第62話 リリー・ミスリットの軌跡
「おーい、リリー! 今日は大漁だぞ!」
「お父さんっ!」
私、リリー・ミスリットはケルタニア帝国領の南西部に位置する漁村で育った。
お父さんは漁師で、お母さんは裁縫の仕事をしつつ、それなりの生活を送っていた。
「お前の大好きな魚が取れたから刺身にしような」
「やったぁ! お父さん大好きっ!」
「こらこら、お父さんは疲れているんだからあんまり迷惑を――」
「いいんだよ。リリーと遊ぶと疲れが吹っ飛んじまうからな」
どこにでもある、愛情あふれる家庭だった。
そう、あの戦争が始まるまでは――
「獣人狩りですって!?」
「あぁ! なんでも皇帝が直々に俺たち獣人を殺せと命令して兵を動かして――」
「警告するっ!! 獣人は今すぐに投降せよ!! さもなければ敵対行為があるとみなし、帝国法に基づいて排除する」
大雨が降りしきる中、悲鳴や怒声が村に広がり、私たち家族は命辛々、居住地を追われた。逃げる間には夥しい死体を何十、何百と目にした。そんな非日常的な光景に酷く怯えさせられても私たち家族は活路を見出すため、逃げる候補地を早急に考えなければらなかった。
選択できる候補は二つ。
一つは帝国領で獣人が急速に建国中だという『アルグラード』。
そして、もう一つはエルンガルト王国から離反し、獣人擁護を掲げるミルファー家が統治する『ミルファー共和国』。
いずれも新進気鋭の国家であり、情勢は安定していない。
それでも容赦なく行われる獣人狩りを前に私たちは決断を迫られた。
「あなた……私たちはどうしたら……」
「俺たちはミルファーを目指そう。今、アルグラードの国境には帝国軍が殺到しているはずだ。そう考えればミルファーは安全なはず。可能な限り、早く帝国領を抜けてしまおう」
お父さんの読みは間違いなく合っていた。皇帝は獣人国家樹立を叩き潰すため、多くの兵力をそちらへと傾けていたのだ。
けれど、皇帝だって馬鹿じゃない。
メインのアルグラードの方だけではなく、ミルファーの国境にも部隊を敷いていた。
「クソ……兵の数が思ったよりも多いな」
「こんな状況で本当に超えられるのかしら……」
「さすがに夜になれば隙は生まれるはずだ。そこを突く」
「お父さん、お母さん……怖いよ」
「リリー、お前は心配するな。すべて大丈夫だ。俺たちが付いている」
両親は夜が深まるのを待って前線防衛ラインの先、ミルファーとの国境へと徒歩で向かう。複数の見張りを掻い潜りながら前線基地の中を進んでいく。
でも、そこで予期せぬことが起こった。
「獣人だぁ! 獣人が越境しよとしているぞ!!」
「なっ!! お前たち走れっ!!」
誰も彼もが家族を、仲間を生き残らせるために夜間の国外逃亡を考えていたのだろう。私たちではない他のグループがみつかったことで基地全体が臨戦態勢に入る。
辺り一帯が光の魔法で照らされ、周囲からは悲鳴が上がると共に私たちも兵士たちに捕捉されてしまう。
「居たぞ!! 子連れだぁ!!」
「クソ、あと少しだっていうのに……! こっちだ!」
「待て、止まれぇ!! 回り込め!」
どう足掻いても相手の人数が増さる縄張りの中で私たちが逃げ切れる訳が無い。
気付けば私たちは崖際まで追い詰められてしまう。
「ちきしょうが……!」
「あなた……。ここまで来たら――」
「あぁ、分かってるわかってるよ。お前が言いたいことも。だが、それは最後の最期にとっておけ。――あとはお前に託したぞ」
2人は私を庇うように前へと立ってナイフを抜く。
それは交戦やむ無しと捉えられたっておかしくはない。
「投降しろ。もう逃げ場はないぞ」
「あぁ、逃げ場はないな。だったら作るまでだ!!」
お父さんが一騎当千の勢いで前へと突っ込む。
けど、相手は訓練を受けている兵士だ。敵う訳が無い。
「くっ……ちきしょう……ちきしょうがぁ!!」
「どうした? その程度か。笑えるな」
「お父さんっ……! お父さんダメっ……!」
みるみるうちにお父さんは切り刻まれていった。目の前には血だまりが出来て、それでも私たちを守ろうと何度でも何回でも立ち上がった。
けれど、現実はむごかった。
人のあざ笑う嘲笑とこちらを見世物のように殺そうとする悍ましい視線。
月夜に照らされて鈍く光るナイフの数々。鼻腔には血の匂いが漂う。
