そのまま勢いでくっつけてくれるかもね」
気がつけば、どこの誰が誰とくっついたとか、別れたとか、そんな話が始まってしまった。脱線しすぎだ。ほんとにみんな、噂話が好きだなあ。
「だから、違うってばあ……」
小声で反論してみたものの、自然と口元に笑みが浮かぶのを感じていた。みんなの生き生きとしたお喋りのおかげで、少し、元気が出てきたかも。
「結局、来ちゃった……」
その日の放課後、わたしはひとりで生田神社に来ていた。
断じて、みんなが言うような青春ではない。そもそも、わたしが願っているのは縁結びではないし、探しているのは思い人ではない。でもせっかくだから、顔を出してみるのもいいかな、と思ったのだ。
生田神社っていつでも気軽に行ける距離にあるせいで、逆に中々行くことがないし、気晴らしになるかもしれない。
まずは本殿にお参りして、境内をぶらぶらと歩く。人気のない境内は、どうにも寒々しい。びょうびょうという木枯らしの音のせいで、余計に気が滅入る。
「神社って、なんでみんな赤いのかなあ……」
目に入る赤い建物の数々に、ことはさんと行った厳島神社を思い出す。あのいたずらジカ、また悪さをしてるのかな。優花さん、元気かな。
「どうせなら、優花さんの連絡先とか、聞いとけばよかった……」
ことはさんに会うことができず、店も見つけられなかったせいで、やっぱりあれは全部夢だったのではないかという疑念が、最近またしても頭をもたげ始めていたのだ。
颯太君たちとはちょっと立ち話をしただけだし、片山さんとはあのあとすぐに別れてしまった。あの人たちは、ことはさんとはほとんど話していない。
でも、優花さんとはそこそこ一緒にいたし、彼女はことはさんともあれこれ話していた。彼女なら、ことはさんのことを覚えているかもしれない。彼女に会うことができれば、あの旅が現実だったのだと、そう裏付けることができるかもしれない。
「探偵に依頼して、優花さんを探してみるとか……お金ないなあ……」
後悔しても、もう遅い。後から悔いるから後悔って、そのまんまだ。
肩を落としながら、本殿の裏手にある生田の森に足を運んでみた。冬でも葉の茂った木々のせいで、どうにも薄暗い。睡蓮の咲き誇るあの池とは、まるで違う。
「やっぱり、気分転換にはならなかったなあ……帰ろう……」
ここに来たところで何の解決にもならないと分かってはいたけれど、ここまで鮮やかに肩透かしをくらってしまうと、それはそれで落ち込む。
寒さをこらえながら、背中を丸めてとぼとぼと歩く。境内の池の近くに差しかかったところで、誰かが池のそばに立っていることに気がついた。




