第3話 聖女の仮面と毒の代償
祝福の儀は、王宮の大聖堂で行われた。
シルヴィの銀髪が、ステンドグラスの光を受けて神々しく輝いていた。その姿に、列席者たちがため息を漏らす。
私は末席に座り、彼女の指先を観察していた。
聖女候補の証明は「聖癒の光」と呼ばれる魔力の発動だ。傷ついた者に手をかざし、淡い光で癒す。王宮に伝わる記録では、真の聖女は金色の光を放つとされている。
シルヴィの掌から、確かに光が生まれた。淡く、白い光。
(金色じゃない)
周囲の誰も気にしていないようだった。光が出れば聖女だと思っている。色の違いに注目する者は、古い文献を読んだ薬師くらいのものだろう。だが私は知っている。白い光は、魔道具による模倣が可能だということを。
聖女の認定制度は、本来厳格なものだったはずだ。古い記録によれば、光の色、持続時間、治癒の深度──複数の基準で判定される。だが年月と共に基準は形骸化し、今では「光が出れば聖女」という暗黙の了解が通用している。
「素晴らしいですわ、シルヴィ様」
隣のフェリスが、感嘆の声を上げた。本心だった。靄はない。彼は純粋にシルヴィの光に感動している。
式の後、回廊でノエルとすれ違った。彼はシルヴィの傍らに立ち、婚約者のように振る舞っていた。私の姿を認めると、一瞬だけ目を伏せた。
「イヴェッタ。来てくれたのか」
「招待を受けたので」
「そうか。……シルヴィを、よろしく頼む」
紫の靄が、彼の言葉の端々に絡みついていた。「よろしく頼む」の真意は「黙っていてくれ」だ。
私は微笑んで頷いた。まだ、動く時ではない。
その夜、薬務室で一人、あの処方箋の写しを作成していた。蝋燭の灯りの下で、慎重に文字を書き写す。処方箋の複写は、薬師の基本技術だ。修行時代に何百枚と練習した。一字一句、線の太さまで再現する。
扉が叩かれた。
「イヴェッタ君」
ベネディクトだった。額の汗は、今夜は特に多い。白衣の襟元が乱れている。いつもの温厚な笑顔は同じだが、呼吸がわずかに浅かった。
「こんな時間に、どうされました」
「調合記録の提出、明日に前倒しになった。今夜中に準備できるかね」
「明日? 三日後と伺いましたが」
「上の判断だ。すまない」
三日が一日に縮まった。焦っている。誰かが焦っている。ベネディクトではなく、その背後にいる「上」の人間が。
私は表情を変えず、棚から記録簿を取り出した。提出用のものは既に用意してある。問題は、あの処方箋の原本だ。
「こちらが直近半年の調合記録です。ご確認ください」
ベネディクトの指が、記録簿の頁を繰る。探している。私の記録の中に、あの処方箋が紛れ込んでいないかを。指先に力が入りすぎて、頁の端がわずかに折れた。
「……ふむ、問題なさそうだ。ありがとう」
見つからなかった安堵が、彼の肩の力を抜かせた。
(やはり。あなたが隠したかったのは、あの処方箋)
ベネディクトが去り際、振り返った。温厚な笑顔。けれど、目が笑っていなかった。その目には疲労と、微かな懇願の色があった。
「イヴェッタ君。余計なものを見つけても、見なかったことにするのが賢い生き方だよ」
脅し、ではなかった。忠告だ。紫の靄はほとんどなく、彼は本心からそう言っていた。
この人は、悪人ではないのだろう。けれど、弱い人だ。権力に押されて処方箋を書き、その事実に怯え続けている。
「ご忠告、ありがとうございます」
翌日、王宮に激震が走った。
ベネディクト医師団長が、執務室で倒れているのが発見された。
死因は、心臓の発作──とされた。
しかし、駆けつけた私が見たのは、彼の唇の端にうっすらと残る青い変色だった。トリカブトの急性中毒に見られる症状と一致する。
トリカブトは世界で最も古くから知られる毒草の一つだ。根に含まれるアコニチンという成分が心臓の電気信号を乱し、不整脈を引き起こす。急性の場合、摂取から数十分で心停止に至ることもある。外見上は心臓発作と酷似するため、毒殺の手段として歴史上幾度も用いられてきた。
周囲の誰も、唇の青い変色に気づかなかった。あるいは、気づかないふりをした。私の目だけが、その微かな色の異常を捉えていた。
ベネディクトの死は「過労による急性心不全」として処理された。
葬儀の日、私は黙って花を供えた。彼は弱い人だった。誰かの秘密を守るために処方箋を書き、その秘密に押し潰された。
供えた花はカモミール。「逆境に耐える」という花言葉を持つ草だ。
「花を供えるのか。殊勝だな」
振り向くと、ジルベールが立っていた。侯爵家の当主代理にして、王宮財務顧問。銀縁の眼鏡の奥から、品定めをするような視線。身のこなしに隙がなく、衣服に皺一つない。完璧に管理された外見は、完璧に管理された内面の表れだった。
「団長にはお世話になりましたので」
「ああ、そうだろうな。薬務室の調合師としては、医師団長との関係は重要だ」
微笑み。仮面のように動かない微笑み。この人は笑う時、口角だけを上げる。目の筋肉は一切動かない。感情を込めずに微笑む技術を、幼い頃から叩き込まれたのだろう。
「ところで、イヴェッタ君。ベネディクト殿が遺した書類の中に、不審なものはなかったかな」
(来た)
「不審なもの、とは?」
「いや、事務的な確認さ。医師団長の引き継ぎに必要な資料が、いくつか見当たらなくてね。もし何か心当たりがあれば、教えてもらえると助かる」
彼の言葉には靄がなかった。本気で探しているのだ。そして「事務的な確認」という体裁を整えているが、その目は明らかに値踏みをしている。私がどこまで知っているか、を。
「心当たりはございません」
「そうか。残念だ」
ジルベールは微笑んだまま去っていった。その背中を見送りながら、背筋に冷たいものが走った。
ベネディクトの死は、事故ではない。
そして、あの処方箋を探しているのは、ジルベールだけではないはずだ。
処方箋の原本は、昨夜のうちに薬務室の外に移してある。王宮の東棟、記録管理局の近く──レナートの管轄区域の、古い書架の裏に。
レナートを信頼したわけではない。ただ、あの日、彼が「うっかり」置いた薬草誌の栞が、マンドレイクの頁だったことが、偶然ではないと感じたからだ。
夕方、アシェルが薬務室を訪れた。
「ベネディクト殿の件、聞いた」
「ええ」
「不審な点は」
単刀直入だった。飾りのない問いかけ。
「……公には、急性心不全と」
「公には、な。だが、お前は薬師だ。何か気づいたことがあるんじゃないか」
私は少し迷って、それから正直に言った。
「唇の青い変色を見ました。トリカブトの中毒症状に似ていた。でも、確証はありません」
アシェルの表情は変わらなかった。ただ、左手首の古い火傷の痕を、無意識に右手で触った。彼の癖だ。何か重大なことを考えている時に出る。
「調べる」
「一人では危険よ」
「一人じゃない。お前がいる」
不器用な言葉だった。励ましでも、口説き文句でもない。ただの事実確認のような口調。
けれど、その言葉が胸の奥に落ちた時、少しだけ、呼吸が楽になった。
窓の外で、夜鳥が一声鳴いた。
ベネディクトを殺した者は、まだこの王宮の中にいる。
そしてその人物の次の標的が誰なのか──私には、薄々わかり始めていた。




