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12.一枚の絵

 空き地の真ん中に、この美しい庭にはまるでそぐわない、ぼろぼろの小屋がぽつんと立っていた。


 木でできたその小屋はかなり古いものらしく、板の表面がくすんで木目がぼやけていた。あちこち隙間もあるし、住むにはちょっと辛そうだ。物置小屋かな?


 そんなことを考えながら、慎重に小屋の周囲をぐるっと回ってみる。素人が建てた小屋っぽい雰囲気なんだけど、外に置いてある農具の数々に、どうも見覚えが……課外授業で行った博物館に、ああいうのがあったような……?


「この辺、やけに日本っぽいですね?」


 声をひそめてことはさんに尋ねると、彼もすぐにうなずいてくれた。


「そうですね。おそらく、助けを必要としている子どもというのは、この小屋に関係している……日本人の子どもなのでしょう。だからこそ彼も、私たちを呼んだのだと思いますよ」


 ああ、そういうことか。確かに、日本人の子どもにあの西洋イケメンが迫ったら、それだけで警戒してしまうだろう。あの人、さわやかだけど暑苦しいし。


 その点わたしはごくありふれた女子高生で、ことはさんはおっとりと優しげな雰囲気の美形だ。探している子どもが男の子か女の子か知らないけれど、ふたりでかかればどうにかなるだろう。


 どうやらさっきのイケメンも、適当にわたしたちを呼びつけたのではなかったらしい。そう思えたら、ちょっとだけやる気も出てきた。


「ところでここ、行き止まりみたいですね」


 辺りをぐるりと見渡してみたけれど、この空き地から他の場所につながる小道はない。だったら、小屋を調べてみるしかなさそうだ。


「あのー、誰かいませんか?」


 入り口の木の扉を軽く叩いてみても、返事はない。扉もぼろぼろで、強く叩いたら外れてしまいそうだ。


「すみません、ちょっと人を探してまして……開けてもいいですか?」


 誰もいないだろうと思いつつ、一応念のためにそんなことを言いながら扉に手をかけて……開かない。


 昔話に出てきそうな、横スライド型の木の扉は、とにかく重かった。というか、がたがたいうばかりで動かない。


「ああ、どうやら心張り棒がかっているようですね」


「心張り棒? かって?」


 聞いたことのない言葉と言い回しに、きょとんとしてしまう。なんだろう、それ。


「そうですね、実物を見てもらったほうが分かりやすいでしょう」


 言うが早いか、ことはさんは扉に手をかけて、ひと息でがこんと外してしまう。同時に、小屋の中で何かが床に落ちる音がした。


 ことはさんはそのまま扉を横に動かしながら、床に落ちていた棒を指し示す。


「こちらの棒が心張り棒です。戸袋の下の角と、扉の側面に噛ませることで、扉が動かないように固定するものなんですよ」


「つまり、突っかい棒ですね?」


「あ、今はそう呼ぶことが多いですね。意識してはいなかったのですが、少々古い呼び名が出てしまいました」


 ちょっぴり決まり悪そうにしていることはさんに、身を乗り出しながら熱く訴える。


「いえ、物知りだなって思いました。わたしとそう年も違わないのに、すごいですね」


「……いえ、大したことはありませんよ」


 すると彼は、照れたように笑った。


 気のせいかな、絵の中に引きずり込まれてから、彼が少しだけ表情豊かになったような気がする。ちょっぴり肩の力が抜けたような、そんな感じ。


 あ、そういえば彼のお店や電車の中にいるときも、彼はこんな雰囲気だったかも。


 もしかして彼は、旅の間少し緊張しているのかもしれないな。たくさん人がいると、落ち着かないのかもしれない。


 とても気軽にわたしを旅に誘ってきたから、彼は人が好きで旅が好きなんだろうとばかり思っていたけど……案外、そうでもないのかも?


 そんなことを考えつつ、彼と一緒に小屋の中をのぞき込んでみる。埃のものとは異なる重たい臭いが、つんと鼻を突いた。


 小屋の中は、がらんとしていた。部屋はひとつきりで、床はただの踏み固めた土だった。入り口から差し込む光以外に、部屋の中を照らすものは何もない。外が明るいせいで、小屋の中は余計に暗く見えた。


