捌話
その後のことで語るべきことはほとんどない。
山を越えて王都に迫った帝国軍、その前に立ち塞がった「アラク」の様子は明らかにおかしかった。無敵の光の巨人であったはずのその姿はしばし揺らぎ、時に大きく輪郭を崩しさえした。それでも「アラク」はその巨大な姿を目にして慌てふためき、山に逃げ込もうとした帝国軍をよろめきながら追い、騎馬で逃走する司令部――侯爵と側近たちを一撃で消し飛ばした。だがそれが最後だった。魔力の剣を地に叩きつけ片膝をついた姿勢のまま、「アラク」は動かなくなったと伝えられる。そしてそれ以降、「アラク」の出現報告はない。
様々な憶測や伝説が入り乱れているが、我は「毒殺説」を採用する。森林での帝国拠点掃討の際に、「アラク」から人の姿に戻ったシライ・マサトの姿が目撃されていたとの報告がある。以降、「人」の状態の彼が狙われ続けていただろうことは想像に難くない。多くの王や英雄たちがそうであったように、彼もまた毒に倒れたのであろう。王国にとっては想像すらしなかった結末に違いないが。
だがこの結末を招いたのは、むしろ「アラク」自身であったと言っていい。全てをルシュ=ファルの知謀の成果に帰す者も多いが、その知恵を絞り出させ、そして多くの名もなき兵士たちによって実行させたのが、他ならぬ「アラク」なのである。
「アラク」の手によって司令部は蹂躙された。
「アラク」の手によって街は陥ちた。
「アラク」がその力を制限なく振るうとき、そのようにわずか数語で説明するしか無い状況が生まれるのだ。
想像してみるがいい。
手も足も出ない力をもった光の巨人、それが無造作な剣の一振りで隣にいた戦友や同僚を跡形も無く消し飛ばす様を。自分が生き延びたのは、その注意が自分に向けられなかったか、あるいは単なる幸運に過ぎなかったと理解させられることを。
あんなものがあってはいけない。
あんなものを存在させてはならない。
何としてでも葬らねばならない。いかなる手段をもってしても、必ず!
非情でありまた半ば常軌を逸したルシュ=ファルの戦略が当時の関係者一同に受け入れられたのは、顔色を変え、鬼気迫る形相でその実行を上官に進言し、ときには脅迫までした部下や同僚たちのおかげであったろう。また兵士達も危険を伴う任務を躊躇わずに受け入れ、決死の覚悟で出撃していった。
あんなものと向き合うよりは。
あんなものに追われるよりは。
危険で困難な任務に挑む方が、遙かにましだ。
言わばルシュ=ファルという頭脳のもとで、兵士達は一つの意思と化していたのだ。
「巨神を前にして人々は知恵と勇気を集め、心を一つにして戦いました」と書けばまるで神話のようだが、「アラク」は半ば神話的な存在であった。事実、現在までのすべての“ろぼっと”を並べても、「アラク」のそれを超えた力を持つものは無い。
神話の怪物は人々の意思の前に破れ、闇に消えた。それで良いのであろう。
なお、「アラク」の外見について補足しておく。
光の巨人と称される「アラク」だが、実際の外観は巨大な人ではなく甲冑を着た騎士の姿に近かったと伝えられる。ただし額から伸びた角状の突起、不自然に張り出した肩甲などを見るに、その元となったのは甲冑と言っても儀礼用のそれであったと考えられる。あるいは幼き日に何かの祭典で目撃し憧れた騎士の姿、それを真似たものではあるまいか。
それもまた、神話の一部にふさわしくはある。
* * *
―― 帝国暦386年:帝都・史学部執務室 ――
ひととおり原稿を読み終えた黒髪の娘は、しばし無言だった。考え込むように文字の列にしばらく眼を留め、ややあって首を小さく振ると紙の端を揃えて原稿全体を整え、向きを逆にして少女の方に差し出した。
