第8話 闇の底
シーラスを出ると稲森君は黙々と元来た道を引き返し始める。恐らく、お城があった街の中心部を目指しているのだろう。少しずつすこしずつ、人の通りが多くなってくる。でも、稲森君はお城になんて目もくれず、そのまま直進し続けた。
「ちなみに……稲森君、どこへ向かっているの?」
「……。着けばわかります」
稲森君はそう言うだけで私には何も教えてくれなかった。いや、正確にはこれ以上は何も言いたくないという様な感じで裏路地を進む。そして、薄気味の悪い一軒家の前で止まった彼はインターホンのようなブザーを鳴らし、私にこう言った。
「最初に言っておきます。僕は先輩に何か言われたとしても『ここで買うモノは絶対に買います』。でなければ、僕たちに明日はありません」
「えっ……? それってどういう――」
私が深く聞こうとしたところでのぞき窓がカチャッと空いた。そこからは黄色の瞳がこちらを覗き、稲森君に「合言葉は?」と問う。
「我らの栄光は根深き闇の財貨にあり。それなくして繁栄は得られず」
「ふむ……【なれば、汝は何者と説く?】」
「我は影を移ろう者、あるいは偽の心を持つ者なり」
「いいだろうっ! 新顔なのによく分かったな? 中に入れ!」
二回ほど繰り返された暗号を答え切ったことに安堵したのか、小太りのジャケットを羽織った男が扉を開けて私たちを中に招き入れた。部屋の中は廃れた外見とは異なり、高級そうな家具やお酒、シャンデリアが煌めいてお金持ちそうなイメージを抱かせる作りになっていた。
「で、若い上玉の女連れってことは売却か?」
「(上玉……? ば、売却……? え……?)」
「いいえ、逆です」
「はっ、購入かよ。大したタマだな」
「御託は良いから早く見せてくれないか? こっちは時間が惜しいんだ」
「へいへい。冗談が通じない坊主だ。まぁ、いい。お客様とはウィンウィンの関係で居たいからな! さぁ、こっちだ」
稲森君の言葉が鋭さを増していく。それはまるで、私に質問する隙を与えないようにしているかのようだった。稲森君はここで何かを買うつもりで居るが、何となくさっきのやり取りで察しがついてしまった。
「(……まさか……ね? 稲森君に限って……いや、でも――)」
私は二人に続く形で部屋の隅にある通路から階段を下へ、下へと降りていく。ジメジメとした空気が次第に張りつめてきて嫌な予感が高まっていく。
「さーて、どれがいい?」
「こ、ここって……やっぱり……」
階段を降り切った場所に広がっていたのは鉄格子に囲まれた檻の数々。
そして、その中にはたくさんの人が首輪をハメられて囚われていた。
ありていに言えば監獄だ。
「ん? もしかして、嬢ちゃんの方は『奴隷の売り場』に来るのが初めてか?」
「……ぁぁ……(人身売買なんて……こんなの……こんなのありえない……)」
サァと血の気が引いていく。私はその光景にただただ、絶句するしかなかった。
全員が私たちのことを鋭い眼光で射貫く。その目線は正しく憎悪そのものだ。
「稲森君……こんなの――!」
「あの子にします」
私は稲森君の行いを咎めようとした。
だが、彼は完全に無視を決め込み、その視線は目の前にいるブロンドヘアーの女の子に注がれていた。その子を凝視した奴隷商人は呆れ顔を浮かべる。
「おいおい、もう死にかけの――しかも獣人じゃねぇか。お前さん、もしかして幼い子どもを殴り殺す趣味の持ち主か?」
「まさか……僕はただ、この子がいいと思っただけです」
「まぁ、どんな使い道をしようが、勝手だから良いがよ……こっちとしてはほぼ足しになんねーんだがな?」
「なら、あそこの青いワンピースと剣もセットにしてくれて結構です」
稲森君はニコッと店主に向かって笑みを浮かべる。とてもじゃないが、今までの稲森君とは違う。こんなボロボロになった女の子をお金で買うなんてありえない。
「そうか? まぁ元々、売り物にならねぇ奴だ。占めて1000ゴールドでいいが、後から購入を辞めたとか言い出すのは無しだからな?」
「ええ、分かってますよ。代金はこれで」
「確かに受け取った。アイツの『隷従の指輪』はお前のモノだ」
でも、稲森君の表情はすごく落ち着いていて、動揺している感じは見られない。
そんな彼の雰囲気に私は酷く不気味さを感じならも情けない気持ちになる。
