第32話 ゲーマー(稲森君の過去)
恵との話は高校一年生の冬まで遡る。
その当時、僕の家は都会とは一線を画した田舎街にあった。
正に極寒の地と言っても過言ではない雪国でその日も、またいつものように氷点下を下回る寒さを記録していた。
「うわっ! どうりで一段と寒いと思ったら……ツイてないな」
外では雪が降り積もり、窓から見る限りでは圧接になっているように見える。
そんな光景にため息を付きながらも、僕はリュックの中に“使わない”勉強道具とゲームの周辺機器や自家製の攻略ノートを詰め込む。
しかし、準備が終わっても気が抜けない。
なにせ、この学期末という時期は実力テストと重なっているから親の目も厳しい。
けれど、この午後の時間はサスペンス劇場が始まる時間で母さんはテレビに釘付けになっているはずだ。きっと脱出もいつものようにうまく行く――はずだった。
「あら~? 優輝、どこかに行くのかしら? 怖くないから言ってみなさい?」
絶対にバレない。
そう思っていたのに、振り返ってみれば鋭い眼光でこちらを射抜く『鬼』が居た。
「か、母さん……なんで気付いて――」
「うん? 何か言ったかしら?」
「あはは! なんでも? いや~その、これから友達の家で勉強でもしようって話になっていてさ!」
「ふ~ん……」
母さんは嘘を見抜く刑事のようにゆっくりと迫ってくる。
「い、いやだなぁ、本当だよ。ほら!」
苦し紛れに苦笑いをしつつ、リュックの中に入った教科書を少し出して見せながら逃げるように靴を履く。そんな我が子に対して母さんは引きつった笑みを浮かべる。
「話している最中に逃げようとするのは嘘だからでしょう?」
「に、逃げようなんて、そんな事は微塵も……ったく! 母さんも人が悪いなぁ~」
「優輝!! 遊ぶのもいいけどあなた、来年から高校二年生なんだから勉強をしなさい!! ただでさえ、高校に入ってから成績が――」
「成績、成績! はいはい、分かってるよ!! それでも僕は『恵』のことが心配なんだよ!! 仮に未来を差し置いてもなんでも!!」
またしても始まりかけた僕の嫌な『勉強しろコール』へ終止符を打つように僕は激しく怒りを吐き捨てた。母さんはその言葉にため息を付く。
「はぁ、また皆川さんのお宅にいくの? お父さんにも言うわよ!?」
「言っていいよ。どうせ父さんなら「後悔が残る選択だけはするな、人生は一回だ」って言うだけだから」
「……。もう、あとでどうなっても知らないからね! 行くなら勝手にしなさい!! だけど、ちょっとだけ待っていなさいよ! いいわね!!」
母さんは酷く怒った様子で台所の方へ戻っていき、大きなレジ袋を素早く僕に投げつけた。
「あぶねぇ……何すんだよ!!」
「遊びだろうが、勉強だろうがお腹は空くでしょう! ……恵ちゃん、こういうの好きそうだから持って行きなさい! ただでさえ、皆川さんのお家にご迷惑をお掛けしているんだから、同級生の親としてこれくらいは普通よ!」
「っ……。」
「とにかく、門限の17時には帰ってきなさい。お説教はそれからよ!」
「う、うん……。その、ありがとう……」
僕は予期せぬ事に少し動揺しながらもレジ袋を片手に家を飛び出した。多分、僕が恵の家に行くことを匂わせたから母さんはあえて、引き止めなかったのだろう。
「……悪いことをしたかな。でも、そうでもしなかったら行かせてくれなかったよな?」
未だに雪が降り続ける中、10分ほど歩きながら自問自答をしつつ、『幼馴染』が住む家の前に着くとスマホでメッセージを打ち込む。
『今、着いた。勝手に入るけどいい?』
――『うん。鍵ある場所、分かるでしょ?』
『もちろん。じゃあ、お邪魔します』
ほぼタイムラグなしでピコピコと送信されてくるメッセージを横目に玄関脇の植木鉢の下から鍵を手に取り、家の中に入る。家の中は綺麗なフローリングと白の壁紙が清楚さを際立たせている。
「恵の家っていつ来ても綺麗なんだから凄いよな。さてと……」
