第33話 バレンタインの誘惑(稲森君の過去)
2月12日、金曜日。
この日は久々に天気が好転した一日で、普段の気候と比べれば幾分か気温が高かった。雪深く囲まれるこんな田舎街ではこんな晴天は珍しい。窓際の席で一人、昼飯を食べて満腹に満たされた腹と穏やかな気持ちに包まれながら学校の昼休みを過ごしているとスマホが振動した。
「なんだ? こんな時間に……いや、こんな時間だからか」
やれやれとスマホを見てみるとやはり、ゲーム仲間からだった。この時間帯は最もオンラインゲーマーにとってスタートダッシュになりやすい時間帯だ。メッセージにも案の定、これからゲームしようぜ的な流れの文面が並んでいる。
「ったく、こっちは学校だって知ってるだろうに。それに部活だってあるしな」
そっと『学校だ、バカ野郎』と返信してスマホを逆さまにして机に置く。
もちろん、この時間帯にゲームができることがうらやましいと思うことは多々ある。でも、僕はそこまでゲームに固執している訳でもない。あくまでゲームは恵と共に居るためのツールで『通過点』に過ぎない。
――僕が学校に居る。その事実が最も大切で『重要』なのだ。
僕がこの学校が嫌いだということ。そして、惠がこの場所を最も毛嫌いしていることも全て事実だ。それでも、惠が僕の姿を見て『このままじゃ、ダメだ』と理解して、前を向いて進みだしてくれればいい。
「(正直、そのスタート地点へ立つには時間はかかる。でも……それでも、戻ってきてほしい。だから、僕はここにいるんだ)」
今の僕には心で願い、行動することくらいしかできない。そして、どこかそんな自分に嫌気が差してきて、机に突っ伏した。すると、再びスマホが振動する。
「……だから、今は――って、ん?」
うるさいなと感じながらスマホを拾い上げて見るとメッセージの差出人は恵だった。
『ごめん、今、学校だよね? でも、聞いておきたいことがあって。今週の日曜日、午後って空いてる?』
空いてるも何も日曜日なら部活も無い。そんなことは恵だって少し考えれば理解できることだ。でも、そこである事に気づいた。日曜日――2月14日と言えば『バレンタインデー』だ。
「(まさか、な……。いつも通りの意味だよな。全国大会の当日だし)」
僕と恵はそんな甘酸っぱい関係に発展するほどの仲じゃない。僕たちの関係はあくまで仲が良い、気の知れた幼馴染――それかゲーム上でのパートナー。そこが関の山なのだ。だからきっと、今回もゲームの類だろう。そんな当たり前の様で、どこか当たり前であってほしくないような誘いに僕は素早く返信を返す。
『うん、特に予定もないよ』
『じゃあ、うちに遊びに来ない? 大会の最終打ち合わせしよ?』
――ほらな、思ったとおりだ。
『わかった。じゃあ、日曜日の午後一で、お邪魔するよ』
『うん。楽しみに待ってる』
既読が付く度に数十秒後にはパッパッとメッセージが流れる。でも、大会に関しての打ち合わせなら『ゲーム上で日時決めをすればいいのに』と少し違和感を感じていた。
「まぁ……昨日、言い忘れただけか」
僕と恵は毎日、オンラインでゲームをする仲だが、言い忘れたりすることもよくある事だ。そして、何より恵は隠し事ができるようなタイプじゃない。
「ねぇねぇ、優輝君?」
「……?」
不意に掛けられた言葉で一気に目が覚める。顔を上げると目の前には一人の少女が立っていた。黒髪ロングヘアーで「いかにもカースト上位です」と言わんばかりのオーラを漂わせる彼女は、僕が最も恨んで止まない女――佐藤優衣だった。
僕は敵意を露わにするように優衣を睨みつける。
だが、彼女はそれでも動じることはない。
「あのさ、今週の日曜日って空いてる? 陸部って日曜日は必ず、休みでしょ?」
「……お前、よく僕に話しかける気になったな?」
目線も合わせず、そう冷たく言葉を吐き捨てる。僕が彼女を恨む理由――それは彼女が裏から糸を引いて、惠がいじめに遭うように仕向けた張本人だからだ。
「べ、別に恵の件は私が悪い訳じゃないじゃん? それにほら、優輝君が動いて加害者だった奴らはみんな処罰されたし、私は関係な――」
