弐話
では「ネズレ」はいかなる“ろぼっと”であったのか。
まず外見は巨大な甲冑、頭から足の先までを鎧で隙間無く覆う形の、大型の全身甲冑そのものと言って良い。ただし後代の機体であればその内部には様々な機械が詰め込まれているが、「ネズレ」はかなりの部分が空洞となっている。その空洞に搭乗者の魔力を直接流し込み、己の四肢に変えて機体全体を駆動する方式だ。
こう書くと、装甲付きの「アラク」ではないかと思われるかも知れないが、両者は似て非なるものと言って良い。「ネズレ」が甲冑をまとうのは装甲というよりむしろ制御のためであり、その内側には全体にくまなく魔力の制御を助ける術式が刻み込まれている。操縦者の魔力が乱れたときに機体の側から操縦者を補助し、稼働を続けるための工夫であろう。また大きさが多大に異なることは言うまでもなく、「ネズレ」の全高は「アラク」の半分にも満たない。せいぜい建物の3階に届く程度で、これは単純に扱える魔力の総量に比例する。武装に関しては機体の大きさに合わせた専用の斧槍と、その他数種の武器が確認されている。「アラク」は武器も必要に応じて己の力で生成していたが、「ネズレ」には同様の事象の目撃情報はない。あくまでも実体の武器を使って戦うことを前提としていたと見られる。
そして特筆すべきは、この「ネズレ」が後に始まる第二次魔導兵器革命の、その先鞭を付けた機体だということだ。
かつての第一次革命は、魔導博士を初めとした魔術師たちによる、既存兵器の大幅な強化であった。硬いものはより硬く。鋭いものはより鋭く。遙か古代に鋼の剣を手に入れた部族が青銅のそれを打ち砕いたように、強力な武器を備えた軍は多くの戦いにおいて戦場を支配した。そのために効果を統一し、教育方法を確立し、戦況に影響し得る数を揃えたことが彼らの功績であり、魔術が歴史の表舞台に登場する一助となった。しかし「ネズレ」で使用された魔術はより魔術としての本質に近く、かつ効果が遙かに鮮烈なものである。
* * * * * *
―― 帝国暦334年:??? ――
以前、兄様に聞いたことがある。
遙かな昔、神代の時代、神様と魔物の戦いがあったのだと。
神様は神様の力を振るい、魔物は魔物の力を振り絞って戦い続けたのだと。
しかしその時代の人々は、ただその戦いを見守ることしかできなかった。
力が無かったからだ。
だったら彼らの力を真似ることで、 その戦いに加われないか。誰かがそんなことを考えたらしい。
人はまず神様の力を使おうと頑張ったけれど、できなかった。神様は人には真似ができないからこそ、神様なのだから。
でも魔物の力は使うことが出来た。それは実は、人にも備わっていた力だったから。
神様にすら抗える力。
「魔」力。「魔」法。
その奇妙な呼び名は、元は魔物に由来する力だったからだ、と兄様は言っていた。
でも兄様の力は神様の力じゃないの? と聞いたら、さあ、どうだろう? ととぼけられてしまった。きっと図星だったのだろう。兄様はあんなに凄い“ろぼっと”を操ることができたのだから。
やがて魔物はすべて滅び、神様も世界からいなくなった。
兄様がいなくなってしまったように。
それでも兄様が引き出してくれた力は、神様にさえ抗える力は、今でもあたしの中に息づいている。元は魔物の力だろうが、何だっていい。この力こそがあたしと兄様をつなぎ、そして今、「ネズレ」とあたしをつないでくれる。




