15.地上にきらめく星
大原美術館をあとにしたわたしたちは、周囲の店を見て回り、夕暮れ時に電車のところに戻ってきた。ちょっとした雑貨なんかも買えたし、満足。
座席について、電車が走り出してから、ふたり一緒にポストカードを眺めてみる。美術館で見かけた絵が、手の中にずらりと並んでいた。
「私まで、いただいてしまいましたね」
ことはさんは、とてもくすぐったそうだった。思えばこの旅の中で、ことはさんが誰かから物を受け取るのは初めてだ。きっと、そのせいなのだろう。
関門トンネルで菜月さんから夏ミカンの砂糖漬けをもらったときも、宮島で優花さんからモミジをもらったときも、ことはさんはさりげなく一歩下がっていた気がする。
彼は他の人が近くにいると、いつもほんの少しだけ後ろに下がるのだ。そうしてさりげなく気配を消して、わたしと他の人とのやり取りを優しく見守っていた。
しかし片山さんは、ことはさんに下がる隙を与えなかった。何がなんでもポストカードを渡すのだと、そんな気迫がこもっていたように思える。さすがは年の功、ってところかな。
でも、それでよかったのだろうなとも思う。ことはさん、嬉しそうだし。
ちょっぴりうきうきした気分で、隣のことはさんに話しかける。
「そっちのをお店に出すんですか? それともいつものように、わたしがもらったものを見てみますか?」
「君がいただいたぶんを、見せてもらえませんか」
「はい、もちろんです」
予想通りの答えが返ってきたことについ微笑みながら、ポストカードを差し出した。ことはさんはそれを受け取ると、愛おしげにじっとそれを見つめてから、またわたしに返してきた。
これまでに二度繰り返した、不思議な手続き。というより、儀式のようにも思えてならない。ちょうど、神社でお祈りするときのような、ささやかだけれど省くことのできない、そんな儀式だ。
ことはさんは穏やかに目を細めて、まっすぐにわたしを見つめてくる。
「これで、岡山での仕入れも済みました。私が片山さんからいただいたものは、個人的に取っておくことにします」
「だったら、おそろいですね。わたしも部屋に飾ろうっと」
あったかい気持ちで、ポストカードをスクールバッグにしまう。そのとき、ふと気がついた。スカートのポケットに、何か入っている。
「金色の……葉っぱ……?」
ポケットから出てきたのは、5センチくらいの、つるりとした葉っぱだった。ポケットに入っていたにもかかわらず、折れてもいないし傷もついていない。
しかも、葉っぱ全体がつやつやの金色に輝いている。うっとりするほどきらきらしていて、本当の金でできているみたいだ。
ぱっと見は金属のしおりっぽいけれど、曲げてみた感触はまるで違う。色さえ気にしなければ、まるで今しがた枝からむしったばかりの葉っぱとしか思えない。正体不明にもほどがある。変な葉っぱ。
「……あれ、この葉っぱ、なんか匂いますね?」
葉っぱを顔に近づけてじっくり観察していたら、ふわんといい匂いが鼻をくすぐった。スパイシーな、おいしそうな香りだ。この香り、どこかでかいだような……。
「月桂樹の香りですね。ローレルとも言います」
「あ、それだ! 教えてくれて、ありがとうございます」
悩んでいるわたしに、ことはさんがそっと助け船を出してくれた。ローレル。確か、洋風の煮込み料理に時々入ってる、あれだ。道理で、おいしそうなわけだ。
「でもどうして、こんなものがポケットに入ってたんでしょうか」
「彼からの、お礼の品でしょう」
彼……誰のことだろう。
さらに首をかしげていたら、くすくすとおかしそうにことはさんが笑った。
「絵の中で出会った、あの朗らかな男性ですよ。君がつよし君を光彦さんに無事再会させた、そのお礼です」
「ああ……なるほど……」
あの謎イケメンなら、こんなことをしてもおかしくはない……のかな。いや、そもそも彼と会ったのは一度きりで、わたしは彼に近づいてもいないのに、いつの間にこれをポケットにねじこんだのか。手品か何かだろうか。あるいは……魔法、とか?
