第50話 復讐の狂犬(玲奈の過去エピソード1)
雨と雷の轟音が鳴り響いていたあの日、自宅に一本の電話が掛かってきた。
「あっ、わたくし東京消防庁の救急隊の石田と申しますが、有川 千春さんのご自宅で間違いないでしょうか?」
「は、はい。そうですけど……?」
「実は有川千春さんが町外れにある展望台の階段から転落し、意識不明の状態です。すぐに搬送先の――」
正直、それ以降の事は頭が真っ白でよく覚えてはいない。
娘である私、有川玲奈がお母さんと再会したのは霊安室の中だった。
「どうしてなの、お母さん……。私を一人にしないでよ」
この日、私は唯一の肉親であるお母さんを『事故』で亡くした。
検死を行った病院の先生から伝えられた死因は転落による頭部損傷。
高台から足を滑らせて階段を転げ落ちた際に頭を打ちつけたのだろうという説明を受けた。でも、私はそんな説明には納得できなかった。
「そんなの嘘! そんなところにお母さんが行くはずない! なんでお母さんが家とは違う方向に行く必要があるの!? おかしいよ! ちゃんと調べて!!」
「確かにこの子の言う通りかもね。千春がこの子を置いてまでそんな場所にいくとも思えないし……」
「そうだな、街の反対側まで行くなんて普通はありえんだろう。千春は何か事件に巻き込まれたのかもしれんな。アンタら警察だろ! 詳しく調べてくれ」
必死な私の言葉に母方の親戚も疑問を拭いきれず、警官に怒鳴り散らす。そうして、その日から警察や検死医はお母さんの死因を詳しく調査するべく動き始めた。
しかし、数週間後には状況が一変する。
きっと事件性があるはずだと言ってくれていた親戚たちが全員、掌を返すように『手を退く』と言い出したのだ。
「玲奈ちゃん、あれはね。事故だったと思うの。だから、これ以上は騒ぐのを辞めましょう?」
「そんな……! どうして、どうしてそんな事を言うの!? お母さんはきっと何かの事件か何かに巻き込まれて――」
悲痛な声を上げる私を前に、親戚の連中は酷く冷めた声で口々にこう漏らす。
「はぁ、言いたくはないけどね……そういうところよ? 千春はシングルマザーで娘のあなたを育てるのにとても疲れていたの! だから、自殺でもしようとあの場所に足を運んだんじゃない? そして、不幸にも事故に遭ってしまった。そうだとしたら、辻褄が合うでしょう?」
「馬鹿、まだ子どもなんだぞ? そんな事を言うもんじゃない!」
「だって事実じゃない。それにこの子の為にもならないわよ」
親戚から浴びせられる心無い言葉に私の心は崩壊しそうになる。
でも、その言葉の真意を私は知っていた。
「――そんなに《《お金》》が大切ですか? そんなにも……っ」
「な、何を言ってるんだい? 玲奈ちゃん」
「しらばっくれるんですね。全部、ぜんぶ……私は知っているんだから!!」
ここ数日、葬儀の手配などで家に居てくれた親戚の元を訪れていた黒塗りの車。
アレはお母さんの務め先『松村グループ』の車だ。普通に考えてご焼香だけなら一度で済むはずだ。それなのに、あの車は何度も訪れていた。
だから、気になって親戚の人たちと話している場所をこっそり見に行ったのだ。
覗き込んだその先には、私が見たこともない大金が詰まったアタッシュケースが開かれていた。幼い私には最初はそれが何の意味を持つものか見当がつかなかったが、今となっては口止め料であろうことはすぐに見当がつく。
恐らく、松村グループは母の死に何らかの形で絡んでいるに違いない。
そう確信を持った。しかし、そう思ったのも束の間で私に対しても松村グループの社員が「手を退け」と言わんばかりに5,000万円を目の前に広げる。
「このような時に申し訳ありませんが、松村グループの社長である松村英明より、お母様の退職金をお預かりしてきました。どうぞお納めください」
「……こんなことをしても私は手を退かない、退かないから」
