第40話 新たな日常と出会い(稲森君の過去)
四月中旬、僕は遅めの初登校日を迎えていた。真新しい紺のブレザーに身を包みエナメルバックを肩に下げて新たな学び舎を見上げる。立派な白塗りの校舎が朝日に照らされ、学校の綺麗さと上品さが伝わってくる。
「松村学園……か。なんか、ザ・都会の私立校っていう感じだな」
僕は一人、学校の先生から指定された8時30分よりも10分早く昇降口に足を運んでいた。別に早く着いたからと言って何になるわけでもないのだが。
「(今日に限って早く目が覚めたんだよな……えーっと、確か『受付に声を掛けろ』って言ってたっけ……)」
つい先日、自宅に掛かってきた学園の先生からの言葉を思い出しながら、受付へと声を掛け、職員室に向かった。職員室の扉を開けて入るとすぐにクラス担任の男教師が顔を出した。
「稲森君、初めまして! 私が君の担任になる荒井です! これからよろしくお願いしますね?」
「はい。稲森優輝です。こちらこそ宜しくお願いします」
「よし! じゃあ、まだ時間もあるから軽く校内を紹介しましょうか!」
「あれ? でも、ホームルームは……」
「ああ~ホームルームは副担任に任せてあるから大丈夫! それに1限は私の授業ですから! ほら、行きますよ?」
そう言って僕の肩を叩き、職員室の外に出た。だが、職員室の扉を閉めた直後、荒井先生の陽気さはどこかに消えた。
「とりあえず、歩きながら話しましょうか。ここだと何かと問題がありますから」
「……は、はい」
その独特な雰囲気に呑まれながらも荒井先生の横を歩き始めた。
「稲森君。君には『この学校』はどう見えていますか?」
「どう……と言われましても今は綺麗な校舎だな、くらいにしか……」
「そうですね。この学校は最近、『松村グループ』という企業に買収――要は経営権が移って、校舎も綺麗になりましたから強ち間違いではありません」
どこか悲しそうな顔を一瞬、見せた荒井先生は突然、立ち止まった。
「さて。今、私達がいるここが本棟です。ここら辺は職員室や保健室がある教員エリア。そして、あっちが実習、実験を行う教室が揃っている実習棟です。生徒の間では『旧校舎』なんていう呼ばれ方もされているようですがね……。で、先ほどの職員室の上がパソコン室になっていて、パソコン室を除く2階のフロア全体が2年生の教室になっています」
「なるほど、2階は2年生の階なんですね」
「その通り。……ですが」
そこで急に周囲を気にするような素振りを見せてから小声で言った。
「2階にはパソコン室がある都合上、上級生である3年生が3階からよく来ますが、あまり彼らには関わらないようにしてください。特に3年1組にはね」
「それは……その、どういうことですか?」
「この学校にはさっき言った松村グループのご令嬢がいましてね。目を付けられると何かと理由をつけて退学にさせられてしまうのですよ。特に君は事情があって転校してきたことは知っています。だからこそ、充分に注意を払って欲しいんです。私個人からの助言だと思って心のうちに閉まっておいてください」
「は、はい……」
確かに危惧していることは分かるが、そんな話がこのご時勢でありえるのか些か疑問だった。いくら気に食わないからと言って退学に追い込めるほど世の中、簡単じゃない気がする。
「(というか、教師がそんなことを言うって大丈夫か? この学校……)」
「まぁ、今は転校したばかりでまだよく分からないでしょうから『靴のラインが赤の生徒だったら上級生。女の子だったら注意しよう』っていうくらいに考えておいてください」
「……わかりました。心に留めておきます」
そう話しているとキンコーンカンコーンと鐘が鳴り響く。
「授業時間ですね。それでは教室に向かいましょうか。ん……? おっと、出席簿を忘れてしまいました。先に教室まで行っててください」
「はい」
「では、また教室でお会いしましょう」
冷静に語る荒井先生は僕に背を向け、職員室の方へと向かっていく。
僕は『何かとんでもない学校に来てしまった』と思いながら、近くにあった階段から2階に上がって静かに教室の方向へと歩き出す。でも、それと同時に『どうでもいい』というネガティブな感情が心の内側から沸々と湧いてくる。
「(あと2年もすれば高校を卒業して、何事も無かったかのように働く。そんな生活が待っているだけで何も変わりはしない……過去も未来も何もかも……)」
未だに『過去』が重く、重く圧し掛かってくる。それ故に、この学校での注意点など最早、どうでも良かった。こうして登校しているのだって親に無駄な神経を使わせないために過ぎない。
「(大体にしろ、僕が上級生の――ましてや、女子と関わることなんて無いだろ)」
そう思っていたが、そんな予想は瞬時に無に返った。
「(ん? ……って嘘だろ?)」
僕はあまりの衝撃に言葉を無くした。
旧校舎の方から僕の記憶に見覚えのある少女が現れたのだ。
その少女は全身がずぶ濡れであまりにも酷い姿でありながら肩くらいまで伸びた黒髪のショートヘア―、150センチを越えたくらいの背丈。
そう、それはまるで『恵の生き写しのような人物』だった。
「(いや、違う。あの子は恵じゃない。だって、恵はもう――)」
そう思いながらも僕は彼女に吸い込まれるように近づいていった。
まるで、これが運命の悪戯であるかのように。