「……いろいろと、へんてこな人でしたね……」
でも、不思議と驚いていない自分がいた。むしろ、そういうのもありかもと、そう思えていた。
「悪い方ではないのですが、いかんせん、いたずら心を出しがちで」
ことはさんは苦笑しながら、軽く頭を下げてきた。その口ぶりと態度に、確信する。やっぱりことはさんとあの男性は、友達か何かっぽい。
しかしそれにしては、あまりにもタイプが違いすぎる。どっちも美形ってこと以外、共通項が何ひとつない。
あ、もうひとつあった。ふたりとも、非現実的なあれこれと縁がある。というか、この人たちが不思議現象を引き起こしているんじゃないかって気がする。
「……あの、ことはさんはあの人と、どこで知り合ったんですか?」
どうにも、そこのところが気になって仕方がない。思い切って尋ねてみたら、ことはさんはなんともいえない微妙な顔をした。
「前にも少し話しましたが、私と彼とは、同僚といいますか……似たような仕事をすることがあるので、その関係で、少々」
ますます分からなくなった。似たような仕事……ってことは、あのイケメンも雑貨店を? 似合わない。俳優か音楽家とか、ずんずん人前に出ていく仕事のほうがよっぽどそれっぽい。
「できればそのあたりのことについては、企業秘密といったところですので、どうかひとつ納得してもらえると……」
ことはさんはもごもごと、歯切れも悪くつぶやき続けている。どうやら彼としては、それ以上あの人との関係を詮索されたくないらしい。まあ、誰にだって内緒にしておきたいことのひとつやふたつ、あるよね。
だから黙って、うなずいた。ことはさんはほっとしたように、優しく笑いかけてくれた。
ふたりであれこれとお喋りをしているうちに、ゆっくりと日が落ちていく。電車はいつしか、兵庫県に入っていた。
窓の外の景色が、見覚えのあるものに変わっていく。おそらくもうじき、神戸に到着するのだろう。わたしの家がある、そしてことはさんと最初に出会った街に。
そろそろ、この旅も終わりだな。そう思ったら、ちょっぴり寂しくなってしまった。
旅が始まってすぐのころは、ずっと驚きっぱなしだった。とんでもない夢だなと、何度そう思ったことか。けれど、慣れてきたら楽しくなってきた。
次はどこにいくのかな、何をするのかなと、わくわくするだけの余裕すら出てきた。次々とおかしなことに巻き込まれていったけれど、それすら楽しかった。
楽しい時間は、いずれ終わる。宮島で優花さんが言っていた言葉が、胸にちくりと刺さっていた。
もう、窓の外は薄暗くなっていた。このぶんだと、ことはさんの店に駆け込んだくらいの時間に、神戸に戻ってくることになりそうだ。
この電車は、時間を逆に飛び回ることもできる。だから、帰りの時間を気にする必要はない。
でも、帰るべき時間ぴったりに帰り着くのは、偶然なのかな。それとも、ことはさんがそうはからったのかな。わたしの心配を、少しでも取り除くために。
空を見つめてしんみりしていたら、隣から優しい声がした。
「最後に、少し寄り道していきませんか」
思いもかけない提案に、つい弾んだ声が出てしまう。
「え、いいんですか?」
「はい。ここまで付き合ってくれた、ご褒美です」
ご褒美をもらえることよりも、もう少しだけ旅が続くことが嬉しい。
「ありがとうございます! 寄り道、しましょう!」
わたしが答えたのとほぼ同時に、電車が線路を外れ、大きな道路を走り始めた。もしかすると、路面電車のふりをしているのかもしれない。そもそも、神戸に路面電車はないけれど。
窓の外を過ぎ去っていく街並みを見ながら、今度はこちらから声をかける。
「あ、これ、一緒に食べませんか?」
美観地区で見かけたパン屋で、メロンパンとクルミのパンを買っていた。ちょっと小腹が空いていたのもあったし、あまりにおいしそうで素通りできなかったのだ。
せっかくだから、ことはさんと分け合いたかった。この旅の思い出を、もうひとつ増やしたかったのだ。
「いえ、それは君が買ったものですから」
予想通りというか、ことはさんは遠慮している。でも、ここで引き下がるつもりもなかった。片山さんのあの押しの強さを思い出しながら、笑顔で続ける。
「そうなんですけど、さすがにおやつとしてふたつ一気に食べるのは多いかな、って。なので、半分食べてください。分けっこすると、よりおいしく感じられますから」
「でしたら、謹んでご相伴にあずかります」
……なんか今、やけに古めかしい言い回しが飛び出してきたような。ちょっと気になるものを感じつつも、パンをふたりで分け合った。
「わ、おいしい……」
「ええ。最近、岡山にもいいパンの店が増えたと聞いていますが……これは美味ですね」
ふたりでのんびりおやつにしている間も、電車は道を走り続けていた。どんどん北に、山のほうに向かって……ケーブルカーの線路に乗り上げた。そのまま、するすると山の斜面を登っていく。