「手を退く? その言葉の意味が分かりませんが……私どもとしてはこれで“落ち着いていただきたい”と思っております」
所詮は『子ども』と『大人』。大人を丸め込んだ時点で私との交渉など、やる価値も無いと男は表情で語る。その時ばかりはこの世の不条理を恨んだ。
「とまぁ――。あれからアタシはグレにグレまくったんだよなぁ」
今、思い出せばその一件から家にも寄り付かず、何度も夜の街を彷徨い、時には補導を食らいながら喧嘩三昧の日々を送るようになった。
「そんな時だったよな? アンタとの出会ったのはさ」
「ああ、そうだったな。俺がわざとお前の肩にぶつけたんだ」
「そうだよ! チッ、あの時は勝つ自信があったのに……」
「まぁ、そう睨むなよ。あの出会いがなかったら警察署の資料室でお茶なんて出来てないぞ? そう言う意味じゃ感謝しろよ? でなかったらお前、少年院に入ってたか、そこら辺で野垂れ死んでいただろうな」
テーブル越しに煙草をふかしている男――鹿島刑事は自慢げに語る。確かに貫禄はある人だが、私をまるでガキみたいに扱う所がイラっと来る。
「アタシはそんな軟じゃねぇよ」
「そんなムッとするな。事実だ、事実。それに玲奈。あの当時の俺は第一線の刑事だったんだぞ? 小娘相手に負ける訳に行かんだろ? まぁ、今も現役だがな! がははっ!」
鹿島さんは余裕綽々と喋りながらコーヒーを啜る。彼は気さくな人物で良いおじさんだが、刑事としても様々な課を渡り歩いた超人だ。さらには人脈も多く、昭和ながらのブラックなやり方すらも許容してしまう熱血刑事でもある。
「んで? 伝説の鹿島刑事? 例のクラッキングは?」
「ああ、ばっちりだ。協力者からは準備はできたと連絡があった。案外、簡単だったらしいぞ?」
「ま、マジかよ……。でも、まさか後ろで警官が糸を引いているなんて、『松村の人間』は気付きもしねぇーだろうな」
「当然だ。バレたら犯罪だからなぁ? 発覚したその瞬間、俺は刑務所暮らしになっちまうよ」
冗談ぽく言った鹿島さんの表情が一気に真面目な表情へ戻る。
「玲奈。俺たちの利害は一致している。お前は母親の千春さんの真相を――そして、俺は殺された部下の犯人を捜し、敵を討つ。正直、その手法はブラックなやり方だ。逮捕のリスクもあれば、下手をすればお互いの目標を完遂する前に始末される可能性もある」
「んなこと、分かってるよ。いいからさ、さっさっとやっちまおうぜ?」
「玲奈。お前が一番危ない役回りだ。手を退くなら今がラストチャンスだ。ここから一歩、踏み出したら取り返しは付かない。途中で投げ出すこともできない。それを十分に理解しているか?」
鹿島さんは私に再度、覚悟を問い正す。
だが、そんなものはもう今更だ。
「アタシは降りないよ。例え、道半ばで殺されたって悔いはない。もし、犬死になろうが、なんだろうが……お母さんが死んだ真相を突き止めることができればなんだって良い。その覚悟がなけりゃ、ここまで来られなかったはずだから」
「それは……そうだな。だが、お前はまだ中坊だ。結果的に俺はお前を利用――」
「鹿島さん。あんたは優しすぎんだよ、最初っからアタシが根を上げるのを待ってたんだろう?」
図星をつかれたようにハッとした表情をした鹿島さんは目線を下に向け、難しそうな表情をする。
「図星か。まぁ、でなけりゃ? 傭兵経験があるやつにアタシの訓練なんて押し付けなかったはずだもんな? あまりアタシに深く感情移入しすぎんなよ。バディを信じろって。アタシは『アンタの元部下みたいに殺される』つもりはない」
「……はぁ、玲奈みたいな中坊如きに転がされるようになるとは。俺も歳かねぇ」
タバコの箱からトントンと叩いてもう一本、タバコを取り出し、火をつけて煙をふかす。きっと、彼はアタシを復讐劇に巻き込むことで諦めるという選択肢を――最後の納得いくセーフティーを掛けようとしていたんだ。でも、アタシの意志が確固たるモノであることが分かった今、彼の目からは迷いは消え、資料でごった返すテーブルの中から一つの封筒を取り出した。
