第22話 早朝の変貌
「っ……。ん?」
まだ日差しが出始めていない早朝。私が目覚めると目の前に居たはずのリリーの姿が無く、ベッドから体を起こすと部屋の隅っこにちょこんと体育座りをしていた。
「……おはよう。リリー」
「お、お……はよう……ございます……」
「リリー……?」
でも、なぜか凄く怯えていて目に涙が溜まっている。私が近づくとその強張りはますます強くなっていく。そんな中、後ろでゴソッと音がして眠そうな声がポソッと聞こえてきた。
「実結? ……もう、朝?」
「あ……由美子、起こしちゃった……?」
「うん、まぁ……何かあっ――冷たっ! えぇ!? これって……」
由美子が咄嗟に羽布団を捲り上げるとそこには大きなシミが出来ていた。
「ご、ごめんなさい、わたし……ごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……!」
「(由美子とは初対面だもんね? 夜尿を怒られるって思っているのかも……)」
私がリリーに近づこうとすると声が大きくなる。明らかに動揺していることは私にも分かった。だから、少し強引だったけれどリリーの体をしっかり抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫だよ……? 誰だってあることだから……。それに、あのお姉さんもそんなことで怒ったりなんてしないから。私の、友達だから」
「ううぅぅっ……ほん……とうに……?」
「うん。由美子は怒らない。そうでしょう?」
由美子の方へ視線を向けると状況を理解したのか、笑顔を作ってみせる。
「……うん! えへへ、こんなのまだ可愛い方だよ。私なんてもっと大きいシミを作ったことあるしさ? そ、れ、に! 服は洗って乾かせばいいから大丈夫! だから泣かないで?」
「う、ううっ……う、ううわわぁん……!」
「よしよし……恥ずかしくて辛いよね……?」
私が泣き続けているリリーの頭を撫でていると由美子も横に座り込んで一緒に身を寄せる。そして、由美子は思いついたようにぽそっと声を出した。
「やっぱり実結は成長したよ。なんかお母さんみたい」
「そう……かな……? 私は中学の頃から成長していないと思うけど……」
私たちが2人でリリーを慰めていると急にドンドンと扉を叩く音が響いた。
扉の向こうから聞こえたのは緊迫するようなジークさんの声だった。
「おい、ここを開けろ! 開けないならここを蹴り破るぞ!」
「……! 由美子、お願い」
「う、うん……!」
由美子がカチャッとカギを外すとジークさんがナイフを手にして踏み込んでくる。その目は私たちを威圧するかのような鋭い目だった。一瞬にして恐怖が私たちを襲う。
「っ……!」
「これは……いったい、どういうことだ?」
「先輩! 大丈夫ですか!?」
「ううっ……暗い……ナ、ナイフ……嫌ぁぁぁ!」
「えっ……!? リリー、しっかりして!」
リリーが急に過呼吸になり始める。でも、リリーは苦しいはずなのに私へ体を寄せ、強くつよく抱きつく。私が困惑する中、ライザちゃんが部屋に飛び込んできて辺りをきょろきょろと見た後、声を上げた。
「ジークさん、どう見ても勘違いです! 早く剣をしまって部屋の外に出ていていてください! ここは私がみます」
「あ、ああ……」
「――それからジークさん、お願いがあります。私の着替えを一着持ってきてもらえますか? あと温タオルも」
「分かった。入り口においておく」
「お願いします。あと、そこのアンタも出て行って」
「でも……!」
「いいから坊主も来るんだ。ここはライザに任せろ」
稲森君はどこか納得できない表情のままジークさんに連れられて廊下へと出て行った。その様子を確認したライザちゃんはリリーに近づいて声を掛ける。
「もう、大丈夫。あなたを襲う人は居ないよ。ほら、私を見て」
「はぁはぁはぁ……」
「そう、ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから深く、ふかくゆっくり呼吸をして」
リリーはライザちゃんに促されるように数分間、私に抱きついたまま深呼吸をし続ける。そして、ライザちゃんはリリーの頭を撫でる。
「そのまま実結さんに抱きついたままでいいから、ゆっくり呼吸してね? 私は少し離れるよ。ここに居る人は全員、リリーちゃんの仲間だから安心して」
そう言ったライザちゃんはベッド脇に移動してシーツを交換し始める。様子を眺めていると代わりのシーツを床底から出して、素早くササッとライザちゃんが交換を終えてしまう。
そのうちにコンっと部屋の入り口から音が鳴るとライザちゃんは少しだけ部屋の扉を開けて洋服とタオルを取って、ベッドの上に置いた。
「実結さん、ここに着替えと清拭タオルを置いておきます。落ち着いたら着替えさせてあげてください。私とサイズはあまり変わらないはずなので恐らく合うはずです」
「ありがとう……ライザちゃん」
「いいえ、私たちの方こそごめんなさい」
「えっ? なんでライザちゃんが謝るの?」
「それは……私とジークさんが……その、無神経だったから。――それじゃあ、私はこれで」
ライザちゃんは言葉を濁してながらも一礼して素早く部屋を出ていく。
きっとライザちゃんもリリーも、お互いにつらい過去を抱えているに違いない。
そして、それは私が深く踏み込んで聞いたところで彼女たちにかける言葉も見つからない気がする。
「(――だから、せめて……)」
ただ、じっとリリーを抱きしめ続ける。
それくらいしか、私がしてあげられる事はない。次第に日差しが上がり始めてくるとリリーの様子が落ち着きはじめ、リリーは私の胸元からそっと離れる。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……。急に抱きついて……泣きわめいて」