「(本当はだめだって言わなくちゃ……いけないのに……また、また言えないなんて……何やってるんだろう……私……)」
言葉に出して話せばいいだけ。それだけなのに、またしても声が出なかった。
そして、何も話を差し込めないまま稲森君が奴隷の少女を購入するのを見ている事だけしかできなかった。
「それじゃあ、行きましょう。――行くぞ」
モノのように買われた少女は終始、俯き加減で具合が悪そうな顔つきのまま、稲森君の後を追って地上へ戻っていく。
「(ダメだ、また分からない……。稲森君が一体、何をどう考えているのか……)」
ググっと胸が苦しくなる。ここで黙っていたらきっと私自身が後悔する気がした。
だから、建物から出たところで勇気を振り絞って彼の肩を掴んだ。
「稲森君っ……!」
「分かっています。理由が知りたいんですよね? この子を買った理由を」
「当然でしょう……? 人をお金で買うなんて――そんな、人の尊厳を踏みにじるようなことをしたら……絶対にダメだと思う!」
「……そうですね。それは先輩の言う通りだと思います。すみません。でも、今の僕たちにはこの子は必要なんです」
「……? どういう……こと? 意味が、意味が分からないよ……!」
私が語気を強めると稲森君は一点の曇りもない瞳で私を射抜く。
「その理由は僕たちの身を守るためです。この世界に『異世界人』である僕らが来たという情報はある程度の人間には知れ渡っています。服装を変えるだけじゃ不完全なんです。この世界の人間からみたら僕たちは別世界から現れた『特別な能力や力を宿している人間』に過ぎません。つまり、拉致したり、脅迫したりして悪いことに加担させようとする人間が一定数、居るんです」
そして、稲森君は少女の方に視線を一度向ける。
「……でも、こうして奴隷を買えばその目をごまかせる。さすがにこの世界の人間は異世界人が来たばかりで『獣人の奴隷を扱っている』なんて思いませんからね」
「いや……そうかもしれないけど……でも、だからって――!」
「それに! この子を買った一番の理由は『この子が死にそうになっていた』からです。ほら、よくこの子を見てください」
稲森君に言われ、その身体に視線を集中させると見えてきたのは私達にもある『ひし形の中に入った『5』という数字』と『緑色と水色の横線』だった。
しかし、私達とは違って横に伸びる線はどちらとも半分以下にまで減少しており、透明になっていた。
「これって私たちと同じ……?」
「そう。僕たちにもあるパラメーターです。今、先輩に見えている緑の横線はヒットポイント、つまり体力ゲージです。これがすべてなくなるとゲームオーバー。この子は『死にます』」
「死ぬって……あの、本当に……?」
「ええ。王城で僕が倒した蜘蛛の魔物みたいに呆気なく。この子もそれなりに危ない域なんです……」
「っ……!」
少女のヒットポイントバーは半分近くが透明になっている。このまま命が潰えたら、それは私たちのせいにもなってしまう。稲森君の表情からしても冗談とは思えない。
「助ける方法は……あるんだよね?」
「ええ、十分な食事と薬、睡眠があれば大丈夫なはずです」
「(乗せられた気がするけど……でも、こうなったら――)」
正直、納得できない部分もあるけれど、私は思考を巡らせるのをやめ、怯えてしまっている少女に声を掛ける。
「あ、あのね? 私たちはあなたに危害は加えないから……だから、あなたの名前、教えて……くれる?」
「リ……リリー、リリー・ミスリット……」
「リリー、いい名前。その……よろしくね……?」
私は緊張しながらも少女の手を握った。その小さい手と冷たさに驚きながらも、彼女の目が潤んで怖がっているように見えた。だから。そっと頭を撫でてあげる。それでもブロンドカラーの長い髪、そして髪の間からちょこんと出ている可愛い猫耳が特徴的な少女はどうしたらいいか分からない様子だった。
「……大丈夫、大丈夫だから……ね?」
「こ、これから……よ、よろしく……お願い……します……」
震えて、ますます小さくなるリリーに目を配ってから私に視線を合わせた稲森君は、来た方向の道をチラッと見据えた。
「先輩。とりあえず一度、シーラスに戻りたいんですけど、いいですか?」
「うん。もちろん……」
私が見ても分かるほど、衰弱しているリリーを宿に連れて帰るべく、私たちは再び元来た道を引き返し始めた。