この電車は一両しかないから、ケーブルカーの親戚っぽく見えなくもないけれど、さすがにこれはどうかと思う。
「この電車、本当になんでもありなんですね……」
「道路を走るよりも、線路の上を走るほうが好きみたいですよ」
ことはさんの口ぶりは、まるで電車に意思があるようなものだった。ちょうど、馬か何かについて話しているような、そんな感じ。でもそれが、不思議としっくりくる。
気のせいか、かたかたという電車の音も、さっきより楽しげに聞こえてくる。こんなふうに思うなんて、つくづくわたしもこのおかしな旅に慣れてしまったんだなあ。終わってしまうのが、本当に残念。
じきに、電車はケーブルカーの線路を昇りきり、そのままするりと駅を出る。すぐ近くにある広場までやってくると、ぴたりと止まった。窓の外は開けていて、とても見晴らしがいい。ここ、たぶん展望台だ。
「さあ、行きましょう。暗いですから、足元に気をつけて」
そのころには、外はすっかり暗くなっていて、ひやりと冷たい風が吹いていた。背中を丸めながら、ことはさんについて先に進んでいった。
展望台にいるのは、わたしたちだけだった。柵につかまって身を乗り出し、眼下に広がる風景を眺める。
よく晴れていて、空にはいくつか星がまたたいている。暗い海は、一面の黒。そして手前には、きらきらと輝く街が広がっていた。
「わー、百万ドルの夜景だ!」
まるで地上の星……って言ったら、ちょっと気取りすぎかな。でもついそんな言葉を口にしてしまうくらいには、美しい光景だ。
この夜景を見るの、初めてかもしれない。地元民って、案外こういうところには足を運ばないものだ。大人になって、恋人でもできればまた話は違うけれど。
……考えてみれば、ここってデートスポットっぽい。そんなところに、かっこいい人とふたりきり……そんなつもりはなくても、ついつい意識してしまいそう……。
ううん、余計なことを考える前に、雑談に持ち込もう。いつものように、のんびりと、他愛のないことを話していよう。
「あれって全部、人工の光なんですよね。こんなにたくさんあるなんて、町の中にいるときは意識していませんでした」
するとことはさんは、ふっと目を細めた。
「ええ。あの光は、人々の暮らしを守っています。人々の営みそのもの、と言い換えてもいいかもしれません。とても貴重な、愛おしい輝きです」
遠くに広がる町を見つめている彼の横顔は、とても美しくて、とても遠くに感じられた。ここにいるのに、ここにはいないような、そんな感じだ。
今、わたしは夢を見ている。彼は、夢の中の住人だ。だから、存在が多少あいまいでもおかしくはない。
それは分かっているのに、胸がぎゅっと苦しくなる。いよいよ本当に、この旅が終わろうとしている。そのことを、改めて実感してしまって。
「……あの、ことはさん」
わたしの様子が変わったことに気づいたのか、彼がゆっくりとこちらを向いた。
「この旅、とっても楽しかったです。ありがとう、ございました」
胸の中の寂しさをごまかすように、礼儀正しく言葉を続ける。
「礼を言うのはこちらのほうですよ、美羽さん。君のおかげで、素敵な品をたくさん手に入れることができました。ありがとうございました」
返ってきたのは、やはり礼儀正しい言葉だった。わたしをまっすぐに見つめ、彼はおっとりと答える。
「私はこれまでにも、たくさんの方々に仕入れの手伝いをしてもらいましたが……今回の旅は、とても興味深いものになりました」
けれど彼はふっと視線をそらし、小さな声で付け加えた。
「私も……楽しかったです」
そのまま、会話がとぎれてしまう。ひんやりとした夜風に吹かれながら、並んで夜景を眺めていた。
まだ、話していたい。もう少し、何か話題はないだろうか。懸命に探して、もう一度口を開いた。
「あの、わたしが仕入れたものがどんな商品になるのか、見にいってもいいですか?」
するとひと呼吸おいて、静かな声が返ってきた。
「……ええ、縁がありましたら」
縁。かつて彼はそう言って、わたしをこの旅に誘ってきた。あのときと同じように、彼は穏やかに微笑んでいる。
けれど今の彼は、泣きそうに見えた。そんなはずないのに。
「はい、だったらまた、お店に行きますね。……今度は、イノシシに気をつけます」
胸の中に浮かんできた不安を押しやるように、明るく笑う。
それでもことはさんの憂いは、晴れることがないようだった。彼はどこか無理をしているような笑みを浮かべ、手を差し伸べてくる。
「冷えてきましたね。そろそろ帰りましょうか」
「……はい」
まだ、尋ねたいことがあるように思える。けれど彼の穏やかな笑顔は、それ以上の問いかけを拒んでいるように思えた。
街の明かりに背を向けて、ふたりで歩き出す。どちらも、何も言わなかった。