靴を揃えて二階へ上がり、惠の部屋の前で扉を数回ノックすると聞きなれた声が返ってくる。
「開いてるよ! なぁぁぁ!?」
「は? 何叫んでるんだ? お、お邪魔しま――ん? ボス戦……いや、クラン戦中か?」
部屋に入るとそこにはゲーミングチェアに座り、ハの字型のテーブルに囲まれながら3つの画面に向き合い、マウスを世話しなく動かす恵の姿があった。画面には『リグレット』というMMORPGゲームが映し出されている。
「そ、そう!! 急に大人数で喧嘩を吹っかけてきてさ! 絶対に待ち伏せだよ!! 間違いない!! もう最悪なの、大変なのって感じで……あぁもう!!」
「ふっ、上位ギルド――もとい、日本一のクランは大変だな?」
「あのさ……優輝? 他人事みたいに言ってるけど、優輝だって“そのメンバー”でしょうが! ひぃっ! 逃げろぉ!!」
恵は一瞬、目をこちらに向けて呆れたように言ったと思ったら素っ頓狂な声を上げる。僕はそんな恵を他所に椅子の後ろへと回り込み、画面を覗き込む。画面の中では多くのプレイヤーが入り乱れて白英戦を繰り広げていたが、あまりに戦況は芳しくない。
「あれ……結構、苦戦してるじゃん。天下の『レギレスタ』のリーダーが――ほい、オレンジジュース。入れとくぞ」
「うっ……うるさい! だって、完全な不意打ちだったんだからしょうがないじゃない――って、あぁ~!! このオレンジジュース、CMでやってた新発売のやつだぁ! うひょ~! 痛み入る。ありがとうね♪ ぐぬぬ……このっ! このっ!」
喜怒哀楽が激しすぎないかと思いつつ、見ていると惠はヘッドマイクに声を吹き込む。
『こうなったら 隊の前衛は後退してHPとMPの回復! 体制を整えてから仕切り直すよ ! 私に続いて!』」
ムッとした顔つきで左手でキーボードを動かしつつ、ボイスチャットでクランメンバーに指示を飛ばす。状況は圧倒的に人数差で『レギレスタ』に分がない。僕はテーブルに付けられたドリンクホルダーにジュースを入れつつ、じっくりと戦況に目を凝らす。
「……なぁ、恵。ここは命令を撤回して全員で突っ込んだ方がいいと思うぞ?」
「えっ!? この状況でゴリ押ししろって言うの!?」
恵はボイスチャットのマイクをグッと握り、驚いた声を出す。
まぁ、それも当然ともいえるだろう。いくら白英戦では負けなしと言われるほど強いメンバーがごっそり集まっている『レギレスタ』とはいえ、人数差で押されている上にMPの消耗が激しい。
この状況では後退するしか道が無い。だが、そんな定石どおりの対処をしている『レギレスタ』に対して、明らかに敵クランの様子がおかしいのだ。
「今、ウチの主力半分が後退する動きを見せたのに、敵クランは前衛に盾持ちばかり置いている。普通なら一気に畳み掛けに来るはずだろ? さっきまでは入り乱れてあんなにも圧していたんだから」
「確かに……。詰めずに距離を取ろうとしてる? 退くこと自体が罠ってこと?」
「確証は無いけど可能性はあると思う。押し切る自信が無ければ……そうだな、例えば大魔法による範囲殲滅とか、挟撃の策とか……相手もさっきより索敵に引っかかる人数が少ない気がするしありえない話じゃない。もちろん、この動き自体がブラフの可能性もある。わざと突っ込ませるための煽りかもしれないしな? ……あとの判断は恵に委ねるよ」
そこまで言うと僕は恵の肩をポンッと叩いた。これから先はレギレスタのリーダーである惠が決めるしかない。無言で少しの間、考え込んでいた惠は決意を固めて再び、マイクに向けて喋った。
『やっぱり、作戦変更!! 全メンバー、私の合図で一気に反転! いつも通り突っ込むよ!』
『『ええええぇぇぇ!?』』
『いいから従って! ウチの火力が他のクランに負けるわけがない! それは私たちがよく分かってるでしょ! それにこの作戦に関してはうちの『参謀』も同意見なんだから!」
