二人の休日
「帝国」という言葉の本来の定義は「王の王が統べる国」、すなわち複数の王国、複数の民族をその統治下に収め、またしばしば海外にも領土を持つことを意味するという。
その意味で正しく帝国である現在の「帝国」は広大な版図を有し、かつ衰亡の兆しも無く隆盛を誇っている。
そんな状況であればこそ、帝国の一部としてその繁栄を支える役人や官僚たちの仕事は非常に多い。
特に中央官僚――世界中から集まる情報を帝都で処理し、現地に適切な指示をだす役目の者たちの業務は多忙を極め、日付をまたぐことも珍しくは無い。様々な書類や業務が〆切を迎える年度末ともなれば、財務部門を中心に官庁街の一角が不夜城と化すのが常であった。
とはいえ彼らもまた人の子であり、時には息抜きも必要となる。たまたま非番となった者たちが、羽を伸ばしに官庁街外縁の繁華街に繰り出すことは、さほど珍しいことでももない。
そう、ちょうど彼女らのように。
「「~~♪」」
二人ともご機嫌だった。金髪の少女も、黒髪の娘も。
いつもの帝国史学部の黒の制服は脱いで、私服に着替えて――ただし彼女らにお洒落という概念はなく、ごく地味な格好――それぞれに大きな紙袋を抱え、軽やかな足取りで並んで通りを歩んでいる。
生まれも育ちも性格も異なる二人だが、実は本好き、読書好きという点は共通している。だからたまたま早上がりが出来た日は揃って大型の本屋に繰り出し、そののち帰宅途中の喫茶店で互いの戦果を披露し合うのが常だった。
並んだまま街角の喫茶店に入り、窓際の席に腰を落ち着けて注文を済ませると、互いに値踏みをするように相手の様子を窺った。
「今日一日、ご機嫌じゃったな。なにやら、心待ちにしていた新刊の発売日だという話じゃが」
「ええ、その通りよ」
少女が声を掛けると、娘はすまし顔で答えた。何やら余裕の笑みだった。
「ふむ。で、いったい何が出たんじゃの?」
重ねて問うと、娘は無言の笑顔のまま、手元の袋から大判の本を取り出して少女の方に突き出して見せた。
「どれどれ? ……『帝国式商用帳簿記載法・特級攻略術』? なんじゃこれは」
表示の字面を追った少女は、その想定外の堅さに露骨に顔をしかめた。
「資格取得の試験対策本か? いや待て、確かなっちゃんは、帳簿の特級は15やそこらで取ったと聞いたが」
「14の冬よ」
娘は背筋をそらし、当然のように答えた。
「それとその本の内容自体にはさほど興味はないの。目的は作者の方」
「……帝国大学経営学教授、ウィグ=ナム」
本の表紙を指でなぞりつつ、少女が問いかける。
「確か、その道では相当に有名な方ではなかったか?」
「そう! その経営学の大家がね、ついに特級の解説をするわけよ!」
娘は弾んだ声を出すと身を乗り出した。
「数字を正しく計算できれば済む1級までとは違ってね、帳簿の特級は経営状況の分析と問題点の指摘、それに今後とるべき指針の助言までできないと受からないのよ。特級を取れば食いっぱぐれは無いはと言われるのもそれが理由、だから毎年の出題には必ず時事問題が含まれるの。回答者が最新の社会状況を正しく追えているか、経済情勢を理解しているかを確認するためにね」
一気にまくし立てた娘は、嬉しげに解説のついた項を次々に開いて見せた。
「で、その受験生のために本来は問題を出す側の帝大の先生が、最新状況をどう読み解けばいいかを解説してくれているわけ。つまり彼が日々移り行く帝国の経済状況をどこをどう見て把握しているか、どの公表値に注目しているか、その視点の一端がわかるわけでね。そういう点に注目しながら章ごとの解説を比較して見ていくと、彼の判断基準とか、直面する課題への対策の立て方とか、解決の手法とかの、思考と行動の根本原理が透けて見えてくるのよ。この解読が無茶苦茶面白くて」
喜々として解説する娘を見返し、少女は感心したような呆れ果てたような微妙な表情になった。