書類の要約に集中していた少女は視線だけを向けると、ペンを走らせる右手は止めずに、左手で原稿用紙の束を受け取った。そして一言だけ言った。
「納得したかの?」
娘は眼鏡を押さえて俯き、呻くように言った。
「したわよ。……最後は、「人」か」
「そうじゃ」
少女はそれだけ答えると受け取った原稿用紙を足下の鞄にしまい込み、しばらく書類の処理作業に集中した。迅速に処理を重ね、積まれた書類が無くなるとようやくペンを置き、小さく息を吐いて、おもむろに娘に顔を向けた。
「規律や規則に従う者、あるいは欲得ずくで動く者の動きは、なっちゃんは簡単に読むじゃろ。だがそういうものが全て剥がされ、本能が露わになった相手は別じゃ。そうじゃな、「アラク」に遭遇した一兵卒の気持ちを想像すればよかろう」
「気持ちを、想像?」
娘は顔を上げて問い返した。
「ああ。兵士も騎士も将軍もすべて平しく消滅させ、既存の秩序も常識も何もかも消し飛ばす巨大な力。それを間近で見させられた。しかも所属は敵軍じゃ。もしそんなモノが、帝都や自分の故郷に「来る」としたら、どうじゃ?」
少女は薄く笑い、右手でゆっくり、己の首を斬る仕草をして見せた。
「怖い。どうしようもなく怖い。しかし何としてでも止めなければ。そう思うじゃろう。だがどうすればいいかわからない。そこへルシュ=ファルが冷酷非道とはいえ、一つの戦い方を示したのじゃ。藁にも縋るであろうよ」
娘は再び考え込む表情になった。呟くように口にした。
「森の都は確実に陥ちる。それなら捨て石にし、足止めに使う。例え憎まれようとも徹底的にやれ、と?」
「ああ。軍の兵士すべてがその覚悟を決めれば、止められる者などおるまい? そもそも都の住民の抗議や敵意なぞ、「アラク」と向き合う恐怖と比べれば何ほどでもなかろうよ。……というかなあ」
少女はそこで微妙に疲れた表情になると、脱力したように背もたれに身体を預けた。視線を宙に彷徨わせる。
「ふだんは明るく愉快なひいじいちゃんがな。「アラク」の話をするときだけ、仮面でもつけたみたいな無表情になるんよ。そして淡々と話すのよ、抑揚の無い声で」
溜め息をつく。
「嫌でも悟らざるを得んかったわ。「ああ、まだ傷は癒えてはおらんのだ」とな」
「――50年か。とんだバケモノ、というか、まさしく神話の巨神ね」
娘も思いを馳せるように視線を巡らせ、次いで気づいたように少女に向けた。
「そういや毒殺説とあったけど、新事実とかでてこなかったの? その、ひいおじいさんから」
「……その話か」
指摘を受けた少女の首がカクっと垂れる。漏れ出したのは愚痴めいた言葉だった。
「いろいろ聞いたんじゃが、言えぬの一点張りじゃよ。「何があったか、うすうす感づいてはおるよ。だがルシュ=ファル殿には義理がある。この話は墓場まで持って行く」だそうじゃ」
「あー」
娘は納得したような、残念がるような複雑な表情になった。
「関係者一同、同じ反応になりそうね。まあ研究論文じゃないし、通史ならそこは許してもらえるでしょ。……続き、書くんでしょ?」
「無論じゃ」
少女は顔を上げた。
「もう資料もある程度集めておる。済まんが、また読者第一号を頼むぞ」
「了解。世代を追って書き進めていく形なら、次は第二世代よね」
「そうじゃ。王国が造った、最初で最後の機体になる。機体の名は……」
* * *
ともあれそのようにして「アラク」は消え去った。王国の衝撃は計り知れぬものであったろう。だが強大な帝国が本気を出してその力を振るい、王国をこの世から消し去るまでにはまだ一幕の猶予があった。
そしてそこには新たな役者が出番を待っていた。
第二世代機、“模倣者”、「ネズレ」である。




