# 第2話 手柄は、いつも横から奪われる
翌朝、学園は暗殺者騒ぎで持ちきりだった。
「令嬢を救ったのは、ヴァルモア家のグラント様らしいぞ」
「さすがAランク。平民とは格が違う」
廊下で聞こえたその言葉に、俺は足を止めた。
――俺が、影を踏んだのに。
教室に入ると、グラント・ヴァルモアが囲まれていた。剛腕のAランク。ヴァルモア家の嫡男。そして、俺を「令嬢の取り巻き以下」と呼ぶ男だ。
「暗殺者を制圧したのは俺だ。氷結魔法で足止めした令嬢を、俺が仕留めた」
「さすがグラント様!」
「平民のリオンは、震えて隠れていただけらしいぞ」
笑い声が上がった。俺は自分の席へ向かう。反論する気はなかった。影が薄い俺の言葉など、誰も聞かない。
「リオン」
小声で、名前を呼ばれた。セレスティアだった。彼女は前を向いたまま、唇だけを動かす。
「あとで、影に来て」
「……はい」
昼休み。俺は中庭の木陰にいた。誰も見ていない場所。足元の影に、そっと潜る。
影の中は静かだ。冷たくて、狭くて、落ち着く。三年前から、ここが俺の居場所だった。
「いるわね」
影の外から、声が降ってきた。セレスティアが木陰に立っている。周囲に人はいない。彼女はドレスの裾を押さえて、そっと影に足を踏み入れた。
「令嬢、服が汚れます」
「構わないわ。誰にも見えないのでしょう?」
影が彼女を包む。外からは、誰も二人の姿を見つけられない。密着した肩。耳元に、彼女の吐息がかかる。
「狭いな」
「我慢してください。俺の影なので」
「あなたの影だから、いいのよ」
俺は少しだけ顔を背けた。近すぎて、彼女の表情を見ていられなかった。
「グラントが、手柄を横取りしたわね」
「いつものことです」
「いつものこと、で済ませないで」
セレスティアの声が、少し低くなった。影の中だからだろうか。彼女の本音が、普段より近い。
「昨夜、影を踏んだのはあなたよ。私を守ったのも」
「令嬢を守ったのは、氷結魔法でしょう」
「違う。あなたが影を縫わなければ、私は氷を放つ間もなかった」
「……そうですか」
「そうよ。なぜ、黙っているの」
「平民が言っても、信じてもらえないので」
「私なら、信じる」
短い言葉だった。だが、影の中にいるせいか、その一言がやけに大きく響いた。
「グラントは、あなたの手柄を自分のものにした。許せない」
「令嬢が怒ることではないですよ」
「怒るわ。私の影にいる人を、侮辱したのだから」
彼女の指が、俺の袖を掴んだ。昨日と同じ、冷たい指。だが、力は強かった。
「ねえ、リオン」
「はい」
「あなたの影の中は、静かね」
「ええ。誰も入ってこないので」
「私だけ?」
「……今のところは」
「今のところ、ではないわ。これからも、私だけにして」
令嬢はそう言って、少しだけ俺に寄った。肩が触れる。影の中は暗いのに、彼女の輪郭だけは、なぜかはっきり見えた。
「グラントには、いつか言い返してやるわ」
「やめてください。令嬢の評判が下がります」
「下がって結構。氷の令嬢なんて、もう飽きたわ」
「……それは、俺の前だけにしてください」
「あなたにだけ、素顔を見せているのよ。今さらよ」
午後の授業が始まる前。グラントが教室で声を上げた。
「なあ、リオン。昨夜はどこに隠れていたんだ?」
「……影です」
「影? ははっ、影が薄いから影に隠れたのか。平民らしいな」
教室が笑いに包まれた。俺は何も言わなかった。言えば、令嬢の影の中での会話が、嘘になる気がしたから。
「おい、黙るなよ。令嬢の取り巻きが、まさか震えてたなんて言わないよな?」
「グラント様、やりすぎですよ」
「事実を言ったまでだ。平民は平民らしく、影でも舐めてればいい」
その瞬間、教室の空気が少しだけ冷えた。
「グラント」
セレスティアが立っていた。教室の入り口で、氷のような目をして。
「昨夜、あなたは何をしたの?」
「令嬢、俺が暗殺者を――」
「私は、あなたの氷結魔法など見ていないわ。見たのは、影を踏む平民の姿だけ」
教室が静まり返った。グラントの顔から、笑みが消える。
「令嬢、それは平民の嘘です。俺を陥れようと――」
「嘘をついているのは、どちらかしら」
セレスティアはそれだけ言って、俺の前を通り過ぎた。すれ違いざま、小さな声で。
「あとで、影に来て。今度は、もっと狭くてもいいわ」
俺は頷けなかった。だが、足元の影が、少しだけ嬉しそうに揺れた気がした。
――手柄は横から奪われる。だが、影だけは、誰にも奪われない。