「説明そのものではなく、説明する視点の位置や分析の立脚点と根拠、論理展開の道筋を読み取る形かの。帝大教授の思考回路を解析するわけじゃな」
わざとらしく、溜息をついて見せる。
「相変わらず、薄っ気味の悪い読み方をするのう」
「ふん、言ってなさい」
娘は鼻で笑って返した。
「そういうあんたは、何を買ったの?」
「おお、これじゃ。注文していたものがやっと届いてな」
今度は少女の番だった。喜々として分厚い本を取り出して見せる。簡素な装丁は学術書のようだった。
「うん? 『皇国における山岳少数民族の種別とその動向』? また随分と渋い主題ね、仕事には役立たないでしょう。趣味?」
「いや、趣味には違いないが、昨今の情勢を鑑みると仕事に関しても無駄ではなくてな」
少女は笑みを浮かべたまま言い返した。そして立て板に水と話し出す。
声音こそ明るかったが、まるで鉄砲水のような喋り方だった。
『例えば“ろぼっと”絡みの話にしてもじゃな、皇国の機体の特徴である近接戦の強さは国内で良鋼が産出されるのが一因じゃが、その元となる鉱石の主要な産地の山脈にはその山岳民族が割拠していて、日々身内での抗争を繰り広げつつ資金稼ぎに採掘を行い、皇国に鉱石を供給しておる。皇国は力ずくで占領して抵抗運動をされるよりはと現状維持の構えじゃが、過去に遡ると飢饉の際に山から下りてきた連中が周辺地区を襲撃し略奪を働いた事例もあるわけで、それに備えて近隣に一定の戦力を駐屯させざるを得ん。逆に言えばそのどれかの勢力に肩入れして治安面の不安を煽れば、皇国の正面戦力の一部を後方に釘付けにすることも可能であろう。そのためにもまず彼らがいつからどうあり、どんな経緯を経て現在の形に群居しているのかを知らねばならん。少なくとも帝国は森林戦に関しては一定の知見があるが山岳戦に関しては経験が不足しているので、協力関係を結んでその面での手法を学ぶことができれば将来的に有益じゃろう。“ろぼっと”の戦いに応用できればなお良いであろうな。ただしもちろん接触の仕方は考えねばならんし、その手の少数民族は特に己の文化が尊重されるか、受け入れられるかどうかに非常に敏感じゃ。又聞き程度の知識じゃが、どうやら独特な婚姻制度があるらしく、接触するならそこを踏まえておかんとまずい。まあ現時点で帝国として婚姻で彼らを味方につけるというのは現実的ではないが、うまく利用して贈り物でもできれば彼らの心象も良くなろう。具体的には彼らがどうしているかの概略の知識を得た上で、監察部門あたりに依頼を出して現地の情勢の調査をしておくのは長期的に帝国の味方を増やす布石として一考の余地があるし、加えて言うと……』
「わかった! わかったから!」
娘は両手を突き出し、少女の口から滔々と流れ出す言葉の洪水を押しとどめた。少女が口を閉じたのを見て、苦り切ったよなう表情でぼやく。
「私に言わせれば、あんたの頭の方がよっぽどぶっ飛んでるわよ。……ま、ここまでにしましょう。お茶が冷めるわよ」
「そうじゃな」
少女はあっさり納得し、運ばれてきたティーカップに手を伸ばした。
馥郁たる香りが周囲を満たし、二人はしばし無言で上品な茶の味を楽しむ。
ゆったりした時間を満喫したのち、先に口を開いたのは娘の方だった。
「そういや、聞いた? 例の富豪がまた懸賞金をかけたそうよ。今度は個人用だって」
少女は敏感に反応した。
「あの御仁じゃな? 「科学対魔法」の一戦の。もう随分前の話じゃが……」
ずずずとカップの中の液体を啜りつつ、過去に思いを馳せるような眼になる。
「蒸気機関車対魔導列車。あれはまあ、絵になる対決ではあったな」
「新聞でも大きく取り上げられたしね。儲けも相当に出たでしょう」
「ま、実際に蒸気機関は役に立つ。魔力が無くとも扱えるのは大きいし、出力も水車や風車とは段違いじゃ。しかし個人用じゃと?」
