王城の二人
「君は変わらんな。」
そう俺に言ったのは誰あろう元王太子にして現ウォルダート公、グレゴリオ閣下その人だった。
事は非公式と言われていた拝謁の場でだ。
帰還報告を済ませ、カーソン陛下から直々に、
「ご苦労」
を賜った俺たちは実務的な話に入ろうとしていた。
真っ先に口を開いたのが、グレゴリオ閣下だ。
「昨夜のうちにジラルドからの報告が上がったが、褒賞に関してごねているというではないか。
我が国の侯爵位の、何がそんなに気に食わんというのだね、ジェスター・トルレイシア君。」
そう言われて返す言葉はなかった。
要らない。
窮屈だ。
端から望んでない。
浮かぶ言葉はあれど、口には出来ない。
「ハロルドあたりに聞かされておらんか。
国民に自由など無いと。」
ええ、聞かされておりますとも、初対面の時に。
とはやはり言えない。
「魔術も、武芸も、治癒も、知略も。
どれもこれも人並み以上という言葉では足りないほどの成長を見せて、それかね?」
演技掛かった仕草で指折りながら羅列し、冷ややかな目で見てくる。
その目がふと緩み、
「君は変わらんな。」
とのたまった。
その声はどこか優しかった。
王城の一室。
素材に目をつぶれば質素な部屋で、カーソン陛下とウォルダート公をテーブル一つ挟み、ソファーに座っていた。
護衛も室外に控えさせてだ。
異例にも程がある。
まあ褒賞をごねていることを、他者に聞かせないための配慮だとわかりはした。
明らかに不敬だからな。
「とはいえ出奔などされてはかなわん。
子爵位と、バーゼル伯領の南端、インゼル伯領へとつながる新たな街道の途上に所領を与える。
そこで土をいじるも、隠居するも好きにしろ。
俸禄も当然、与える。
向こう十年、無税でよい。
嫁と悠々自適にも都合よかろう?」
とはいえ重たい。
税を納められなくても、爵位返還は出来ないんですよね、それ。
というか、なんでグレゴリオ閣下が知ってる雰囲気なんですかね、ディディとの結婚。
最後にバーゼル伯領に帰った時に二人で手続きしただけで、誰にも言ってないんですが。
「アーネストリー君も嫌なのだろうがどうなのかね。
多少は譲歩するが。」
複雑な表情で聞いていたアーネスは意外そうな顔に変えて、少し身を乗り出した。
「公爵位というのはやはりいくらなんでも………。」
「そこは譲れん。
当初執政官たちからは大公という話もあったのだ。
それを公爵位、それも一代限りまで下げたのだ。
君の心情を慮っただけの理由ではないがね。」
前王の弟が大公で、現王の弟が公爵。
それでアーネスに大公位を与えては、貴族社会の秩序が保てないってのが実状だろう。
というか望める譲歩案なんてあるのか。
「では、俸禄の八割返納の上、主たる在地の自由を願い出ます。」
真っ直ぐな目で国王と国父を見つめ、落ち着いた声でそう言い切ったアーネスは、何か覚悟が決まったように見えた。
落としどころとしても、けして悪くはない。
肩書と幾ばくかの、といっても莫大だろうが、俸禄をもらっても主は冒険者だと宣言したのと等しい。
「主たる在地の自由、か。
通行権と通商権を与えてる時点で、既に認めてはいるんだがな。
君たちはどうも我らの意図を曲解してはいないかね。
貴族の、そして王家の理論として君たちを、我らがアゼストリア王国に強く紐付けしておきたいというのは間違いない。
否定するつもりもまた無い。
だが他の誰にもなし得ない功績を、それも世界的なものを成し遂げた君たちを労いたいというのが、何よりまず先にある。
それだけは理解してもらわんと、余もいささか悲しいぞ。」
閣下に真顔でそう言われては、これ以上の譲歩を引き出せそうにない。
