一歩
もういい、流されよう。
内面とどれだけ違っても、必要な場では笑顔でいよう。
貴族の仲間になったなら、貴族に目の敵にされた平民じゃなくなる。
暗殺者の影もわずかに減るだろう。
ならもう。
いいじゃないか、それで。
浮かんでは消え、何度も繰り返されるその思考から、抜け出せずにいた。
目に映る王城のテーブルの滑らかな木目は、当たり前だが言葉を返さない。
ソファーに揺れを感じそちらに目を向けると、虚ろな目をしたアーネスが立ち上がっていた。
「行こう。」
そのアーネスの口から呟くように、囁くように漏れた言葉に、何の感情も乗っていなかった。
バーゼル伯王都別邸に戻り何をするでもなく過ごした。
オットマンに投げ出した足を見つめ、頭の中は空っぽだった。
部屋に用意された昼食も冷めていくのをぼんやり眺めた。
ジラルド様に呼び出され、機械的に立ち上ってメイドさんの後ろを歩きながら、やっと出た思いは、
「孤児院で拾った後付の姓が、これほど俺には重いものだったんだな」
という、馬鹿みたいにどうでもいい事だった。
「庶民というものは貴族になりたがるものだと思っていたんだがな。」
別邸の食堂の豪華な調度に囲まれて、俺とアーネスは虚無顔で座っていた。
ジラルド様に言われた嫌味とも呆れとも取れる言葉に、塵ほどの気持ちが沸かないのは逆に面白いと思った。
自嘲の域を出ないものだが。
「変わらんよ。
変えなければいい、それだけだ。
それとも何かね。
少しケチが付いたくらいで変節するような関係なのかね、君たちは。」
目を剥いて立ち上がったアーネスからは、殺気が溢れている。
涼しい顔で受け流しているジラルド様の胆力は並じゃない。
そこいらのチンピラはおろか、騎士や傭兵でも怖気が来るほどの冷たい殺気をあびているのにだ。
現に部屋の片隅にいたメイドさんは尻もちをついている。
同時に状況を読み始めた自分の頭が回り始めたことに気づいた。
「少しは人の声が耳に入るようになったか?
今のは君たちの関係を外から見ていた者の信頼、という話だ。
君たちを知るものは、そんなものでは揺るがない、そう見ている。
私見だが陛下やウォルダート公の考え話してもいいかね。」
少なくとも殺気は引っ込めたアーネスがぎこちなく座る。
怯えて座り込んだまま動けなくなった人と変わり、別のメイドさんがやって来て手早くお茶を用意した後でジラルド様は口を開いた。
「当家の使用人が恥ずかしいところを見せてすまんな。
さきほど私も言ったが君たちの関係性への信頼は厚い。
そうは言ってもそれを知ってる我らはいいとして、冒険者の地位が保全されたところで、簡単に行き来されては困るというのが貴族という生き物の思考であり生態だ。
事実、君たちと関係が薄い貴族の方が圧倒的に多い。
その彼らの目にはどう映るかね。」
魔王を打倒した武力を持つ高位貴族が昔の縁で結託して何ぞ企んでる、その辺りだろうな。
「同等の肩書を持つ者の所に、かつての仲間が訪れる。
その形に見えた方が対外的な摩擦を生みにくい。
更に言うならたとえ一代限りといえど王家、大公家に次ぐ爵位を持つ者に、表立って害意を示す貴族はいない。
あくまでも表立ってではあるがな。
ともあれそれらの狙いが、陛下や公に無い方が不自然だ。
当家とて今まで通りの協力は惜しまん。
惜しむことが出来なくなった、そう思ってくれてもいいがね。」
たしかにそうだ。
俺達のためだけではないのは、まあ仕方ない。
おかしな火種が生まれないようにするのは、為政者には当然だろう。
「そも呆けてる時間などないのだぞ。
謁見、夜会、パレード、教会儀式、ジェスター君は婚礼もあるな。
休めるまでに数日では済まないだろう。
叙爵式は二人で参加するが、アーネストリー君は間違い無く求められる停戦の仲裁役は避けられん。
行き来するだけでも大仕事なのは、君たちが経験をもって理解してるだろう。」
おいおい。
面倒さでいえば、魔王討伐を上回ってないかこれ。
いや、大変だったけど。
死と隣り合わせというか、紙一重というかにあったけどもだ。
やりたいことだけやってのんびりってのは、一体いつになったらやれるんだ。
殺しに飽いた、殺されるのも御免。
それが引退の最大の理由なのは欠片も嘘じゃない。
でもそれだけじゃない。
それを口にできない自分が、悲しくも惨めだった。
同時に。
ただ、流されて溺死するのは嫌だとも思えた。
結局、俺には足掻くしかなかったのだ。