「は? ああ、そうだったな? お前はただ『煽っただけ』だもんな? けどな……お前のやったことはすべて分かってる。頼むから僕に二度と話しかけないでくれ!」
「っ……! わ、わかったわよっ!!」
強い語気で言い放つと優衣も心が折れたのか、少し怒った様子で自分の机へと戻っていた。明らかにクラス全体の視線がこちらに向いていて、雰囲気を悪くしてしまったことを察した僕は一人、屋上へと向かった。
屋上からグラウンドを眺めれば、地区予選もロクに通過したことの無い野球部が必死にノックの練習をしていた。少しでも野球がうまくなりたい一心で練習しているのだろう。その気迫から伝わってくる。
「クソ……あの野球部の連中と同じで『時間は有限』なんだ。恵の傷付いた時間は一生、戻らない。恵はずっと傷を背負って生きていかなくちゃならないんだ。その意味を優衣は理解していない。それが頭に来るんだ……!」
行き場のない怒りを吐き出すように誰も居ない屋上でそう嘆く。僕はいじめに遭う前の恵――活発で無邪気で、笑顔を振りまいていた恵を知っている。
それ故に不登校になるまで精神的に追い込んだ優衣と加害者達に心底、頭に来ていた。恵が苦しんでいるのにあいつらは学校で何事も無かったかのように青春を謳歌している。
『こんなことが許されてもいいのか、彼らに天罰はくだらないのか』と僕は居もしない神様に対して思いをぶつける。
それが今の僕にできる悔しさを飲み込む方法だった。
「あっ! 見つけた。稲森君。ちょっとお話いいかな?」
そう唐突に後ろから声を掛けられ、振り返ってみればそこには同じクラスの野川 雪が立っていた。低身長でピンクの髪留めが印象的な子で二本に結ったツインテール姿がクラスでは可愛いと評判の女子だ。
「……野川さんか。さっきの見てただろ? 今は一人にして欲しいんだけど」
「あ、うん……その、ごめんね? でも、今じゃなきゃ駄目なの。放課後は部活があるでしょ? だから――」
「っ……。分かった。で、話って?」
正直、面倒くさいとは思ったが、『クールになれ』と自分に言い聞かせた。ここで野川さんに当たったところで何も解決などしない。
「うん……。稲森君ってさ、ウチのクラスの立花君と親しいよね?」
「立花? ああ。まぁ……綾斗とは同じ陸上部だしな。それが?」
立花綾斗のことは良く知っている。
……というか、僕と腐れ縁、親友と言える存在で気心知れる優しいやつだ。
「その……綾斗君にプレゼントを買おうと思うんだけど、その買い物の手伝いをしてくれないかな? 一生のお願いっ!」
「買い物に付き合えってこと? 嫌だよ。僕だって暇じゃないんだから」
「そんなこと言わないでお願い! 私ってそこまで交友関係広くないし、稲森君にしか頼めないの! ここを逃したらもう好きだって言えないっ……から……」
「え? あぁ、そういうことか……。ん~でも、そういう物こそ自分で選んだ方がいいと思うけど?」
赤面しながら早口で喋った野川さんの思いを守る意味でも僕はそう言い返した。
好きな相手への贈り物は心がこもっていればそれだけでいいと思う。それに、僕が仮に手伝ったとして万が一、綾斗がこの事を知ったらがっかりするに違いない。
「でも、私……綾斗君の趣味とか全く知らないし、失敗したらイヤなの! だからお願い! 力を貸して? お願い、この通りだから……!」
「あっ、ちょっ……泣かないでよ」
野川さんは手を顔の前で合わせて泣き出してしまった。正直、他人の恋路に介入するのは良い気はしないが、こうなってしまったら僕も弱い。
「はぁ……。分かった、わかったよ。成功するかは保証できないけど、買い物くらい付き合うよ……。土曜は陸部の練習が午前中あるけど、午後からなら空いているからそれでどう?」
「うん、それで大丈夫……」
「なら、午後一時に正門前で。あと教室に戻る前にちゃんと涙は拭いて行きなよ?」
「あ、ありがとう……! じゃあ、明日はよしくね? 本当にありがとうっ!」
