陸話
―― 帝国暦334年:帝国商都・中央議事堂 ――
王国上級騎士たるクグニス・カガリは机の上に両肘をつき、手を組んだ姿勢で、目の前の下級騎士の報告を聞いていた。憮然とした表情で、「またか」と言いたげな雰囲気を隠そうともせずに。
ややあって騎士の言葉が切れると、彼はわずかに眼を細めて嫌みのように聞き返した。
「相手の態度に変化はないってことだな。成果は無し、と?」
「は」
真面目そうな騎士は言い淀んだ。
「相変わらず上から下まで「中立を守る」としか申しません。やはりここは、シライ殿にお願いすべきでは……」
「却下だ。とりあえず下がれ。次の指示があるまで動くな」
気落ちしたように一礼して部屋から出て行く騎士の背中を見ながら、クグニスは溜息をついた。収まりの悪い茶色の髪をガリガリと掻き、行儀悪く股を開くと豪華な椅子にふんぞり返る。
「さあてどうしたものかね。帝国にゃ、かなりの切れ者がいるみたいだが」
中央議事堂の、会議場脇の控え室。手頃な広さの部屋ということで、クグニスたち王国騎士はそこを事実上の司令部として使っていた。本来なら帝国貴族や有力商人たちが日々出入りするその場所には、今は彼らの他には誰もいない。
当然ここにいたはずの皇弟――この都の統治者もだ。
「捕まえるか討つべき相手は行方不明。しかも、どいつもこいつも中立を口にしやがる。間違いなく、裏で入れ知恵だか脅しをくらってるな……」
シライ・マサトに見いだされて半年あまり。彼に付き従うことで叛旗の会戦、旧都奪還戦と迅速かつ劇的な勝利を重ねてきたが、森の都の攻略から雲行きが怪しくなり、この商都では予想すらしなかった膠着状態だ。
彼は先日会った商都の鍛冶ギルド長、商人連合理事、両替商組合代表たちの顔を思い浮かべた。皆が皆、王国の議事堂占拠に敬意を払いつつも、統治者の所在不明を理由に中立の立場を取ると表明していた。個人相手の商売は構わないが、王国の命令に従い商都を動かすことは差し控えると。
「どちらにせよ、「講和の交渉材料として、商都の占領を既成事実化せよ」が上の指示だしな。やることはおんなじだが……」
そのまましばらく思案を続けていた青年の視線がふと、止まった。横合いから軽く騒がしい足音が聞こえてきた。ややあって扉が蹴り開けられるような勢いで開き、そこから年の頃14、5と見える年若の少女が駆けるような勢いで入ってきた。細い身体と華奢な手足に似合わない鋭い眼光の短い黒髪の少女は、部屋をぐるりと見回すとクグニスに眼を留めた。無造作にその前に立つ。
「聞いたぞ。まだ外出禁止は解けないのか?」
低い声の理由は、苛立ちのようだった。クグニスは心の中で溜息をつきながら、軽く片手を上げて見せた。
「悪いなニィズ、安全にはほど遠くてな。まだ隠れていてくれ」
「もう飽きた。戦闘も何も起きてないだろ、何なら兄様に――」
「いんや、そりゃ無駄だ。そして形は違えど戦闘中だ」
青年は少女の言葉を遮り、頭を掻きながら上体を起こした。顔を突きつけるようにして真顔で少女に正対する。
「連中が立てた帝国の旗は全部、吹き飛ばしたろ。通り一つ、予告をした上で焼き払って見せただろ。それでも町のお偉いさんたちは言うことを聞かねえんだ、間違いなく帝国軍に監視されている。もちろん俺たちもな」
親指を立てて窓の外を指で示してみせる。姿は見えないが、帝国はどこからか彼ら王国軍の動静を窺っているに違いなかった。
「こちらから手を出さなきゃ、おそらく帝国側も無茶はしねえ。その上で奴らを出し抜いて皇弟を捕まえられれば俺らの勝ち。うまくいかなきゃ、いずれ向こうから次の手を打ってくるだろ。そんな状況になってんだ」
「…………」
ニィズと呼ばれた少女は小首をかしげた。
「なら、その監視を捕まえて聞き出せばいいだろ。あたしがやるか?」
「やめてくれ、今はまだ帝国の注意を惹きたくない。お前も含めてな」
すげなく断られた少女は顔をしかめ、それでも何か言おうと口を開きかけたとき。
「その様子じゃ、外に出るのはまだ無理かな」
開いたままの扉の奥から、若い声がかかった。
その方向を見た瞬間、それまでの自堕落な態度はどこへやら、クグニスはただちに居住まいを正して立ち上がった。
「申し訳ありません、シライ殿。未だ安全を確保できる状況に至っておりません」
軽く頭を下げる。
「引き続き各方面への連絡と訓練のみを、お願いしたいと……」
* * *
王国の騎士達は占領の事実を公然化しようと市内の各種ギルドの長や大商人の元を訪れたが、すげなく以下のように返されるのみだった。
「皇弟の降伏、逃亡、ないしその首を確認できていない」
「帝国はまだ健在、帝国旗が意思を示している」
故に中立の立場をとり、自身の仕事に専念すると。
剣で脅しても意味はなかった。占領を事実化せよ、そうすれば従う、それが先。相手の主張はあまりにも明快だった。
実際、彼らを皆殺しにして商都を廃墟にするのが目的であれば、一切の手間は不要だったろう。ただ「アラク」が暴風と化せば済んだのだから。人口が十万に近い商都といえど壊滅までに一週間もかかるまい。いや、それを言うならそもそも帝都を直撃して皇帝一家を鏖殺して、それから反乱を起こせば済んだのではないか? またそこまでいかずとも、最初の会戦で敵将を討たず、全員を捕虜とし交渉を呼びかけていればまた別の展開もあったのではないか?
言っても詮無いことではあるが、つまりは戦略方針、戦の先々の見通しの欠如こそがこの状態を生み出したのだ。「アラク」の力に浮かれその力に頼った王国と、絶対的な力を前にルシュ=ファルが絞り出した軍略との、それはあまりにも明確な差であった。




