# 第4話 没落は、足元から静かに始まる
グラントが姿を消したのは、決闘の翌日からだった。
「グラント様、今日もお休みらしいぞ」
「決闘で平民に負けたのが、よほど堪えたんだろうな」
廊下ですれ違う生徒たちが、囁き合っている。先日まで「さすがグラント様」と持ち上げていた顔ぶれだった。手のひらの返り方だけは、やけに早い。
「リオン」
教室の入り口で、セレスティアが待っていた。周囲の生徒が、少しだけ距離を取る。氷の令嬢が平民を待つ。その光景が、まだ珍しいらしい。
「グラントが、動いているわ」
「動いている、ですか」
「ヴァルモア家が、あなたを陥れようとしている。影縫いを禁術認定させて、学園から追放するつもりよ」
「……平民のスキルが、禁術に」
「平民のスキルがSSSだと分かれば、貴族の立場が危ういのよ。だから、なかったことにしたい」
彼女はそう言って、俺の袖を掴んだ。冷たい指。最近、この仕草が増えた。
「怖い?」
「少し」
「正直ね。でも、私がいるわ」
放課後。俺は令嬢の影の中にいた。廊下の角、人目のない場所。彼女が影に足を踏み入れると、外からは誰も見えなくなる。
「今日は、ここで聞くわ」
「何を、ですか」
「グラントが何を企んでいるか。あなたの影縫いで、探れるでしょう」
「影を辿れば、相手の居場所は分かります。ですが、令嬢を危険に」
「あなたと一緒なら、危険じゃないわ」
密着した肩。耳元に、彼女の吐息。影の中は狭い。彼女が身じろぎするたび、ドレスの裾が俺の脚に触れた。
「令嬢、近いです」
「あなたの影なのでしょう?」
「……そうですが」
「なら、我慢なさい。私が我慢しているのだから」
「何を、我慢しているんです」
「あなたが、平民の分際で、とまだ言うこと」
俺は少しだけ笑った。影の中だと、笑顔も隠せない。
グラントの影は、ヴァルモア家の別棟にあった。
俺は令嬢の影から、彼の影へと渡る。影の伝い方は、三年間で覚えた。影から上半身だけを出し、窓の内側を覗く。
グラントは、父親と向き合っていた。
「父上、あの平民を、必ず排除します」
「手柄を横取りした上に、決闘で負けた。ヴァルモア家の名は、地に落ちた」
「だからこそです。禁術認定させれば、平民の言葉など誰も信じません」
「方法はあるのか」
「学園の上層部に、働きかけてあります。明日の審問で、決着をつけます」
「失敗は許さないぞ」
「分かっております。平民ごとき、影ごと潰してやります」
俺は影を伝って、令嬢の元へ戻った。
「聞いたわ」
セレスティアの声は、静かだった。だが、静かすぎた。
「明日、審問がある。グラントが、あなたを禁術認定させるつもりよ」
「はい」
「どうするの」
「……証拠が、ありません。影縫いが禁術でないことを、証明するのは」
「証明しなくていいわ」
彼女は俺の方を向いた。影の中、暗いのに、その目だけはよく見えた。
「私が、証明する」
翌朝。審問の間には、学園の上層部と、貴族の子弟が集まっていた。
グラントが、得意げに口を開く。
「リオンの影縫いは、相手の影を縫い止める禁術です。平民が、貴族を縛るなど、あってはならない」
「証拠はあるのか」
「決闘で、私の身体を縫い止めました。これは、明らかな禁術です」
上層部の老人たちが、頷き合う。俺は何も言えなかった。影縫いが禁術でないことを、どう証明すればいい。
「待って」
セレスティアが、前に出た。審問の間が、静まり返る。
「セレスティア嬢、これは平民の――」
「平民の、何です?」
彼女は、グラントを一瞥した。それだけで、グラントの言葉が止まる。
「リオンの影縫いは、禁術ではありません。私が、証人です」
「令嬢、何を――」
「昨夜、私はリオンの影の中にいました。彼のスキルは、影を縫い止めるだけ。相手を傷つけるものではない」
「そんな、証言は――」
「嘘だと?」
セレスティアは、静かに笑った。氷の溶けた、冷たい笑みだった。
「では、グラント。あなたが昨夜、ヴァルモア家の別棟で、父親と何を話していたか。ここで、話してもらいましょうか」
グラントの顔色が、変わった。
「なぜ、それを……!」
「私の影にいる人は、影を伝って、どこへでも行けるのよ」
審問の間が、ざわめきに包まれた。上層部の老人たちが、顔を見合わせる。
「グラント。昨夜、あなたは禁術認定を工作していた。そうでしょう?」
「違う、私は――」
「あなたの影は、嘘を吐かなかったわ」
グラントは、何も言えなかった。周囲の視線が、彼から離れていく。先日まで彼を称賛していた目が、今は冷たい。
「ヴァルモア家の嫡男として、恥ずかしくないの?」
「令嬢……俺は、ただ、平民が――」
「平民が、何です? あなたが横取りした手柄の、持ち主でしょう」
グラントは、膝をついた。審問の間の空気が、完全に変わった。
「グラント・ヴァルモア。禁術認定の工作、および平民への虚偽の告発。ヴァルモア家に、然るべき処分を」
上層部の一人が、そう告げた。グラントは、顔を上げることもできない。
「リオン」
セレスティアが、俺の名を呼んだ。
「終わったわ」
「……ありがとう、ございます」
「礼はいいわ。それより、今夜も影にいてくれる?」
「平民の分際で、よろしければ」
「その言葉、まだ言うの」
「癖なんです」
「では、癖ごと直してあげる。私の影にいて、リオン」
俺は頷いた。審問の間を出る時、足元の影が、少しだけ軽く感じた。
――没落は、足元から静かに始まる。だが、俺の影は、まだ誰にも奪われない。