「――じゃあ、本当に最後の作戦会議だ。狙うターゲットは松村美咲。松村グループの社長令嬢だ。玲奈は美咲に接近して彼女の信頼を得るんだ。そこから松村グループの内部に浸透。その後、俺たちにとって有利に働くであろう必要な情報を回収しろ。証言や物証、データなんでもいい」
「OK、そこら辺はうまいことやるよ。あとは美咲に関しての情報が欲しいかな。潜入前の情報くらいあるんだろ?」
「ああ、作戦開始の前段階として信頼できる情報屋に調べさせてみた。だけど……まぁ、噂通りの破天荒なお嬢様のようでな?」
鹿島さんは気だるそうに机の上に紙や写真を無造作に広げる。
すべての写真に金髪のロングヘアーの少女が収められており、写真の至る所にわがまま気ままに振舞う姿が捉えられていた。その中には、教師を叱責している写真やボディーガードを蹴飛ばしている写真まである。
「七光りのお嬢様のはずが、天然の馬鹿キャラみたいにしか見えねぇな」
「そう言ってやるなよ、育った環境で変わるんだろうさ? 事実、松村グループ社長の愛娘ということもあって父親の影響力も大きい。何でも保護者から聞き込んだ情報だと授業中にスマホを弄っていたことを担任が注意したら翌日にはクビになったなんていう話まである」
「はぁ……しょうもない。親が親なら子も子か。それで肝心の進学校の裏取りは? そこが分かんなけりゃ作戦の出鼻が折られちまう」
「はっ、それは心配ご無用だ。お前がシメた松村の同級生と捜査二課の連中からの情報、それから情報提供者が集めた妙な金の動き――そこから間違いなく、ここだ」
ピッと地図の一点を示す。
「あの丘の上にある私立高校か。じゃあ、状況開始といきますか」
そう言いながら私は机の上に置いてあるセミオートマチックの拳銃に弾倉を入れる。それを見つつ、鹿島さんは電話を手に取った。
「今からあいつらに連絡を入れる。くれぐれも気を付けろよ」
「分かってる、わかってる! 『狂犬の狼』の名は伊達じゃないから大丈夫だって! んじゃ、この銃はもらっていくよ!」
軽いノリで銃をポケットにしまって、慣れない銃の感覚を感じながらバイクに跨り、街の中心地に赴いた。そこにはひと際大きな高層ビルが一つ、君臨している。
「うわ、こっから見ても馬鹿みたいにデカいな。ったく、こんなにデカいものをぶっ建てる思考がアタシには分かんねぇ……」
松村グループ本社ビルから数ブロック離れたT字路で忌々しくビルを眺めていると黒塗りの車が通って来る。それは正しく、松村グループの車だ。
「きた。これだ」
しかし、そう呟いた瞬間、車は急加速をして壁へと激しくぶつかり、衝撃で後輪が一瞬だけ浮く。それと同時にワゴン車が後ろをブロックするように被せる。
「おぉ~外から見てると映画みたいだなぁ、ははっ」
「――おら! 降りろ」
「な、なんなのよ! こんなことしてタダで済むと思ってんの!? やめなさいっ! やめろぉ! パパに言いつけるんだから!」
その周囲からは怒号が響き、お目当ての松村美咲が引きずり出され始める。
そして、頼みの綱であった運転手も呆気なく、銃で撃ち殺されてしまう。
「あ~あ~。大ピンチって感じだね。さ、出番か」
私は一気にアクセルを吹かして美咲の元へ突っ込みながら銃を引き抜き、数発だけ適当に撃ち込む。それを合図に男たちは一瞬、こちらに目を配って素早く引きあげ始める。
「アンタ! 大丈夫か!?」
「あ、ありがと……。だ、大丈夫。パパが――パパがなんとかしてくれるわ! わ、私は松村グループの次期社長なんだから、こんなことくらい朝飯前よ! こ、怖くなんてないわぁ~!」
「……本当かよ。アタシが居なかったら危なかっただろ」
「そ、それはそうだったけど~私には専属の警備が――遅い、どうしてこないの!」