僕が手渡したハンカチで涙を拭き、少しの笑みを零した野川さんは校舎内へ駆け戻っていった。屋上に残された僕の心はドキドキした気持ちに包まれて、なぜか『早く恵の声が聞きたいな』と思いながら部活が終わるまで過ごし続けた。
その日、部活が終わると僕はいつも通り、綾斗と共に自転車を併走させながら家路についていた。そんな中、急に綾斗が話を僕に振ってくる。
「なぁ、優輝! お前さ、バレンタインのお誘いを誰からか貰っただろ?」
「えっ? いいや? まぁ恵から『遊び』のお誘いは貰ったけど、そんなお誘いは貰っちゃいないよ」
「かぁ~お前、愛されてんな! それをお誘いじゃないっていうお前がうらやましいよ! 本当に一途なんだから」
「は? 何言ってんだよ」
「何が「は?」だよ? お前、今日の授業中も、部活中もどこか上の空だったぽかったじゃん! それを一途と言わないで何が一途だってんだ?」
「う、うるさいな。茶化すな! そういうお前こそ、どうなんだよ?」
「お、おれ? 俺はなぁ~……なんと! テニス部の野川さんから『遊びにいかない?』 ってお誘い貰ってんだよ! やばい、人生最大のチャンスだよな、俺っ!」
綾斗はただ自慢したいだけにも聞こえたが、目をオロオロと動かしている様子を見るかぎり、相当ソワソワしているらしい。
「さぁ。それはどうだろう? 綾斗は僕と違ってモテるし」
「何言ってんだよ、優輝だって恵ちゃんにバリバリ、モテてるじゃねーか!」
「だから、僕と恵はそんな仲じゃない。お前だって分かってるだろ?」
「分かってる、分かってるけどさ? 中学からその状態だろ? そろそろ、その先に進まないのか?」
「まだ今はそんなこと考えてねーよ! ……んなことより、お前の方こそ野川さんの事、どうするんだよ?」
「どうするって……?」
「よくわかんねーけど、クラスの中じゃ野川さんって結構、人気がある子だろ? この時期に、しかもバレンタインデーに遊ぼうって言われるってことはそういうことだろ? そうなったら付き合うのか?」
綾斗に話題を振り返すと照れているのか、そっぽを向く。
「まぁ……野川さんにその気があるかは分かんねーけどさ、正直に言うと俺、野川さんのことが気になってたんだよ」
「はぁ!? いつからだよ? そんな素振り今までなかっただろ?」
「いや、まぁな……。優輝は気付いてなかったかもしれないけど、野川さんってたまに陸部の練習を覗きに来ててさ。そこからどことなく気になってて……あっ、でも、気になるってだけで内側を知らないというか、何というか……」
その距離から綾斗は野川さんに近づこうとしている。そして、また彼女も――。
素直に『この恋がうまく行って欲しい』と思う僕にできるのは、少しだけ背中を押すくらいだろう。
「綾斗が言ってること、何となく分かるよ。確かに恋ってそういう曖昧なことから始まるもんだしな? 何はともあれ。日曜日は楽しめばいいんじゃないか? そのうえで伝えたいことがあれば素直に伝えればいいと思う。僕にはそれくらいのアドバイスしかできないよ」
「ほう~経験者は語るってか? 熱いねぇ~」
「誰が経験者だ、経験なんて微塵もしてねーよ……!」
「アハハ! 悪い悪い。でも、本当にそうだなって思うよ! 野川さんに素直な気持ちを……か。へへっ、やっぱり持つべきは親友だな!」
笑みを浮かべて並走する綾斗の鼻の下はすっかり伸びきっていた。顔が『野川さん大好き』と物語っているも同然だった。この調子じゃ、明日の部活中もこの話でもちきりになりそうだ。
「ったく、綾斗……お前みたいなやつをちょろいって言うんだよ」
「ん!? ちょろいとはなんだ、ちょろいとは! 失礼な! ……あっ! 念のために言っておくが、俺はまだ野川さんのこと好きだなんて言ってないからな!?」
「ふっ、その反応で好きじゃないとはね……? 僕には『そう言っているのと同じ』にしか聞こえないし、顔に好きだって書いてあるぞ? 本当に一途なのは綾斗の方なんじゃないのか?」
「う、うるせぇなっ! ったく、人をおちょくりやがって!」
寒さがどこかに吹き飛んでしまうほど、僕たちは賑やかに話をしながらバレンタインデーに思いを馳せ、各々の家への帰路についた。