「窓を開けましょうか。これではよく見えませんから」


 ことはさんが慎重に小屋の中に進み出ていって、奥の壁際で何やらごそごそしている。じきに雨戸が開いて、そちらからも光が差し込んできた。


「わあ、意外と明るい……あれ?」


 改めて小屋の中を目にして、小首をかしげる。


 外に農具があるんだから、中にもいろいろあるんだろうなと思っていた。けれど室内の様子は、予想とはまるで違っていたのだ。


 小屋の真ん中に、椅子とイーゼルが置かれている。イーゼルには厚紙らしきものが載せられていた。厚紙には何かが描かれているようだけれど、陰になっていてよく見えない。


 さらに、椅子の横の床には小ぶりの木箱が置かれていた。細長くて、取っ手のついたものだ。


「あの木箱って、もしかして……」


 あれと似たようなものを、わたしは知ってる。美術部の友達が、そっくりなものを持っていたから。


 そろそろと近づいて木箱を開けると、部屋の中に漂っていた臭いが強くなる。箱の中には、油絵具のチューブがきちんと並んでしまわれていた。うん、予想通りだ。


 チューブの中の絵具は、どれも残り少なくなっていた。だからなのか、チューブはとても丁寧につぶされていて、中の絵具が口のほうに寄せてある。この絵具の持ち主は、どうやら几帳面な人らしい。


「油絵具……って、普通はキャンバスに使うものでしたよね」


 素直な疑問を、口にする。油絵具は、木枠に布を張ったキャンバスとセットで使うものだという印象がある。さっきまで見ていた、睡蓮の絵のように。


 しかしイーゼルに載せられているのは、どうやらただの厚紙だ。光が当たっていないせいでよく見えないけれど、表面に何かが塗られているような凹凸がある。


 ことはさんも首をかしげながら、そっとイーゼルに触れた。


「はい。紙に描けなくもないと聞いたことはありますが、紙がゆがんでしまったり、保存しているうちに傷んでしまったりするらしいです。それにこの紙は、あまり質のよくないもののようですし……」


 不思議ですね、と言いながら、彼は注意深くイーゼルを動かし、日の当たるところに移動させる。


「わあっ……」


「これは……見事ですね……」


 日だまりに置かれたイーゼル、そこに置かれていた厚紙に描かれていたものを目にして、わたしたちは同時に声を上げた。


 モネの睡蓮をどことなく連想させる優しい色が、紙いっぱいに躍っている。昔の日本の里山を描いたその絵に、引き込まれるものを感じた。


 絵の片隅には『M.KATAYAMA』と記されている。この小屋は和風だし、絵を描いたのも日本の人なのだろう。わたしたちが助けようとしている子どもと、関係があるのかな。


 まじまじと絵を眺めていたら、ことはさんが入り口のほうに視線をやった。


「表に『片山』と書かれた表札がありましたから、そちらの絵はこの家の方が描いたものなのでしょうね」


「表札?」


 物置小屋に、そんなものはかけないはず。ということは、ここって物置じゃないのかな。でも、家具のたぐいは全然ないし。


 よくよく見ると、小屋の片隅の床にはいくつか大きな木箱が置かれている。でも中には厚紙、小さな古びたキャンバス、薄い板などが入っているだけだ。


「たぶん、この絵が手がかりなんですよね。でもここから、どうしろと……」


「人の気配はしませんね。この小屋をじっくりと調べてみるか、外を歩いてみるか……面倒なことになりました」


「ですね。でも、わたしたちをここに引きずり込んだのはあの人だし……だったら……」


 少し考えて、息を吸う。


「すみませーん、次のヒント、くださーい!!」


 声を張り上げると、ことはさんが目を真ん丸にした。けれどすぐに、ふっと笑う。


「なるほど、その手がありましたか。ついつい彼のルールに縛られていました。いけませんね」


 彼のルール。どういうことだろう。


「あの人の、ルール……ですか?」


「ええ。彼は私たちに子どもの救済を頼むと同時に、私たちに試練を課しました。ならば私たちは、その試練に立ち向かわなくてはならないのです」


 ことはさんの説明を聞いて、余計にこんがらがってしまった。試練って、さすがにちょっと大げさかも。


 あ。というか、ギリシャ神話でそういうのを聞いたことがあるなあと、ふと思う。神が人間に、あれこれと試練を出して、乗り越えたらご褒美が……みたいな感じの。


 でもさすがに、今回のこれとは関係ない。……関係ない、よね? 神様の試練も、絵の中の謎イケメンからのお願いも、超常現象ってくくりでは同じような気もするけど。


 考えるの、止めておこう。今はとにかく、子どもを探して……というか、ヒントはどうなったんだろう?


 もう一度、叫んでみようかな。そう思ったまさにそのとき、遠くのほうから足音が聞こえてきた。ぱたぱたという軽いその音は、どんどんこちらに近づいてくる。


「父ちゃん、帰ってきたのか!?」


 じきに、戸口のところから少年が顔をのぞかせた。彼は息を弾ませて、まっすぐにわたしたちを見ていた。

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