いかにも気品を必死に見せようとする話口調で誤魔化しているが、相当怖かったのだろう。最後のさいごは怒りで顔が歪んでいる。
そして、数分後には銃を装備した人間たちがワゴン車で駆け付ける。
挙句、銃を突きつけられてしまう有様だ。
「おいおい、命の恩人にその対応は無いんじゃねぇーか?」
「……。銃を降ろしてあげなさい。彼女はあなた達が来なかった代わりにまもってくれたのよっ! このっ! 遅いのよ、来るのが!!」
美咲はキ゚ッと睨みつけながら目の前に居たボディガードを殴った。
まるで、少しでも自分が上だと思えないと癇癪を起す子供のようだ。
「お嬢様……申し訳ありません」
だが、彼らの主人は腐っても松村グループの社長だ。その愛娘に歯向かいでもすれば銃口は自分の頭に向く可能性すらあるのだから、冷や冷やモノだろう。
「君も車へ。社長が直々にお礼をしたいと言っている。来てくれ」
「へぇ~? 金でもくれんのかね? ――って、ん?」
「悪いが、銃は回収させてもらう」
「あ~はいはい!」
ニヤリと笑みを浮かべながら、銃を渡して彼らの車に乗り込んだ。彼らは私たちが仕掛けた罠にハマっているとも知らず、本社へと私を招き入れたのだった。
それから美咲はメイドたちに囲まれて奥へと下がって行った。
その一方、アタシは応接室に通され、簡単なお茶菓子とコーヒーを渡された。
正直、出されたものに変なモノが混じっている可能性もあるので手を付けず、しばらく待っていると松村グループの社長である松村英明が現れた。
私を見るや否や、ため息をつく。
「はあ……まさか、娘を救ったのは君とは驚きだよ。千春の娘、有川玲奈?」
「どうも、その節は。今日は大変でしたね」
「フン、あんな野蛮な奴らはすぐに《《居なくなるさ》》。それよりも銃をどこで手に入れたんだ?」
「アタシはそこら以上の不良なんでね? どこぞの誰かさんにいつ消されるか分からない身なんで? 護身用に何丁かは置いてるって訳。それとも何? アタシが絵を描いているとでも? アタシだって好き好んでアンタの娘を救ったりなんてしねぇよ。それに勘違いすんなよ? アタシにもメリットがありそうだから来たんだ」
アタシはそう吐き捨てて一枚の紙きれを取り出す。
「アタシの家にこんなものが入っていたんだ」
そこには『松村の娘を殺して我々の復讐を遂げよう、今からでも立ち上がれ』というメッセージが書かれている。瞬時に社長の顔が青ざめる。自分が世界で何よりも可愛がっている娘だ。気が気ではないだろう。
「まぁ、今まで散々なほど悪どいことをしてきたんだろうから無理はねぇだろうけど、今回のターゲットは社長、アンタの娘だ。だからアタシを利用しないか?」
「な、何を言っている?」
「アタシをボディガードとして利用しないか?って言ってんだよ」
それを聞いた社長はあっけらかんとした表情をする。
「言っている意味がわからんな」
「はぁ……ボディガードを二倍に増やしたところで即応性が無いんじゃ意味がねぇーだろ? その点、アタシは同じ年代で制服を着れば、用心棒になれる。利用価値があると思わねぇか?」
そこまで言うと「なるほど」という顔つきになる。
「だが、お前に何のメリットがある?」
「無条件での『高校進学』と安定的な生活の確保。それしかねぇだろ。お得意の調査で調べればいかにアタシが不良なのか分かると思うけどな?」
「っ……」
社長は苦虫でも噛むように逡巡した後、ため息交じりに頷く。
「――いいだろう。……だが、何か変な動きをしたら大変な事になるということだけは覚えておけ」
「はいはい、要は従順な犬で居ろってことだろ? 分かってるさ。それによく言うだろ? 昨日の敵は今日の友って。所詮、過去は過去だからな」
「フン。白々しいが、気に入ったぞ」
お互いの目線に火花が散る。まるで、既に駆け引きが始まっているような感覚に陥るが、平然を装いながら握手を交わしたのだった。