「ううん……。それは大丈夫だけど……。もう、平気そう?」
「はい……」
「なら、そろそろ着替えてご飯を食べに行こう? みんな心配していると思う……」
リリーはグスッと泣きながら静かに頷く。本当にこうして見ているとリリーはまだ幼い子どものようで『奴隷』として生きていることが信じられない。
――お母さんやお父さんと暮らして遊び盛りのはずなのに。
そんな私の悲しそうな雰囲気を感じ取ってか、由美子が率先してリリーにすり寄って行動を起こさせていく。
「よし! そうと決まれば着替えだぁ! 由美子お姉さんも手伝ってあげる!」
「いや、わたしわぁぁ……」
「それじゃあ、まずは~上から!」
「(さすが、由美子……。私にはあの後で、こんな真似できないなぁ……)」
「ほら、実結も手伝ってよ?」
「うん……あと、私たちも着替えちゃおう?」
こうしてあっという間に着替えを終えた私達は一階へと降りてゆく。
一階にはジークさんを始め、稲森君もカウンターに座って静かに待っていた。そのカウンターは昨日とは打って変わって照明が多めに取り入れられていて、リリーに対して気を使ってくれているようだった。
その中で一番、最初に口を開いたのは稲森君だった。
「リリー、大丈夫か?」
「はい……ご迷惑をおかけしました。もうしわけ――」
「それよりお腹空いただろ?」
稲森君はジークさんに3人分の朝食をオーダーしつつ、昨日ライザちゃんが作ったランチボックスの温め直しと暖かいスープを注文した。
一瞬、その注文に私たちは『昨日作ったものを食べさせるのか』と言わんばかりに視線を合わせたが、ジークさんとライザちゃんはお互いにボックスを手に取った途端、納得したように頷いてジークさんは奥へと下がって行った。
「とりあえず、皆さんはあちらのテーブル席に腰かけてお待ちください。すぐに作ってきますので!」
ライザちゃんは私たちを席に誘導すると少し慌てた様子でカウンターの奥へと消えて行った。きっとリリーに気を使ってハイテンションで振舞ってくれているんだろう。
それから私はリリーを一旦、由美子に託して席から離れ、稲森君に部屋で起こった出来事のすべてを話した。
「そう、ですか……。あのパニックはナイフを見て……」
「うん……。もちろん、おねしょをしちゃったこと……その、恥ずかしさもあったと思うけど決定的なパニックの原因はナイフだったと思う……。何か稲森君は知っている事……ある?」
「……。僕にも確実なことは分かりません。ただ、あれだけ怯えていたことから考えて「数年前の戦争」か、「奴隷になった後の生活」か、いずれかがパニックを負った原因になっているのかもしれませんね」
稲森君は心配するようにテーブル席に座るリリーの横顔を見つめる。それは紛れもなく彼がリリーのことを真剣に考えている証拠にも見えた。
「やっぱり、稲森君は優しいね……」
「え? ……いえ、僕は先輩が思う程、良い人間じゃ――」
「ううん、良い人だよ……そうじゃなかったらそんな真剣で、でも心配みたいな……そんな表情は出来ないよ。それに由美子のこと……切り捨てずに受け入れてくれたでしょう……?」
彼はグッと考え込むようにリリーの方を再び見て視線を下に向ける。そして、申し訳なさそうに口を開いた。
「先輩、僕は……」
「皆さん、お待たせしました~! 朝食――もとい、ブレックファーストの出来上がりですよ~! あれ、実結さんとあの人は……」
「先輩、食べに行きましょうか!」
稲森君は何かを言いかけたが、言葉を飲み込んでニコッと笑いながら何かを隠すように歩き出す。その背に「何を言いかけたの?」と問いかけるべきかもしれない。
でも、その表情がリリーを買いに行った時と同じ顔のように思えて、これ以上の事を聞いたら不味いような気がして、この思いを胸にしまい込んで彼の後を追った。
「うわっ、実結! みてみて! 和食だよ! まさかこんな世界で食べれるなんて思わなかった!」
「うん……! すごいよね?」
「喜んで頂けて何よりです! お味噌汁は私の特製ですからご賞味ください!」
「――そして、君にはこれだ。ライザの特製サンドイッチとスープだ。きっちり温めてあるからな。ゆっくり食べるんだぞ?」
ジークさんがリリーの前にはほんのり暖かくなったサンドイッチとスープを置く。
そのサンドイッチの表面にはケチャップで「元気にな~れ★」と書かれていて、リリーは少しウルッと涙を目に溜める。そして、その目で稲森君や私たちを見渡し、ぽそりと声を零す。
「わたし……こんなに……こんなに良くしてもらって……いいんでしょうか?」
「当たり前だろ。僕たちは仲間だ。遠慮なんていい」
「ありがとう……ございますっ……」
稲森君はそっとリリーの頭に手を乗せて静かに撫でる。肩を震わせて涙を流す姿に全員が息を飲んだけれど、彼はすぐに「食べましょう」とみんなを促す。リリーもライザちゃんが作ったサンドイッチを一味、ひと味を噛みしめるように食べる。
私はそんなリリーの姿を横から見ながら涙と口に付いたケチャップを拭いてあげながら一人で考え込む。
「(ここに来るまでリリーはどれだけ……どれだけ、大変な思いをしてきたんだろう……。私……この子の理解者になって……あげられるかな?)」
気付けばライザちゃんも反対側に加わって仲良さげに「味はどうだった?」と話しこみ始める。私は静かにこの光景を一度、ぐるっと見渡しながら一人、『暖かい』と思っていた。
――だって、こんなにも素敵で楽しくて、それでいて落ち着く。
そんな環境を私は外で見つけたことがなかったから。
「……先輩? もしかして魚は苦手でした?」
「あ……ううん……。そんなことないよ? ふふっ……」
稲森君は私の反応にどう反応したモノか悩むような顔をしていたけれど、私たち4人はこうして朝ご飯を終えたのだった。




