弐話
―― 帝国暦334年:王国内・嘆きの平野 ――
晩冬の荒野に、剣戟の音が響いていた。
無数の矢が飛び交い、槍を抱えた騎馬が疾駆し、歩兵が剣尖を閃かせて突撃する。
黒を主体にした鎧の軍と、緑の旗印を掲げた軍。千を超える数の軍勢同士が真正面からぶつかり合い、鬨の声と血飛沫を上げ、断末魔の悲鳴がそれに混じる。様々な音が飛び交う中で、数で勝る黒の軍は大きく横に展開し、抵抗する緑の軍を囲んで押しつぶそうとするかに見えた。
「……左翼は押しているようだな」
両軍激突の戦場からはやや離れた場所、広がる荒野の中央付近に展開し出撃を待つ部隊の中で、帝国軍弓兵隊・魔導弓小隊所属のダナン・ギィは冷静に戦況を観察していた。背に負った長大な弓――魔導弓であることを示す銀白の装飾付き――を背負い直したところへ、脇の男が軽い口調で応じた。
「そりゃそうさ、人数が倍だからな。さっさと始めたのは正解だ、力業で押しつぶせると踏んだんだろう」
ダナンの同僚――ガナ・ゴウは短い髪を無造作に掻きながら、右手方向に目を向けた。視線の先の荒野の逆の端の側では、やはり同様に黒と緑の軍勢同士が対峙している。ただこちらは本格的な激突はなく、まだ先鋒同士が軽くぶつかりあう程度の小競り合いだ。
「右翼はまあ、探り合いってところか。俺らの出番も近いだろ」
ダナンは無言で頷き、そして男二人は同時に正面に視線を戻した。弓の射程の約1.5倍の距離。敵の本隊たる歩兵部隊、さらにその奥には緑の旗が翻る本陣。いずれも隊列を揃えたまま、自軍の劣勢にも動揺することなく静まりかえっている。
「しかし、妙だな」
ダナンが呟く。ガナが問うように顔を向けたが、青い双眼は敵陣を注視したままだ。
「属国をやめて独立する、などと宣言すれば帝国が即座に鎮圧に動くことはわかっていたはずだ。王国の連中は何を考えている?」
「あまりに無策ってか?」
ガナが混ぜっ返すが、ダナンの表情はあくまで真面目だった。
「帝国と王国の国力差は5倍以上だろう。動員できる人数もだ。それを覆す何かを得たからこその独立宣言、そう思っていたんだが」
「さあな? あるいはとんでもない新兵器とか――」
言葉が途中が途切れた。
遠くで鐘のようなものが打ち鳴らされる音が響き、正面の敵軍が奇妙に動いた。いや、割れた。歩兵隊が真っ二つに割れ、間に通路のような空間が生まれる。まるで何かを通すかのように。
そして「それ」は姿を見せた。
最初は光る塊のような何かが、敵本陣の前に現れたように見えた。わずかに間を置いて上へと伸び上がる。いや、「立ち上がった」。
光る何か。人に近い形の、しかし人を遙かに超えた大きさの。全身を覆う輝きのために詳細な形は判然としないが、甲冑をつけた騎士のようにも見える。
「……なんだありゃ」
ガナが呻く。ダナンも無言ながら完全に同意だった。
完全に立ち上がった「それ」は、尖塔に等しい高さに見えた。
「両腕」を広げる。
「顔」を上向けた。
そして、吠えた。
「…………!」
その瞬間、戦場全体を衝撃が走り抜けた。ダナンはよろめき、何とか倒れずに踏みとどまった。奇妙な感覚を感じて視線を上向ける。
魔導弓。その先端、貯めた魔力を矢に込めるための機構部分が、奇妙な輝きを湛えて震えている。
「……魔力か!」
「っっつ、とんでもねえ……」
頭を振って言いかけたガナの表情が凍り付いた。
咆哮を上げた姿勢で動きを止めた光の巨人。ややあって、「それ」は翼を畳むように両腕を体の前で交差させ、体を前に屈めた。
胎児めいた姿勢を取った、次の瞬間。
轟音と共に大地を蹴り、走り出した。一直線に、「自分たち」に向かって。
* * *
その者がいつ、どこから現れ、そしてどのように消え失せたかを知る者はいない。
シライ・マサトなる、一説には異世界より呼び出されし者。彼の者が今は亡き王国の言葉で「最初のもの」「原型」を意味する機体の名付け親であり、操縦者でもあるとされる。
当時は帝国の属国であった王国が突如叛旗を翻して軍を発し、それを鎮圧すべく派遣された帝国軍と激突した戦場。そこに突然、「アラク」は出現した。先に魔術は個人の技術に過ぎず、戦場では通用しないと書いた。ここで補足が必要であろう、あくまで一般的な場合においてはそうである、と。