生きるためには。
「なあジェス、これでいいのかな。」
ここ数年で一人には慣れたであろうアーネスが、本当に久しぶりにしれっと俺の部屋に着いてきた。
そのアーネスが座りもせずに言ったのは、返しようがない質問だった。
返事を待ち続けるアーネスを放置することもできなかったが。
「難しい質問だな。」
それでも俺が返せたのは逃げの言葉でしかなかった。
「最初は楽しかったよ。
剣技を覚えて、魔術を覚えて、そうやって出来ることが増えていくのが、ただ楽しかった。
色んな人に頼られるようになって、それも嬉しくて。
でも救えない人、助けられなかった命。
聞こえないはずの悲鳴がどこかから聞こえてくるような気がして、居た堪れなくなることもあった。」
ポツポツと話すアーネスを見て、院で叱られていた顔と重なるのはきっと気の所為じゃない。
「俺、頑張ったよ。
そんな人を一人でも減らそうとして。
何もかもじゃなく、せめて目の前の人だけでもって。
俺だって救えなかった人がいる自覚はあるよ。
勇者だからって万能じゃない、それも分かってた。
救えなかった人を見れば嫌でも自覚したさ。
でもさ。」
何を言わんとしてるか、見えてるだけに返す言葉はやっぱり無い。
「それが全部無かったみたいに、意味がわかんないほどの褒美をもらっていいのかな、俺が。」
こいつならそう思うだろうな、そう思ってもなんて返せばいいっていうんだ。
慰めも、励ましも、今のこいつには何の意味もないのに。
「俺たちの絆に泥を塗りたくるようなおまけまで付けてくれて、喜べって言われたってできるわけないのに。」
絞り出すような声で吐き捨てたアーネスは、自身をその手で抱くようにして震えてた。
「なあ、アーネス。
俺もさ、終わったつもりでいたんだわ。
もう逃げていいよなって。
ごめんな。
でもさ、なんにも終わってなんかなかった。
なんならこれからだった、って思い知らされた。
しかも今度はもう逃げようがない。
お前がどうするかはわからないけど、俺は足掻くわ。
答えになってなくて、それもごめん。」
とりとめのない、返事になってない返しに、アーネスは泣くんじゃないかと思うような顔で笑った。
「謝るなよ、バカか。
ジェスがそうするなら、うん、俺もそうしてみるよ。」
そう言って。
目まぐるしい日々が幕を明けた。
時々こっそり、つばを吐く。
やってられるかと。
謁見のために再登城して勇者パーティー勢揃いの時は、我が家に帰ったような気持ちになった。
今の俺に我が家なんか影すらないのに。
パーティーは解散しないことになった。
久しぶりに聞いたアーネスの、
「ヤダ。」
に一瞬で周りが「あっ、こりゃ駄目だ」と折れただけではあるが。
とはいえ、それには俺もホッとした。
形式だけでも繋がりが残るならと。
自分で離脱を申し出ておきながら。
謁見で褒賞が正式に告げられた時の、居並ぶ貴族の拍手と歓声に殺意が湧いたが、俺もアーネスもどうにか受け流すことに成功した。
そう思ってたが控えに戻ってから、気付いていた三人に盛大に笑われてキレそうになったのは、また別の話だ。
夜会の面倒を減らすのに、ジード爺様に色気全開にしてもらおうとしたが、頼むまでもなく、ほぼほぼ女性は惹きつけられてた。
爺様にあからさまに後ろ髪を引かれる様子で親に連れてこられた貴族令嬢は、見ていて面白かった。
そのお陰で笑顔でいられます、とは口が裂けても言えないけれど。
形式だけの挨拶にはうんざりした。
貴族の振る舞いなんて出来ない俺たちを、憐れむような目で見ていたのが、逆に面白く思えた。
それも作った笑顔を崩さないで済むのに使えたが。
「これからもそれでは苦労されるでしょう。
マナー講師を紹介しましょうぞ。」
なんて言うやつまでいた。
失礼に気付いてないのが滑稽だ。
「成り上がり同士、これから協力しましょう」という、長過ぎる枕詞が付いていたのは納得でしかないが。
面倒臭さで限界を感じ始めた時、特大の面倒が柔和な笑顔を見せながらやってきた。
想像とは違った。
もっと苛烈さが表に立つ人物だと思っていた。
ウォレス・デミアン・バーレスト。
そう名乗った老人は、武門貴族の筆頭を長く背負ってきたとは思えぬような、優しい笑顔を俺たちに向けていた。
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次回 魔窟 (3/8 19:00予定)




