第36話 恋人の願い(稲森君の過去)
2月14日――その日は俗に言う『ハッピーバレンタイン』。
僕はそんな素晴らしき日の午前中を寝て過ごしていた。昨日は結局、恵とゲーム内で別れた後、明け方まで今日の大会に向け、レギレスタの中核を担うメンバーたちと練習や話し合いを繰り返し行った。そのせいもあって昼間近くに目を覚まし、朝飯と昼飯を兼ねて今、こうしてご飯を食べている。
「ようやくお目覚めですか? 坊ちゃん?」
「やめてよ、母さん。気色悪い」
母さんは洗濯カゴを片手に僕へと嫌味を言う。
「ったく、午後からデートだって言うのに緊張ってモノがないの? 息子ながら本当に情けないわねぇ?」
「いや、だから……はぁ、いいや」
突っ込むのも疲れた僕はリビングに座ってご飯を食べる。リビングに置いてあるテレビもバレンタインデーの話で持ち切りだ。
「色恋沙汰が動く日……か。ごちそうさま。じゃあ、母さん、行ってきます」
「いってらっしゃい。ふふっ、良い事、あるといいわね?」
「もう、しつこいなぁ……遊びにいくだけだって……」
母さんはどうやら、一人息子がバレンタインデーの日に女の子から呼び出されることが余程、面白おかしいのだろう。今日に限っては勉強しろなんてことも言わないらしい。それが毎日だったらどれだけ助かるのだろうと思いながら玄関へ向かい始めた時、家の電話が鳴った。
「優、とにかく気をつけるのよ? 今日は人通りが多いからね。あ~はいはい。今出ます、出ます!」
母の言葉を横に流しながら家を出ようとしたが、僕が家を出ることはなかった。
なぜなら、青ざめた顔でリビングから飛び出してきた母さんが僕を大声で呼び止めたからだ。
「優、待って!!」
「えっ? なんで?」
「はい……はい、そう……ですか……」
母はずっと受話器先の誰かと話しているが、微かに手が震えていた。ただならぬ予感を感じた僕は電話が終わるのを待っていたが、母さんは静かに電話を切って僕の方へ歩み寄り、ギュッと抱きしめる。
「ちょっ、急にどうしたの?」
「優、落ち着いて聞いて――」
そう前置きをした母さんが静かに喋り出した。
「今、惠ちゃんのお父さんから連絡があって恵ちゃんがお家で《《亡くなったそうよ》》」
「えっ……? 今、なんて……言った?」
頭の中が一瞬で真っ白になっていく。
「ははっ、揶揄うのがうまいね、母さん? だって、今日、会う約束してるんだからそんなことはあるわけ――!」
「ううん、本当の事よ……。母さんが嘘ついたことある?」
母さんの声は震えていたが、一貫して強かった。母さんはからかったりはするが、ここまで冗談が過ぎる嘘を付ける人じゃない。その声を聴いて僕の目にも涙が自然と浮かび上がってくる。
「嘘だ……そんなこと、絶対に……」
「……お母さんも信じられない。なんでこんな事になったちゃったのか、お母さんにも分からないけどっ……ごめん、優の方がつらいのにね」
しかし、その一方で僕はこの目で見るまで恵の死を信じたくなかった。
「っ……今すぐ恵のところにっ」
「待って。恵ちゃんはまだ病院に居るそうよ。今行っても意味は無いの」
「離せ! 僕は恵の所にいく……!」
「――優、辛いだろうけど落ち着いて。恵ちゃんのご両親も「優に来てほしい」って言ってるわ……。だから、彼女のご両親の為にも今、向かおうとするのはやめなさい。夕方になったらお母さんと一緒に恵ちゃんのところに行きましょう? それまではリビングに居てちょうだい」
僕はすぐにでも出たい気持ちを母さんに抑え込まれ、時が過ぎるのをグッと待ち続ける。その間、何か別なことをして気を紛らわそうとしても『恵のこと』が頭から離れず、心の中で必死に「何かの間違いであってくれ」と祈り続けていた。