「ええ、懸賞金の対象は、個人が乗って運転できる大きさ、軌道を必要としない「車両」の開発だそうよ」
「ふむ。もしそんなものができるとしたら……今度は“ろぼっと”と対決か? 無理があるじゃろ」
「そこなのよね」
娘はカップを脇に退けると身を乗り出し、行儀悪く机の上に片肘を突いて顎を乗せた。
「私が思うに、「科学」に基づく機械は、本質的には人を必要としない。水車が一日中動いて粉を挽くみたいに、仕組みさえ作ってやれば勝手に動く――そもそも魔法が働かないときの世界の動き方を、便宜的に「科学」と呼んでいるだけだしね。その点、魔法は真逆でしょう」
視線を向けられた少女は頷いた。
「魔術は良かれ悪しかれ、人とその意思から切り離せんからな。“ろぼっと”が原則人型であるのも、操縦者と一体化が容易な故じゃ。そこは初代の「アラク」から変わらん」
「つまり科学の利点っていうのは、人が不要、人型も不要で、目的だけに特化した形を取れることなのよ。余計な機能を費用と共に削り落とせる。その分、汎用性には欠けるけど」
「確かに、蒸気機関車は相当な異形じゃったな。魔法対科学の対決は、一面では「汎用型対特化型」と捉えられるか。なるほどなるほど」
少女は机を軽く指で叩いた。視線を上向け、一瞬考えてから真顔になって娘を見た。
「となると、余計に勝負にはならんじゃろ」
娘は頬杖を突いたまま頷き返した。
「あの富豪も、そこはわかった上でやってるでしょ。条件次第では興行としては成立するから」
「見世物かの。悪いとは言わんが……そういえば、逆の話も聞いたことがある」
何かを思いついた表情になると、少女は興味深げに問いかけた。
「“ろぼっと”を科学で造れないかという研究。なっちゃんはどう思う」
「無理。費用対効果的に絶対に合わない。少なくとも今の技術ではね。将来的にも正直、どうかな」
少女の問いを、娘は即答で斬って捨てた。
「手足全部を動かす機構を機械で造るなんて、費用面で見たら無駄の極地よ。加えて動力の配分も機体の制御も、どうやるかすら検討もつかない。魔術だと人型に合わせることで逆に安く効率よく動くし、出力も上がる。科学が一番苦手な分野でしょ」
「汎用品を特化型の集合体で造る形になるか。そりゃそうじゃな」
「ただし組み合わせ、分業という話なら「あり」なのよね。例えばさっきの「車両」の話。もし個人じゃなくて“ろぼっと”を運べる大きさのものが出来れば、軍隊の運用がまるきり変わるでしょ」
「おお」
少女が驚いたように小さく手を叩いたのを見て、娘は軽く笑った。
「もう軍では研究していると思うけどね。“ろぼっと”が自分の足で歩く必要も、鈍い馬車に頼る必要もなく、戦場まで高速で運べるなら、戦争の在り方が相当に変わるわよ?」
「……いや、今の話、きちんと上申しておいた方がよいな」
少女はそこで真剣な表情になり、手にしたスプーンの先を娘に向けた。
「確かに遅かれ早かれ皆、思いつくじゃろうが、それなら先手を取って動くべきじゃろう。軍は軍の枠組みでしか、ものを考えん。他の部局もそうじゃ。帝国全体のために考え、その歴史の栄光のために動くのは、我々ぐらいであろうよ」
何か言い返しかけた娘は、口を開けたまましばし考え、やがて納得の表情になった。
「それもそうか。まずはざっと予測と将来構想をまとめた上で、先生に提出して相談かな。手伝ってくれる?」
「無論じゃ。――しかし魔術に“ろぼっと”に、科学か」
少女はそう口にすると小さく笑い、夕暮れの光が差し込む窓の方に目を向けて、独り言を呟くように言った。
「面白い時代になったものじゃなあ」
とある異世界。
はじめに魔法があり。
それを下敷きにして“ろぼっと”が誕生し。
それらの発展により相対的に存在が映し出され、導かれるようにして、少しずつ科学が勃興しつつある世界。
そんな世界、そんな時代に、彼女たちは生きている。