その場に居た『レギレスタ』のメンバー達は真逆の指示に驚いたようで未だ絶叫と混乱の声が漏れ聞こえてくる。だが、そんな中、居ないはずの僕に話しかけてくる1人の冷静なプレイヤーが居た。
『はぁ……ってことはリーダー。『ハインテット』もそこにいるんですか?』
『あ、えっと……うん。いるよ?』
聞き慣れた男性の太い呆れ声が漏れ聞こえてくる。恵が『居る』と言ってしまった手前、退けなくなった僕は自分のリュックからマイクセットを恵のパソコンに差し込んだ。
「メルミルさん。ハインテットです。相手のクランは何らかの作戦があってタンクを前に持って来ていると思います。だから、この場はあえて退かずに突っ込んだ方がいいと思うんです。突破できそうですか?」
『まぁ、アレぐらいの人数なら全員でかかれば行けなくは無いが、一回ポッキリの賭けになるぞ? ……というか、ハインテットっ! お前さ、毎回毎回リーダーのアカウントで話し始めるのはやめろ! 一様、リーダー目当てのメンバーも多いんだからよ?』
「わかってますよ。後はリーダーであるセシルに任せます。ハインテット、アウト」
やれやれとマイクをパソコンから引き抜いた。こんな男っ気に溢れるゲームでトップランカーに名を連ねる女性プレイヤー、そんな『セシル』は注目の的だ。だから、このアカウントで僕が話すことは避けた方が良いのだろう。
それでも、この場において恵だけは他人の声に惑わされず、戦況だけに頭を回し続けていた。そして、僕に小さな声でつぶやく。
「メルミルが行けるって言うなら賭けようと思う。私はそれがベストだと思うから」
「それじゃ、あとはタイミングだぞ、回復すると見せかけてからだ」
「うん、わかってる」
恵の肩を再度、叩くと頷いてからマイクに声を吹き込む。
『じゃあ、作戦はハインテットの指示通り、正面突破でいくよ! 私の合図で反転。突撃するから備えて!』
恵たち主力部隊は敵の攻撃から身を隠せられる壁の間を縫って疾走していく。ただ、後退しているように見えて、その壁の隙間から相手の布陣を確実に読み取り、薄いところを探し出す。その情報をマップにピンマーカーを付けて連携していく。
「3ピンか1ピンだな。そこがねらい目だぞリーダー」
『OK。1ピンで行こう、あそこなら反撃されても動きをとめられると思う――カウント行くよ、5、4、3、2、1――反撃開始っ!!]
一斉にレギレスタのメンバーが恵を先頭に敵クランの方へ転進する。矢じりのようなフォーメーションを組んで敵陣へ切り込む。至近距離まで近づいたところで恵の凄まじい『凪払いの剣技』が敵のガードを跳ね上げ、レギレスタのメンバーが一点突破を見せる。
恵もメンバーに遅れを取ることなく、5人に囲まれるシチュエーションでも冷静に剣技のコンボと体術のコンボを重ね合わせ、次々にバッタバッタと敵をなぎ払っていく。人数不利は一瞬にして見る影もなく、消え去った。
「すげぇな……あれだけ無謀な策でも損害はゼロかよ……」
『リグレット』の古参勢を抑えて、最速でトップクランとなった『レギレスタ』のリーダーの実力と統率力は本物だ。繋げ技や立ち回り、連携に至るまで一切の無駄が無い。敵クランは突然すぎる反撃と完璧な連携に成す術も無くそのまま半壊。勝負は呆気ないほど短時間で終結した。それは最早、完全な勝利だった。
「勝った……本当に勝った!! やったぁぁぁ!!!!」
「ああ、やったな。ほいっ!」
無邪気に笑う恵とパチンと軽くハンドタッチをする。その笑顔はどこまでも純粋で綺麗なものだった。まるで、日の目を見た花のような可憐さを感じさせる。
「まぁ、とりあえず皆に一言、言って締めろよ?」
「そ、そうだね! みんなにお礼いわきゃ!! 『みんな、ありがとうっ! 危なかったけどやっぱり、うちのクランが最強だったってことだね! えへん!』」
『いやいや、リーダーよ? 俺らにえばられてもな?』
『『アハハハ、確かに』』
『メルミルは水差さないの!! でも、本っ~当に、お疲れ様! 今夜はレイド戦だから気を引き締めていこうね!]
