伍話
―― 帝国暦386年:帝都・史学部執務室 ――
「なるほどね。こういう状況だったの、知らなかったわ」
史学部の建物の一室。向かい合って座った二人の娘のうち、眼鏡の方が原稿用紙の束をめくりながらそんな言葉を口にした。
「なっちゃんにとっては、専門外じゃろな」
金髪の少女は、机の上に積み重なった大量の書類に目を通しながら答えた。複数の文書を読み比べて手早く要点を書きまとめていく様にちらと眼を留め、黒髪の娘は軽く肩をすくめた。
「このあたりは基本、素通りよ。でも名前しか知らなかったけど、このルシュ=ファルっていう人、大したものね」
「ほう?」
少女は書き物の手を一瞬止め、視線で続きを促した。
「まず迷わずその時点の最大火力を叩き込んで、正攻法では勝てないことを確かめた上で、即座に補給戦に移行してる点。持てるだけの食料を持って速やかに撤退し、無理な分は焼き捨てるっていうのは明らかに計画的な行動でしょ。というよりも」
娘は机の上で頬杖をついた。
「明確な意思を感じるのよね、たとえ町の人を犠牲にしてでも、こいつらをここに釘付けにするって。例えば食料に毒を混ぜたのなんて、見逃したり隠してた分があっても簡単には使わせないようにするためでしょ。晩冬なら冬を越えて個人の蓄えもそろそろ尽きる頃だし、そこで食料品店の在庫まで根こそぎ持って行かれたら、軍だけじゃなく町全体が飢えかねない。それでも構わない、ということだとすると」
今いちど原稿に目を落とす。行間に書かれた情報を読みとろうとするように。
「書いてないけど、春野菜の収穫前の畑を潰すとか、家畜を逃がすとかまでやってるんじゃないの? 敵軍に進路妨害をかけて到着までの時間を稼いだのも、要はそこらの交渉と工作のためだと思うけど」
ぱちぱちぱち。
「お見事。さすがは“戦争を経済で読む女”、満点じゃ」
ペンを置いた少女は、面白がるような表情で大げさに拍手をしてみせた。ふん、と娘が鼻を鳴らす。
「軍隊っていうのは胃袋よ。満ち足りてないと使い物にならないし、欠乏すれば味方にさえ容赦なく食らいつくの。とはいえここ30年で、随分と様相も変わってきたけどね。あの有名な“ろぼっと”、えーと、「ネルビク」? あれはあんたの分類だと何世代?」
少女の返事は即答だった。
「第5世代じゃな。そのあたりが特注品と、いわば量産型の境目になっておる」
「輸送革命の一助を担った機体よね。それが出てきて、食料、弾薬、衣料に医療品その他を前線で大量に消費する形の戦いが可能になった。また転じて、民生品の輸送にも使われるようになった。……そのあたりの話も書くの? あまり得意じゃ無さそうだけど」
「うむ。そこで相談なんじゃが」
少女は手元の書類を脇へのけると身を乗り出した。
「情報と関連資料の提供をお願いできんかの? 経済の視点から見た“ろぼっと”の評価は是非入れたいが、他国の状況もとなると資料収集の手が足りん。共著という形でも良いぞ」
「……私に草稿を読ませたのはそれでか。ふうん?」
娘は眼鏡の中央を指で押さえ、しばし思案の表情になった。ややあって問うように少女を見据えた。
「協力してあげてもいいけど、その前に疑問が一つ」
「なんじゃ?」
「ルシュ=ファルが何をしたかは、わかった。でも「どうやって」がわからない」
重なった原稿用紙を指で軽く叩いた。
「一介の名誉伯爵、というかこの時点では多分、子爵か男爵でしょう? 食料の強制買い上げだけならともかく、その上で町を守りもせずに撤退。そんな強引な真似は皇族でなければ領地持ちの公爵や侯爵、あるいは政府の長官級じゃないと無理でしょう。町の連中の協力は得られないと思うけど、一代限りの軍師の身で、いったいどうやったの?」
「…………」
少女は「おや?」という感じの表情になった。
「なっちゃんでもそこはわからんか。理屈で考えすぎじゃな」
「うん?」
疑問顔になる娘に、少女はひらひらと手を振ってみせた。
「人は理性のみにて動くに非ず、じゃ。まあ最後まで読んで見よ、その答えも書いてある。加えて言うと、あれこれ資料を漁っていたら接収した王国側の記録も見つかってな。その内容も反映させておる、心して読むが良い」
「そういや先日の休暇の日、丸一日書庫に籠もっていたわね。これのためか」
娘は納得したとも呆れたともつかない、微妙な表情で溜息をついた。
「まあいいわ、なら素直に読ませてもらいましょう」
* * *
結果のみを記す。何らかの索敵の力も持ちあわせていた「アラク」は、二週間余のうちに森の中に帝国が築いた8つの拠点のうちの4つを発見し、壊滅させた。逆に言えば半数は潰せず、散発的な襲撃はなおも続いた。そのため街道を進む輜重にはかなりの護衛を付けざるを得ず、またそのような状況下では商人たちの大半もあえて森の都に向かおうとはしなかった。
一方で森の都でも不穏な状況は続いていた。運び込んだ物資への不審火、「アラク」に関する流言飛語――悪魔と結んで生まれた兵器等々――の流布、食料の強盗事件の頻発、さらには赴任した新たな市長の暗殺未遂騒ぎまで。町に潜伏した帝国の間者が火元であることは明らかだったが、慣れぬ地で食糧不足に苦しむ王国軍には効果的な対応は困難だった。最初は好意的だった町の雰囲気も、すでに彼らをやっかい者と見なす空気に変じていたと聞く。
この時点で王国も気づいたであろう。帝国には正面から戦う気は無いのだと。その代わりあらゆる「正面からではない」方法で戦いを挑み、王国を、その軍を、自壊させようとしているのだと。
「アラク」には勝てない。だから戦わない。戦う相手はそれを支える者たちのみ。
遠からず王国自体にも同様の工作が行われるのではないか――そんな噂が軍内にも出始めたとき、王国上層部は意外な決断を下した。アラクを先頭に、精鋭の騎馬二百騎。強行軍で目指すは帝国商都。「アラク」が避けられるのなら、避け得ない状況を作れば良い。攻めに回れば良い。そんな思いであったのだろう。
だが、辿り着いた商都の城門は平時と代わらず開け放たれていた。警戒の素振りすらなかった。「アラク」も戸惑ったであろう、打ち壊すべきものが何もなかったのだから。突然の巨人の出現に慌てふためく町人を尻目に大通りを進み、中央の城塞に到着し、命令を無視して居残っていたらしい数十名の帝国兵を瞬時に駆逐――そして空になった執務室と議事堂に向き合うこととなった。息のあった帝国兵を尋問してみると、全員がかなり前に町のどこか別の場所に移ったという。正確な位置は不明。
ともあれ城には王国旗が掲げられ、商都の中枢が王国の手に落ちたことを告げ知らせた。帝国の夜襲に備え、いざとなれば「アラク」が出撃できるように、騎士達は城の近辺に泊まり込んだ。だが夜が明けてみると、彼らを取り囲むように周囲の建物に無数の帝国旗が掲げられていた。まるで王国を、騎士達を、「アラク」を包囲するように。