「アラク」で使用された魔導技術は新規性は強いがあくまで既知のものの延長であり、隔絶あるいは超越した性格のものではない。技術の進歩の著しい今日の帝国魔導院であれば十分に再現が可能なものである。再現できないのはその術式を用いて発動されたシライの魔術そのもの、機体全体を直接魔力で構築し維持し動かすという、神話の御代と見まごう規格外の魔力の量に他ならない。「魔力の巨人」あるいは「光の巨人」、そう呼ぶべき存在であろうし、事実そう見えたと聞く。
* * *
―― 帝国暦334年:王国内・嘆きの平野 ――
「弓隊、構え! 魔導弓、徹甲矢を用意!」
後方からかかったどこか悲鳴じみた命令の声に、ダナンは我に返った。同時に体が反射的に動き、背負った矢筒から銀一色の奇妙な矢を引き出す。
徹甲矢――魔導強化された装甲騎兵を打ち抜くために調整された矢を魔導弓につがえ、引き絞り、狙いをつける。前後左右の他の弓兵たちとガナも同様の動きを取る。危地にあっても号令一つで乱れず一斉に行動できるのは、帝国弓兵隊の厳しい訓練の賜物だ。
背後の弓兵隊長からの指示がそれを追う。
「全体、斉射! 目標……」
わずかに言い淀む。だがその間にも光る「何か」は迫りつつある。
「……目前の巨人! てーっっ!!」
号令と共にダナンたちは一斉に矢を撃ち放った。射程を意識した曲射ではなく、ほぼ直射。百に近い矢が、突進する巨人を真正面から迎え撃つ形になった。
だが巨人は避けもしなかった。払いすらしなかった。
飛び来る矢は輝く顔、胸、あるいは腕や腹に真っ直ぐに命中し、悉く弾け飛んだ。鋼鉄の楯すら容易に貫く魔術の徹甲矢さえも。
「!」
第二射か、それとも待避か。
ダナンが一瞬迷ううちに、その姿がはっきり見えるまでに迫った巨人は、大きく脚を踏み込んだ。わずかに身体を沈めて溜めを作り、次いで一気に跳んだ。巨体を宙に高々と、まるで舞うかのように。
思わず見上げたダナンは、上空で巨人が腕を打ち合わせるようにしたのを見た。籠手のような奇妙に角張った両掌の間から、さらに輝く何かが生まれるのが見えた。
“あれは……剣?”
「馬鹿、逃げろ!」
ガナの悲鳴のような叫びが、どこか遠くに聞こえた。
そこから先のことはよく憶えていない。気がつくと、すぐ目の前に巨人――いや、輝く鎧らしきものに覆われたその脚部――が着地し、足の半ばまでを大地にめり込ませていた。
同時に「剣」を持った右手が振り下ろされ、地面に叩きつけられた。
釣られるように顔を半ば巡らせたダナンは目撃した。巨人から離れようと背を向けて待避にかかるガナと同僚たち、弓兵隊長。その全てが「剣」から発する巨大で強大な光――魔力の圧倒的な奔流に飲まれるところを。
直後にその全てが原型を失い溶け崩れ、存在の痕跡すら残さず宙に消え失せるところを。
それは戦闘ではなく、虐殺ですらなかった。
消滅。
存在していたものが、いなくなった。ただそれだけ。
“あ……”
言葉にならぬ言葉を発しようとした、その刹那。
一瞬遅れて、衝撃が来た。
強烈な剣風――衝撃波に地面に叩き伏せられ、ダナンは意識を失った。
* * *
「それ」は戦場に姿を現し、その進路にあるものを悉く薙ぎ倒し、帝国軍の司令部中枢を襲い蹂躙した。かかった時間はわずか四半刻余り。総司令として陣頭にあった公爵に加えて辺境伯二名、さらに百を超える帝国騎士と兵士達の首。それが「アラク」の初陣の戦果である。もとより両軍には倍以上の兵力差があり、特に左翼側では帝国が数段優勢に戦いを進めていたが、その時点で戦の帰趨は決した。
実際には「アラク」の継戦能力は不明であり、短時間しか戦場に出られなかったのではないかとする説も少なくはない。しかしその場その状況でその疑問を確認しようと考えるものはいなかった。「アラク」の上げた勝利の咆哮と共に一斉に攻勢に出た王国軍は動揺し統制を失った帝国軍を大いに打ち破り、それに引き続く形で行われた旧都奪還戦でも、「アラク」の一蹴りで城門は紙のごとく打ち破られ市庁舎は打ち砕かれ、王国はかつての首都を一時的にとはいえ取り戻した。
もとより新兵器や新戦術の登場で戦場の様相が一新されることは、歴史上ではしばしば見られる光景である。だがこれほど劇的に、かつ「個」の兵器によって成し遂げられることは極めて稀といって良い。王国軍の士気は跳ね上がり、旧領の回復どころかそれ以上の栄光を夢見たことであろう。帝国内はもとより周辺諸国にまで多大な衝撃が走ったことも言うまでも無い。その期を逃さず王国が巧妙に立ち回れば、あるいは帝国の屋台骨が揺らぐ事態の発生もあり得たかもしれない。
帝国軍師、ルシュ=ファルがいなければ。