『おう!』
ワーッと一気にボイスチャットやテキストチャットが盛り上がる。僕はその様子を見て、恵にもこんな居心地が良い場所が出来たんだなと。そして、あわよくばそんな感じで明るく学校に戻ってきてくれればいいのにと思いながら少し笑みを零した。
「ん……? 優輝、どうかした? 急に笑っちゃって」
「あ、いや……? なんでもない」
僕はずっと、恵が『あるべき日常』に戻ってきてくれないかと静かに願っていた。
一見、ゲーム廃人にも見える恵だが、中学の頃は陸上部のマネージャーを務めるほど活発な女の子だった。それが高校入学後、クラスメイトのいじめを受けて引き篭もりになってしまったのだ。
恵にはまだ、表側の人生に戻れるだけの力があることを僕はを知っている。だからこそ、僕は恵が立ち直るまでずっと隣で付き合うと心で決めていた。
「ねぇ、優輝? 本当に大丈夫? 今度は私の顔をジーッと見てるけど」
「あ? あ~……えっと、その……戦利品分けてくれないかなと思ってただけ」
「駄目に決まってるじゃん! 優輝は戦いに参加してないでしょ? そんな奴にはびた一文あげない!」
「いや、参謀として参加してただろ?」
「そ、それは……そうだけどダメったら、ダメなの!」
「……さてはレアアイテム出たんだろ? ケチめ」
「ケチで結構ですよぉ~だ!」
「「ふ、ふふっ」」
なんやかんや文句を言い合ってもお互いで笑い合ってしまう。きっと端から見たら歪にすら見えてしまう僕たちの関係だが、僕らはそれでも良かった。お互いが楽しいし、頼れる。それを言わずとも分かっている。
そう、友達として――。
そこから先は他愛も無い会話を重ねながら今日のレイドをどうするかについて話したり、『全国大会』、敷いては前年度の覇者としてシードを持っているアジア大会に向けて戦術を確認したり、時間の許す限り、思い思いにゲームを中心に語り合いながら二人で過ごしていった。ただ、楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去る。気付けば17時を過ぎていた。
「やばっ! 居心地良すぎて長居しすぎた!」
「あ~あ~! また門限やぶりだね! 優輝のお母さん怖そっ……ご愁傷様」
「へっ! まぁ、なるようになるよ」
「ふっ、そんなところも前向きなのヤバすぎだよ。でも、まぁ……そんなに居心地が良いなんて言ってもらえるなら嬉しいよ。まさに光栄の至りってやつだ」
バタバタと帰り支度を始めると恵はニコッと笑いながら、スッとゲーミングチェアを画面の方へと向ける。
「その……えっと……優輝? 今日は楽しかったよ、また来週も来てくれる?」
「いつだってくるよ。すぐそこなんだから。なんならもう少し居た方がいいか?」
「う、ううん……大丈夫……だいじょうぶ……だから……。だからさ……」
僕は『状況』を察して何も喋らず、恵の頭を後ろからそっと撫でる。すると、惠は静かに体を震わせて涙を流し始めた。
「ったく、辛いなら辛いって素直に言えよ、この馬鹿。何年、幼馴染をやってると思ってるんだ?」
「ごめん、ごめんね。こんな面倒くさい女で……わたし……わたし……」
「また「こんな私は死んだ方がマシだ」なんて言うなよ? 恵に居なくなられたらみんな困っちまうからな。それに約束しただろ。辛いときは僕を頼るって」
恵は時折、僕が帰る間際になると泣いてしまうのだ。きっと一人でいることが怖いのだろう。その感覚はいじめられた恵の傷。いわば、『特有の感覚』といってもいいものだ。
「うん……。約束、したもんね? ごめん……やっぱり……まだ、まだ帰らないで欲しい……」
「分かってる。大丈夫だ、傍にいるだろ? ほら」
「うん……」
恵は俗に言うPTSD――心的外傷後ストレス障害と対人恐怖症を併発している。
普段は他人に感じ取られないように気丈に振舞っているようだが、恵の場合はいざ自分が独りになるとその感覚が異常に膨らむらしい。
恵は不登校になってから一度、その状態に耐え切れなくなり、自殺を試みようとしたことがある。そんな出来事もあって恵とは毎日、オンラインでやり取りをしつつ、こうして恵の様子を週1回ぐらいのペースで見に来ているのだ。
そこから恵の両親が帰ってきた19時まで僕は恵に寄り添い続け、そんな僕たちを夜の闇が飲み込んでパソコンの淡い光だけが照らし続けた。