そして、夕暮れ時になって家の電話が再び鳴った。
電話の主は恵の父で『惠が病院から家へと戻ってきた』との一報を受け、僕と母さんは喪服に身を包み、惠の家へと向かった。その道中、僕たちをあざ笑うかのように深々と雪が降り始める。
「大丈夫……惠は死んでない。大丈夫だ」
そう僕は唱え続けるしかなかった。そうでもしなければおかしくなってしまいそうだったからだ。恵の家の前に着くとそこには恵の父親が立っており、僕達の存在に気付くと深々と頭を下げた。
「優輝君。来てくれてありがとう。娘に……惠に会ってやってくれ」
「……はい」
「どうぞ、中へ」
言葉が詰まりながら恵の父親が泣く姿は、それがいかに真実であるのかを物語っていた。だが、それでも僕は必死に「嘘だ」と心で連呼し続けていた。
それでも『現実』というモノは変わらず、悉く残酷だった。恵の父親に案内されて入った慣れ親しんだ恵の部屋――そこには静かに眠ったような顔つきで横たわる恵の姿があった。
「そ、そんな……なんで、なんでこんなっ……」
その姿を目の当たりにして僕は膝から崩れ落ちた。それを見ていた恵のお母さんが僕に寄り添い、瞼を赤く腫らしながら恵に話しかける。
「優輝君、来てくれてありがとう……。ほら、恵? 優輝君がきたよ?」
「どうして……どうしてだよ……」
這いつくばる様に駆け寄って恵の体を揺するが、恵の体はとても冷たかった。
その瞬間、紛れもなくすべてが現実だと悟った。その冷たさが『もう死んでいる』ということを僕の脳に否応でも理解させた。
「何やってんだよっ……! なぁ、起きろよ! まだ僕は……「お前が好きだ」って事、伝えられてないのにっ……こんな終わり方、許さねーぞ! なぁ、なんとかいってくれよぉ……!!」
「ありがとう……。娘のために泣いてくれて、怒ってくれて……そして、こんな馬鹿娘を好きだと言ってくれて、本当にありがとう。――優輝君、コレを。娘が君に書き残したものだ」
「恵が……?」
恵の父親は涙を流しながら僕の隣に腰掛け、肩に優しく触れながら綺麗なピンク色洋封筒を差し出した。僕はその中を恐る恐る覗くとそこには涙で濡れた跡が残っている便箋にボールペンで文字が書かれていた。
――優輝へ。
これを読んでいるという事はもう私はこの世に居ないと思う。
これはその為に書き残したものだから。
多分、優輝のことだからきっと、私が亡くなってすごく泣いてくれていると思う。
いや、むしろすごい怒っているかな。
優輝との約束を破って死をえらんで本当にごめんね。
でも、これは私なりの決断だから許してほしい。
そして身勝手だけど、これだけは伝えておくね。
私は優輝の事が本当に好きだった。
死にきれないくらい大好き。
だけど、私は優輝の重荷はなりたくないの。
こんな身勝手で、バカな私から最後のお願い。
私の部屋にあるバレンタインチョコを食べて。
そして、どうか私の事を忘れてください。
思いは届かないかもしれないけれど、いつまでも愛しています。
皆川 恵。
――こんな結末が、こんな死者からの告白が僕の心に現実として突き刺さる。
パソコンのディスプレイの前にはピンクの包装紙に包まれたチョコレートがポツンと残る。この光景を前に「なんで、この自殺を僕は予見できなかったんだ」と自分を責めながらも人の目をはばからず、恵に抱きついた。
「重荷だなんてこと……そんなこと一言でも言ったかよ? 大体、何だよ? 僕だってお前のことが――恵のことが好きだったのに私を忘れろだぁ……? そんなの無理に決まってんだろうが! ちきしょうがぁああ……!」
手紙を握り締めて冷静さを失った僕はひたすらその場で泣き続けた。