事実と、根の意図と、あっておかしくない気持ちを話されては。
「アーネストリー君。
ジェスター君。
君たちがいたから予は弟と、無駄に争う事なく玉座に座していられる。
これを君たちだけの功績と言うつもりは、毛頭ない。
だが心から感謝し、恩義を感じてはいるのだ。
ましてや他の誰もなし得ないであろう功績を君たちは挙げた。
だからこそ可能な限りの褒賞で報いたい。
その気持ちを汲んではもらえまいか。」
それまで口を閉ざしていたカーソン陛下の言葉は、優しさを感じられる声で発せられた。
ここまで言われては、もはや俺には否やの言葉はなかった。
感情と責任の重さに潰れそうになっていることに変わりなくても。
「そうはいってもジェスター君には受け入れがたいだろう。
二人とも揃って公爵位というのはどうだ。
一代限り、封地なし、俸給の返還は二人とも五割でよい。
君たちが返還した俸給はバルガス、ジード老、レミドに慰労金として、彼らの生涯を終える日まで支払うという条件もつけよう。
どうかね。
我が国が出来る最大限の譲歩だ。
こんな前例など無い。
しかし国はおろか、世界を救った二人に対してだ。
異論など出たところで、どうとでもしてみせようではないか。」
グレゴリオ閣下の顔から皮肉の色が消えていた。
穏やかな笑顔で俺たちを見据えそう言った。
俺も思ってもいなかった方向に話が転がった。
公爵位というのはやはり気が重い。
だが陛下と閣下の話を聞いた今なら、受け入れられなくない。
グレゴリオ閣下の話を聞き、アーネスは幾らか表情を明るくした。
だがアーネスはゆるゆると首を振った。
「もう一声、お願いします。
私たちの俸給は合わせた上で、五等分にしてください。」
そう言うと久しぶりにキラキラとした笑顔を、アーネスは見せた。
ああ、やっぱりこいつの笑顔は眩しいな。
その明るさは、影を消すんだよ、アーネス。
「よかろう、決まりだな。
では話を移してよいかね。」
グレゴリオ閣下のその声に俺たちは頷いた。
これで俺たちの褒賞は、思ってもみなかった形で確定した。
「全軍撤退の提案だが、正騎士団副団長のエリックとバーレスト侯、魔禽で連絡を交わしたハロルドの三名も理に適っており上策と断じた。
君たちに先立ちとっくに引退したはずのカーリアンからも、魔王討伐なれば早々に撤退すべしと進言されておったがね。」
老いたりとはいえ流石、元文人派筆頭のモレッド候。
引退してなお発言力を残してるのか。
しかも俺より早くから、そこが見えていたんだな。
「アーネストリー君とジェスター君の連名での提案は、有りもしない利に目が眩む連中と、感情だけで叫ぶ者達に突き付ける刃として最上である。
魔王を打倒したものに弱腰と言える者などおらんからな。
勅命として既に魔禽で前線に送った。
パレードが終わるまでには返事があるだろう。」
柔らかくなっていたアーネスの顔が、またも曇る。
「それでもやっぱり割り切れません。
撤退はいいにしても、戦争継続に踏み切った他国は見捨てるのですか。」
わかっていても言わずにいられないのがアーネスだ。
俺はそれを止める言葉を持ってない。
「君はこの無益な戦争を続けろと?」
「違います!
続けようとしている国に、停戦を呼びかけてほしい、そう言っているのです。」
曇っていくその顔を直視できない自分がひどく情けなかった。
「君たちの言葉を借りるなら、やることはやったからもう帰ろうぜ、と他国に、それもこれ以上ない姿勢で示しているんだがね。」
「それも理解しています。
でももっと何か………。」
「出来てもそれは外交圧力などの話になるが、それを望むと?