「嫌ぁ……イヤだ……! お父さんっ……このままじゃお父さんがあっ――」
そんな声を上げて直視した刹那、お父さんは兵士に首を斬られてピクリとも動かなくなった。その光景は最早、私に絶望を植え付けるのには十分だった。
「嫌、嫌だ……ぁ……お、と……さん……ぁぁあああ!!」
「あ~あ~ついに死んじまったな。もっとじっくり殺せよ、《《ルーク》》」
「まぁ、よく耐えた方だな、この獣人は! あははは!!」
お父さんに対する侮辱を前に、お母さんは私に鋭い目線を合わせ、肩を強く揺さぶった。
「リリー、しっかりしなさい!! いい、よく聞くのよ。一度しか言わないわ」
「え、え……?」
「お母さんの夢はリリーがいつか信頼できる誰かと出会って、幸せに暮らす事よ。あなたの未来を守れるのならお母さんは何も怖くはない」
ぞろり、ぞろりと兵士たちが近づいてくる中、お母さんは真っすぐに私を見つめる。
「本当は一緒に居てあげたいわ。それでもあなたを生き残らせる為には――」
ブンッと力強く兵士たちを接近させないように数回、ナイフを振ったお母さんは私に向かって叫ぶ。
「お母さんのわがままを許して――リリー!!」
「……お母さんっ!!!!」
バンッと助走のまま私を崖から突き飛ばし、川底へと突き落としたのだ。
最後に見たその景色は今でも脳裏に焼き付いている。
そこから私は流れの速い渓流に飲まれ、気付けばエルンガルトにまで流されていた。川岸で行き倒れ、行き場のない獣人だった私はあっという間に悪い人間に攫われ、奴隷商の売り物になっていた。
だけど、私にはあの光景が脳裏に張り付いていてナイフを使う事どころか、見る事すらもダメだったになってしまったせいで役立たずの獣人として扱われ、酷い扱いを受け続けてきた。
当然、劣悪な環境下での労働が基本である奴隷社会で、『働けないこと』は衰弱死することに直結する。本当ならこのまま死に絶えていくはずだった。
そんな時だ。マスターが現れたのは――
「この子にします」
あれがすべての転機だった。
彼は同年代の女の子を連れていたから娼婦としての扱いをされるかと思ったのだが、奴隷商の館を出るなり、喧嘩を始める始末で『私が死にそうだから助ける』という話を平然と語る。
人間が、私たちを助ける訳が無い。
それが私の中でも普通の常識だった。
それでもマスターやマスターに連れ添う気弱そうな女性――ミユさんも私に食事やお風呂、部屋までを与え、普通の人間と同じように接してくれた。
けれど、それは表向きの大嘘で、マスターの彼は私を『ミユさんの盾にする』つもりだったんだ。この命令を受けた時はショックだったが、抵抗はなかった。
なぜなら、もう久しく感じたことがない『優しさ』というモノをミユさんから感じることができたからだ。私が『戦場』に立つ理由はそれだけで充分だった。
そして、運命の魔王軍が襲来した日。
私はミユさんを庇い、魔物に斬られ死を覚悟した。
今でもあの時、あの場で死んだとしてもミユさんの為に命を張れたのなら私としては本望だったんだ。しかし、神はこんな私を見捨てず、また幻を見せてくれた。
それは嬉しいと同時に死にきれなかったがゆえの恐怖が心で大きくなった。
また、あんなに痛くて辛い目に遭わなくちゃならないのか、と。
そんな狼狽えた様子の私にミユさんは真剣に向き合ってくれた。
獣人である私の為にマスターを喧嘩をして、私を仲間だと言ってくれた。
それだけでも心が震え上がるほどに温められてすごく嬉しかったのに、私が求めていたのを知っていたかのようにミユさんは私を『家族だ』と言った。
その言葉を聞いた私は思った。
あぁ……この人が、この人が私にとって『信頼できるその人』なんだと。
それだけじゃない。周りの人たちも私のことを終始、気にしてくれている。
だから、私は遂にこの過去をミユさんに、みんなに打ち明けることができた。
「これが……これが私のすべてなんですっ……だから――」
私はもう、居場所を見つけることができた。
これから先は少しずつ、過去と折り合いをつけて行こう。
「ミユさん、もうすこしだけ甘えさせてもらっても……いいですか?」
「うんっ……辛い話をしてくれてありがとうね。リリー」
すべての話を聞いた実結はただ静かにリリーの頭を撫で続けるのだった。