具体例を示すなら、我が国にある商会に働きかけて、戦を継続している国への支援を打ち切らせる、等か。」
これ以上、無用の血を流させたくないアーネスの気持ちは痛いほどわかる。
こいつは優しいままだから。
時に非情に振る舞うこともある。
敵とみれば切っ先を向けることも厭わない。
でも根幹の優しさを、どこまでも持ち続けている。
お前は眩しいよ。
「君の気持ちは理解している。
少なくともつもりはある。
その上で手段が限られている、そう理解してくれ給え。」
結局。
アーネスは口を噤むしかなかった。
「いつぞやのパレードは覚えているな。」
今度は前振りなくグレゴリオ閣下が話を変えた。
俺たちは無理矢理だったが、表情を改め頷いた。
「流れは七年前のあの時と同じだ。
違うのは王都を逃げ回らずに、謁見の後で夜会に参加してもらい、王城で一晩過ごしてもらう事だ。
夜会で次々と貴族に挨拶され、その娘たちと引き合わされ、そのうち数人が寝所に忍んでくるという苦痛はあるだろうがな。」
どっちがより苦痛かわからん。
内面を誤魔化しきれてないアーネスの顔は、いささか引きつっている。
「ジェスター君はいい機会じゃないかね。
そこで結婚を発表するのに。」
「貴族令嬢を遠ざける手段にその手札を切るのは、非常に嫌なんですが。
個人的には。」
「また君たちの言葉で言わせてもらうとしよう。
一口乗せろ、そう言ってるのだよ。」
でしょうねとは言えず、かわりに出たのはギリギリ飲める妥協案、ギリギリを攻めた愚痴だった。
「公表は王家にお任せします。
タイミングも含めて。
ですがクラウディアとの婚礼は、ささやかな物にしたいのです。
もっと言うなら国事扱いにされたくありません。」
「であろうな。
飲んでもいいが条件がある。」
「なんでしょう。」
嫌な予感しかないが。
「婚儀を仕切るのはジード老。
国からの祝の使者としてレミドを受け入れる。
大聖堂を指定しない代わりに、王都の何処かの教会で執り行う、どうかね。」
王都でなのが嫌ではあるけど、飲めなくはない。
「俺はなんとか受け入れられますが、彼女とご家族が同意するとは限りませんよ。」
これといった表情を浮かべていないグレゴリオ閣下の目だけが、嫌な感じで笑ってるように見える。
「すでに同意を得ておる。
パレードまでには到着するだろう。」
先回りですか、そうですか。
「叙爵が効をなすのは婚儀の後で良い事にもしようではないか。」
そう来たか。
クラウディアが平民のまま嫁げる配慮ね。
まあ婚姻の手続きは済ませてあるから、「対外的な」だろう。
「どうだね、この機会にアーネストリー君も誰か娶るというのは?
同じだけの配慮はするぞ。」
「いえ。」
短く答えたアーネスの声は凍りつきそうな冷たさがあった。
「家族への憧れはありましたが、そこに自分がいることを想像できません。
院にいた時の周りのみんなが家族であり、同時に仲間の一人という意識もある自分は、新たに家族を築くつもりはありません。」
どこか自嘲的にも聞こえるアーネスの言葉に、寂しさを覚える。
誰かが代わりにはなれていたとしても、こいつに「家族そのもの」はいなかったのだ。
「さようか。
だがいつか心持ちが変わることがあるやもしれん。
その時、気が向けばでいい話だ。」
グレゴリオ閣下の言葉の後、短いが絶妙に重い沈黙がこの場を占めていた。
「さて、これで、一通りの確認は済んだな。」
その沈黙を破ったのもグレゴリオ閣下の声だ。
これでこの場は終わりだと、そう思った。
「最後に家名についてだがいくつか見繕ってある。
アーネストリー君。
ジェスター君。
公爵位で空いてる家名はレインドール、オルテリア、ミレーだが、どれが好みかね。」
「えっ。」
絶句するアーネスの顔と、耳には入ってくるが意味を理解出来ない事に、ひどく恐ろしくなる。
理解したくない。
したくない。
したくないんだ。
それでも理解出来てしまう自分と、いつまでも呆けたような表情を変えず、時が止まってしまった様のアーネス。
俺たちは久しぶりに、だがおそらく、今は同じ気持ちでいる。
「………て。」
何かをアーネスが呟いた。
「何かね、アーネストリー君。」
「せめてトルレイシア家と名乗らせては頂けませんか。」
「出来なくはない。」
「本当ですか!」
一瞬、喜色を浮かべたアーネスの顔がすぐさま凍る。
「だがそうなると、君たちが出た孤児院の方を改名せざるをえんがな。
ジェスター君はわかってると思うが、トルレイシア公爵家が並立する事はないぞ。
絶対にな。」
思考を無意識の内に手放していた。
ただ機械的に。
「お任せします。」
そう答えていた。
席を立ちかけた俺を、カーソン陛下の言葉が押し留めた。
「トルレイシアを家名にする事は出来ないが、ミドルネームに残して名乗るとよい。
君たちの出自の証だ。
それを奪うことはしない。
後は君たち次第だ。」
それだけ言うとカーソン陛下は席を立ち、グレゴリオ閣下が後に続く。
わずかに浮いていた腰が、柔らかなソファーに今一度、深く沈んだ。
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次回 一歩 (次回 3/7 19:00予定 3/1はお休みします)




